吉野に埋まっていた宝

 吉野鉱山は古くから採掘された。江戸期、大正、昭和初期12年前後の盛期をやまに盛衰を繰り返してきた。特に、昭和30年(1955)から40年代までがピーク。銅を主に金、銀、鉛、亜鉛、硫化鉄、重唱石(じゅうしょうせき)など最盛期には、月12000トン、年120000〜150000トンを産出した。第2次世界大戦中には外国人数十人が働いた。そして、1905年9月原敬が訪れたこともあった。吉野といえば鉱山が連想される程であった。

 家の壁につかわれる建築用壁材は、この吉野鉱山が原点であった。しかし、カドミウムが吉野川に流れ、南陽市内の水田に被害を与えて閉山した。

 今ではほとんど面影が失われてしまった。鉱毒を石灰で中和するために南陽市をはじめとして対策を行っている。 そして、吉野川にも昔のように魚が戻ってきた。

 左の絵は、中和池です。

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