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〜 ビラールのために 〜 (2004年2月20日)

「ビラールに会いに行きたい」

ビラールがイスラエル軍狙撃兵に頭を撃たれてからもうすぐで1ヶ月が経つ。

この1ヶ月間、彼と同じワークショップの男子が集まる度に、彼らは口を揃えて聞いてくる。「いつ僕らをビラールのお見舞いに連れてってくれるんだ?」

「うーん」と困った顔をすると、彼らは「病院までの交通費のことなら、僕らがみんなで金集めて払うよ、心配いらないよ」と言ってくれる。(うちの団体にはあまりお金がないんだ、ということを今まで彼らに強調し過ぎてきたかも、とちょっと反省する私)

でも問題はお金に限ったことではない。ビラールが入院している病院はガザ市にあって、ガザ南部・ガザ市間の道にはアブ・ホーリー検問所という難関がある。その検問所が開いていて道がすいていればラファとガザ市の間は車で1時間くらいの距離だけど、検問所はしょっちゅう、何の前振りもなく閉まってしまう。そして、一度閉まってしまうと、またいつ開くかなんて、誰にも分からない。数分待たされるか、数時間待たされるか、その日は結局開かずじまいなのか。私たちはひたすら待つしかない。

南部側にいるうちに検問所が閉まってしまうのならともかく、ガザ側にいるうちに閉まってしまうと私たちは家に戻れなくなる。私自身、ビラールが入院してから週に1回はお見舞いに行っているけど、その度に無事家に帰れるか心配している。そんな道を、騒がしい男の子たち20人弱と一緒に往復するのにはかなりの勇気がいる。

         girls to bilal

イスラエル狙撃兵に撃たれて入院しているビラールのために、女子がラジオ・スケッチを熱演。ガッサンが彼女達を
一所懸命指導する。




ビラールの様態のこともある。確かに、彼は1ヶ月前の昏睡状態から本当に見事に回復してきている。前回のお見舞いでは色の区別が出来るまで視力が回復していて、みんなで大喜びしていた。でも、まだ人の顔がはっきりと見分けられるまでは回復していなかったし、それに、まだ自分の力でベッドから起き上がれない。左手はまだ全然動かないし、両脚もほとんど自由に動かせなく、まだ寝たっきりのままでいた。そんな姿のビラールを見て、子どもたちはどう反応するだろう。ビラールも、友だちにそんな姿を見られて、どう思うだろう。

だから男子がお見舞いの件を持ち出してくる度、「もう少し様子を見てからにしようね」と先延ばしにしてきた。

ビラール。もう1ヶ月も入院していて、外で遊ぶことも出来ずに退屈しているだろう。身体が思うように動かなくて、辛い思いをしているだろう。大好きな仲間に会えなくて寂しいだろう。これから身体が元に戻るかどうかも分からなくて、すごく不安だろう。

そういうビラールのために、私たちは今何が出来るだろう。そして、彼が早く元気になって戻ってくるのを待っている子どもたちの想いを、直接病院に行かなくてもビラールに届ける方法はないだろうか。


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