カトマンズ(KATHMANDU)

swayambhunathスワヤンブ(Swayambhu): 伝説によれば、カトマンズ盆地のはじまりは、スワヤンブ(創造者の意)からであるという。神話の時代、文殊菩薩は旅の途中に大きな湖の中に光輝く蓮の花を見たという。そこで菩薩はその蓮にお参りするために、南側の山を切り開き湖水を流した。その後に肥沃な土地が残り、人間が住みついてそれが今のカトマンズ盆地であるという。以来、蓮の花の咲いていた丘は創造者の住む所として聖なる場所とされてきた。

スワヤンブの光はあまりにも輝いていたので、その後覆われることとなった。13世紀頃までには、いろいろな建物に加えて、ドーム型をしたストゥーパが建立されていたという。その頃、ストゥーパの上の塔が壊れていたので、取り替えられた。更に、その周囲にはいろいろな仏教とヒンズー教の像がまつられ、ストゥーパや寺院、僧坊などが建立されてきた。今日、頂上のストゥーパの周囲には、たくさんの仏像や、建物、ストゥーパがある。丘の背後には、知恵の神として知られているManjusri of Saraswatiをまつる寺院が建てられている。

スワヤンブはネパールでいかに宗教が共存しているかを見るには最適の場所であろう。このストゥーパはヒマラヤ地域最古のものであり、ここに来るのは、ネワールの尼僧、チベット仏教の僧侶、ヒンズー教のブラーマン祭司、そして仏教徒、ヒンズー教を信仰する人々、というように実に多様な人たちである。近くにある僧院にはネパールで最大級の釈迦牟尼の仏像が安置されている。またそれ以外にも大きな祈り車、仏教画、灯明を捧げるバターランプなどを見ることができる。

スワヤンブはカトマンズ盆地の中でも良く目立つところに位置している。丘の上からはカトマンズ盆地を一望できる。普通は丘の東側の参道の石段がから上っていく。決して楽な上りではないが、上り切ったときの感激には帰られないものがある。仏像、ストゥーパ、僧院、そしてサルの群れが、あなたを迎えてくれる。もし、ハンディがあって参道を上れない場合には、西側の車道から車でストゥーパの直下まで上ることも可能である。

pashutapatinathパシュパティ(Pashupathi) 伝説によれば、シヴァは、ある時、美しい妻パルバティのいるカイラス山の宮殿での暮らしに飽き飽きしてしまい、世界中で遊ぶのに一番いい場所を探したという。そして誰にも告げずに宮殿から逃げ出し、カトマンズ盆地にあるSlesmantak と呼ばれる森にやってきて住みついた。ほかの神が彼のことを見つけて連れ戻すまで、シヴァはパシュパティ(動物の王)の姿をとり、楽しんでいたといわれる。

シヴァの滞在したパシュパティの地は、少なくとも1500年以上にわたって巡礼者を集めてきた。ここはネパールのヒンズー教徒にとっては最も重要で聖なる場所である。この境内には、シヴァ信仰の象徴であるリンガが祭られているだけでなく、それ以外の神々を祭った像や寺院が建てられている。シヴァを祭った寺院は紀元879年に建立された。しかし現存する寺院は1697年にBhupatindra Malla王によって建立された。ここにあるパゴダは、屋根が金箔で葺かれており、銀の扉、最高級の木彫装飾で飾られている。Guheswari寺院は、1653年に修復され、女性の「力(パワー)」を祭っている。シヴァの第一夫人であるSatideviが祭られている。Satideviは父親の火葬の時に身を投じたことで知られている。

シヴァはその後またカイラスを抜け出し、狩人としてパシュパティに戻ってきたといわれている。しかし、この時には、夫人のパルバティも美しい女狩人に化けてシヴァの後を追ってきていた。それとは知らず、シヴァはパルバティに言い寄るが、自分の妻であることを知らされ、恥ずかしさのうちにカイラスに戻ったという。Kirateswar寺院は、この時のシヴァの旅を記念して建てられたといわれている。

この地域一帯には、これ以外にも6世紀の仏像や、8世紀のブラーマ(創造主)の像などを祭る寺院がある。また、1407年に建てられたRajrajeswari寺院、1400年以上になるリンガの祭られている塔、Gorkhanath寺院、Biswarup寺院がある。ここには、広く南アジア一帯からヒンズーの巡礼者が訪れ破壊の神であるシヴァ神にプジャ(宗教儀式)を捧げる。

近くを流れるバグマティ川の川岸には火葬場であるArya Ghatがある。よく写真を撮っている観光客がいるが、火葬の光景、そこにいる遺族の写真は撮らないでほしい。Sadhusとは、シヴァのライフスタイルを生きるヒンズー教の行者である。彼らも写真を撮られるときには御布施を求めることがある。また、パシュパティ寺院の中にはヒンズー教徒以外は入ることができない。

チャング・ナラヤン(Changu Narayan): ヒンズー教とにとってナラヤン(ビシュヌの化身の一つ)は、創造の保護者としての意味を持っている。チャング村にあるこのナラヤンを祭る寺院はカトマンズ盆地でも最も古い寺院として知られている。ネパールで発見されたものとしては一番古い5世紀の石碑はこの寺院の境内にあり、マンデヴ王の勝利を伝えている。ここには1600年にわたるネパールの芸術のすべてがあるといっても過言ではない。3世紀頃に建てられたこの寺院では、カトマンズ盆地でも一番すばらしい石彫り、木彫り、金属彫りが見られる。あるガイドの言葉を借りれば、チャング・ナラヤンに行けばにはカトマンズ盆地の宗教芸術の歴史をすべて見ることができるのである。

二層の建物の梁の部分には、悪人を滅ぼすナラヤンの10種類の化身の姿が刻まれている。6世紀の石像はビシュヌの本来の姿をあらわし、また別な石像には彼が悪王バリを滅ぼしたときの小人の化身の姿が刻まれている。鬼のはらわたを取り出しているNarsinghaの姿のビシュヌの像は驚くべきものである。西側のブロンズの扉は夕日に輝き、ドラゴンが鐘を飾っている。半人半鳥のガルーダはビシュヌの乗り物であり、その等身大の像が建物の前に立てられている。ここを訪れる人たちに最もポピュラーなのが、ビシュヌがガルーダにまたがっている像である。

チャング・ナラヤンはカトマンズから車で2、3時間のところにある。途中、世界歴史遺産に指定されたバクタプールの町を通る。おすすめである。

ボウダナート(Bouddhanath) ボウダナートは南アジア最大級のストゥーパであり、ネパールにおけるチベット仏教の中心地となっている。白塗りの台座から塔の先端までは36メートルもある。このストゥーパのある場所は古くからあったカトマンズとチベットとの交易路にあたるので、何世紀にもわたり、チベットからの商人はここによって休んだり、旅の安全を祈ったりしてきた。1950年代からはチベットから亡命してきた人たちが住みつくようになり、たくさんのgompa(僧院)が建てられ、ネパールの「リトル・チベット」が生まれた。この「リトル・チベット」は今でもチベット人のライフスタイルを知るためには最適の場所である。えび茶色の衣に身を包んだ修行僧や祈り車を手にしたチベット人、また五体倒地礼をしてストゥーパの周りを回る人、などを見ることができる。

ボウダナートは5世紀に建てられたといわれているが確証はない。また、ここにはヒンズー教徒、仏教徒がともに敬う老師の骨が祭られているともいわれている。別な言い伝えによれば、一人の女性がカトマンズ盆地の王様にストゥーパを建てる土地を寄進してもらえるように頼みに行ったそうである。彼女は水牛の皮の広さがあれば良い、といったので、王様はそれを認めたが、彼女は水牛の皮を細く長く切って結構な広さの土地を囲むように置いたという。それを見た王様はやむを得ずその土地を寄進したというのである。この周辺には、土産物屋もたくさんある。色彩豊かなタンカやチベットから持ち込まれた宝石、手織りじゅうたん、ククリと呼ばれるナイフなどが売られている。小型のストゥーパや僧院、店、レストランなどが周囲を囲んでいる。近くの屋上レストランでうまいチベット料理とボウダナートの眺めを味わうのも一興である。

ダルバール広場(Kathmandu Durbar Square): カトマンズのダルバール(宮廷)広場に来ると、そこにある数え切れないほどの文化財に圧倒される。生き神と呼ばれるクマり、獰猛な表情のKal Bhairab、赤顔のサルの像、何百とあるエロチックな彫刻、これらはこの広場で見られるもののほんの一部だ。ここにある建物はカトマンズ盆地に三つの王国がその勢力を競い合っていたマッラ王朝の時代のものである。カトマンズ盆地はYaksya Malla王の三人の子どもによって、三つの国に分けられた。それが、カトマンズ、パタンバクタプールである。三人の子どもとその子孫たちが競い合ってお互いにほかの国よりももっとすばらしいものを作ろうとして、それぞれの町の広場に美しい建物を建てたのである。それが今日ここを訪れる観光客の、またネパール人にとっても貴重な宝物となっているのである。

Kastamandapと呼ばれる古くは巡礼の宿であった寺院の周囲では、多彩な土産物の店屋、野菜売りが店を広げている。この建物は一本の大木から建てられたといわれていて、カトマンズという名前はこの建物に由来していると言われている。この広場にある木彫や神像、建築物は極めて優れたものであり、旅するものは見逃せないものである。

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