2003.5.9

<ガザ入り>

今日はガザ入りに挑戦する日。ここ数日間はガザ地区(特にこれから行く南部)に関する悪いニュースしか聞かない。ガザ地区のメインの入り口であるエレツ検問所が外国人のガザへの出入りをものすごく厳しく管理している話を聞く。下手すると4、5時間待たされ、検問を受け荷物も調べられ、結局的に移動を許されないことも多いにあり得るらしいという話だ。あー、入れなかったらどうしよう。無駄足だったらイヤだな。荷物もあるし。それに、ずっと入れなかったりしたら・・・仕事にならない。どうしよう!最悪のシナリオを想像するとかなりブルーになる。

         
         ガザ市
エルサレムを朝の7:30に発つ。タクシーに乗って約一時間でエレツ検問所に到着。何度も通っている場所なだけに、今まで楽に通過出来たところが今回はそうもいかないかも、と思うとかなり緊張してしまう。検問所の手前にあるゲートで門番の兵士にパスポートを見せ、通過を許可されると検問所の中に入る。検問所にいる人は皆イスラエル人兵士で大分若い。皆徴兵でここに送り込まれているんだろう。何度も見ている光景だけど、未だにあどけなさが残っている顔の若者が肩からライフルをぶら下げている光景にはどうも慣れられない。

「少し待ってて」っていわれる。
少しって、どのくらいだろう、って思いながら席につく。
すると、受け付けの兵士が電話で「ユミ・テラハタ、Y・U・M・I・T・・・、 パスポート番号MR****」と誰かに伝えているのが聞えてくる。
こんなのは初めてだ。もう一人の兵士は「ユミ、これに署名を」と言って、カウンターから一枚の紙を私の方向にピラピラと揺らす。紙を受け取って目を通す。まずは自分の名前、パスポート番号、ガザにいる間の住所、ガザに入る詳しい目的と期間を書いて・・・ちょっと待てよ。その下に長い文章があるじゃないか。読んでみると、項目は幾つもあるが、概の内容は、ガザに入ってからは何があってもIDF(イスラエル軍)の責任を問わない、とのこと。

ガザ南部のラファやハンユニスや、入植地に面している「危険地域」には一切踏み入れない、万が一踏み入れたとしたら、怪我しようが死んでしまおうが、IDFは責任を持たないことを承知する、という文章だ。・・・んじゃそりゃ!と思いながら、でも、ここで検問所の人ともめてもガザに入るのが困難になるだけ。それに、今までもパレスチナ人であれ外国人であれ、イスラエル軍に打たれたりミサイル攻撃の被害に遭遇して怪我したり亡くなったりしても、イスラエル軍がその責任を取ることはなかったし。ここは現地入りを優先し、ぐっと我慢する時だ。素直に署名して紙を提出した。
 それから15分、20分くらい待ったら、兵士はパスポートをカウンターにパーンと叩きつけ、「ユミ、バイバイ」という。思ったほど待ち時間がかからずに手続きが終わったようだ。ガザ入りに成功、ここまで来れば大丈夫。最終目的地ラファまであと少しの辛抱だ。
<ラファへの道>

エレツを通過すると、ラファに直行する。まずはタクシーにガザ市内に連れて行ってもらう。そこからラファ行きの乗合タクシーに乗る。私が乗り込んだ車はガザでは良く見かけるステーションワゴン、運転席と助手席の後ろに2列、普通に考えると運転手入れて8人乗り。そこを大人9人(それも、破裂寸前に太っている女性半数)、子ども2人、赤ん坊1人を押し込んで出発するのがガザ流。車の窓ガラスに身体ごと押し潰されながら、やっとガザに戻って来た実感が湧いてくる。
 
ガザ市とラファの間にやっかいな検問所があり、ここが私にとって最後の難関なのだ。ここの検問所はエレツと違って、通過する人を一々チェックするわけではない。入植地とイスラエルを行き来する(勿論、イスラエル人限定の)道とパレスチナ人の道が交差しているから、イスラエル人の車を優先するために、パレスチナ人の車の流れを止めている。この検問所では実際に兵士を見ることはまれで、兵士はいつも筒状のタワーの中にいて、大きな交通信号を操作して交通の流れを管理している。
パレスチナ人側の車はここで、時は5,6時間待たされたり、ひどい時にはまる1日通してもらえなかったりもする。一番憎たらしいところは、待ち時間が5分なのか5時間なのか、いつ通してもらえるか伝えられていないことだ。人々は車の中でひたすら待つしかない。食事もトイレも我慢して。それが何時間になっても。
 今日はラッキーなことに、検問所が空いている。ここでも待ち時間があまりなく、それなりにすんなりと南部に入ることが出来る。ラファに着くと友人ダルウィーシュの携帯に電話を入れ、早速迎えに来てもらう。

<ダルウィーシュ家にて>

新しい住居が決まるまで、いつもの様にダルウィーシュの家にお世話になることになる。彼の家には奥さんのフワイダ、長女ヘバ(12才)、長男ジハード(10才)、次男ムンゼル(8才)だけで、パレスチナ人家族としてはかなり小さい方だけどとにかく賑やかだ。
ダルウィーシュは見た目がちょっと怖いけどとても優しくて面倒見が良い人で、私を含む多くの人に頼りにされている。四六時中仕事をしていて、日本人顔負けのワーカホリック。子どもが大好きで、どこに行ってもムスイ顔をして子どもたちの人気者だったりする。
フワイダはガニ股で座るし、食べ終わったら大きな音でゲップをするし、声が私以上に大きいし、とにかくガサツだけど、そこが彼女の良いところだったりもする。学校の先生を務めながら家のことを頑張ってこなしてるし、料理がとても上手。彼女もとても心が優しくて、いつも私のことを気にかけてくれる。ダルウィーシュに一目ぼれしたみたいで、今でも彼一筋なのがすぐに分かる。夜は頑張って厚化粧して彼を喜ばせようと頑張る姿がなんとも愛らしい。
 しっかり者のヘバと腕白なジハードと甘えん坊のムンゼル。みなお母さんに似て声がでかい。そして、いつも大声で笑っている。時々「ケンカしてるんじゃないかな」と思うくらいお互いを怒鳴りつけているように聞えるけど、彼らの顔をみれば笑っている。彼らは私が家に来ると一生懸命アラビア語と今学校で習い立ての英単語を交えながら私と会話をしようとしてくれる、元気いっぱいでとても可愛い子たちだ。
彼らは私のラファでの家族だ。

<ラファ内のドライブ>

私がラファに来ると、ダルウィーシュは決まって町の様子を見に家族全員を乗せてドライブに連れて行ってくれる。ここがどこどこの難民キャンプ、この先にはどこそこのイスラエル人入植地、2週間前にここから戦車が難民キャンプに入って来て行き成り銃撃してきた」と、細かい解説をしながらのドライブだ。
道の真中にはいつも小さい子たちが走り回っている。ある場所では走り回りながら何かを投げつけ合っている。石とかだったら痛いだろうなー。でも、不思議なことに当てられている子も笑いながら逃げて行っている。幾らパレスチナの子だといっても、石をぶつけられて痛くないわけないだろう?!?よくよく見てみると、緑色のものが空中を飛んで命中している。
ダルウィーシュが横目で私の視線を追うと、「あー、あれ、キュウリだよ。」と説明してくれる。「え?!キュウリ?」と驚くと、「そう。今、ラファではキュウリがバカみたいに安く買えるんだよ。ほら、イスラエルがいろんなものの輸出を止めているから。だから、最近、子どもたちは有り余っているキュウリを使ってケンカ遊びをしているんだ。」と話してくれる。


<小さなパレスチナ大使> 

ラシャの妹、アイシャは14才。「彼女は日本語が少し話せるんだよ」と両親が自慢気に言う。私はニコニコしながらも、「どうせ、コニチワ程度でしょ?」と内心思っていたら、考えていたことが顔に出たのか、「いやいや、本当なんだよ」と四方八方から声が上がる。話を聞くと、小学校アイシャは3年生と5年生の時に、日本大使がラファを訪問した時に大使を日本語で歓迎する役割を与えられたそうだ。家族みんなが、「アイシャ、ユミにしゃべってみなさいよ」と勧める中、アイシャは私の前に立ち上がり、歌い始める。「オオキナクリノォーキノシタディー」・・・ところどころ発音が怪しいものの、4年前に覚えてことをよく未だに覚えているもんだ。アイシャは最後に、大使に言った台詞を私にも言ってくれる。「ニホンノミナサマ、パレスチナヘヨウコソ。コレカラ パレスチナニヘイワガキテ、ニホントパレスチナノ スバラシイミライガ ハジマルコトヲ ココロカラ ネガッテイマス」・・・丸暗記した文章を一生懸命再生する彼女を愛しく思えると共に、その言葉に込められた思いを無駄には出来ないな、と、気が締まる思いだ。


 
Aisha 14歳

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