山寺観光協会Presents 芭蕉の句 yamadera@mail.dewa.or.jp

山寺まつり

・日枝神社祭礼とその由来について

「その昔、山寺にある日枝神社は山王権現と言われ貞観年中(859−)に開山され、慈覚大師一山(宝珠山)の守護神

として安置されたものである。

延久4年(10734月比叡山坂本の地で「日吉祭」を行った。そのお祭りを擬して(なぞられて)山王二十一社をこの山寺に神仏の分霊を請じてお迎えたてまつったのが始まりである。

 山寺の前を流れる立谷川「田楽淵」を琵琶湖になぞらえ中島に「弁財天」を安置して「竹生島」になぞられた。

 昔は毎年、旧暦4月中の申(さる)の日に山王権現の大祭礼を一斉に行いました。その時、お神輿は「八王子の宮」に奉納した後に本社へ帰るようになっていたのが常例であった。」・・・・・と「山寺名勝誌」にある。(旧暦4月の申の日・・・・517日)

 大永年間(大永年間は1520年)、山形城主「最上家」の親族の争いの巻きぞいをくって山寺の一山は、悉く「天童頼長等」により、焼き払われたのである。

 伝教大師(最澄)が支那の「天台山国清寺」より移した「日本天台宗の三火」として比叡山の常灯であったし、また山寺立石寺「常香築紫新宮」の常灯でもあったのである。

 立石寺では、慈覚大師が、比叡山から移した常香を三火として「奥の院」の常火、開山堂の常香、根本中堂の常火としていた。しかし、争いのため起こった火事にあい、滅したのであった。だが、その当時の貫主「円海」は比叡山より移して、今日に至っている。

 山寺一山は、悉く焼き払われて以後20年間も僧侶の殆どは洞窟に住居していたという。立石寺の舞楽は慈覚大師の一子へ相伝され、林越前によって行われたものであるが途絶えて、その頃に慈恩寺へ移ったものと考えられている。

 この一山の焼失以後20年を経て「最上善守等」が先ず一山の守護守である「山王権現」を再建されたのである。このような争いによる火事によって、山王権現祭礼の詳しい古文書焼失し、唯、口から口への伝承のみが多いのである。よって、日枝神社の祭り即ち山王権現の祭りは延久4年以来、「坂本日吉祭り」になぞられたものであるから、祭りの原点は「日吉祭り」にあると考えるべきである。

日吉祭りと山寺祭り

現在の日吉大社の祭神は「大山咋大神」(おおやまくいのおおかみ)で古代比叡の山、近畿一円の地主神である。(注、大山咋大神。大年神の子で一名、山末之大主神。大津市の日吉(ひえ)大社の祭神)山寺の日枝神社は最初の日吉大社の分霊社と言えるのである。

日吉大社では32日に「神輿上げの神事」が一斉に行われ、この日から祭りが始まります。二基の神輿が「黄金の巌」のある奥の院へと入られます。この「黄金の巌」は、古代湖国の人々が神々の恵みに対して感謝の気持ちを捧げ た貴重な古代祭祀の場であったのです。この大巌での祭りこそ、我々祖先の原始の姿なのです。

この奥の院に入られた二基の神輿は、男神「大山咋大神」と女神「鴨玉依姫大神」の神輿です。この二基の神輿は4月12日に東本宮へお帰りになり「午の神事」が一斉に行われるまでの1ヶ月間は一般に申しますと、お見合いの期間なのです。

3月2日、入御されたその日から神職は雨の日も風の日も奥の院へ登拝して、神火を献じて奉仕します。翌13日「宵宮場」にお還し申し上げ「宵宮落とし神事」をします。すなわち・・・・・夕闇せまる午後7時頃、大山咋大神と鴨玉依姫大神の間から「加茂別雷神」のご誕生の「宵宮落とし神事」です。

人垣で身動きもできない宵宮場で駕籠を担ぐような姿をした元気のいい若者たちが、激しく神輿を揺り動かして「ドーン、ドーン」と音を立てて坂本中に響き亘る神事なのです。この神輿振り出産前の陣痛を表現したものとされ、女性が見ると安産ができると信仰されています。

上賀茂神社の祭神は「鴨別雷神」で京都三大祭りの一つ「葵祭り」の10日前「御阿礼神事」というものを行います。

山深く「拝観厳禁」の秘儀を行い山王祭でお生まれになった御子神を榊に降霊し、葵祭りの前に霊感を更新するのが神事の意味なのです。

古く源氏物語等の平安文学で祭りと言えば「葵祭り」を指すほどの祭りであったし、山王祭とは密接な関係がありました。

葵祭りの行列の先頭は日吉大社大きな御幣であります。

(注、幣(ぬさ)神に祈るために捧げる物、又、祓いに出す物)

日吉大社の神域には、東に「東本宮」があり、神々の家族構成に基ずき社殿が配置されています主神、大山咋大神の妻神である鴨玉依姫大神は西の樹下宮にあって、神々のご家族の主婦神として最も重要な位置に居られ、家庭の要の位置に居ります。西に主婦(女)が居て家庭を掌握する姿が「大和女」の姿を具現しております。西に居る女と書いて「要」です。又、肉に要と書いて腰です。健康の基は腰です。だから原始の祭りは「人の生きる姿」を具現しているのです。このような日吉大社のお祭りを擬した山寺の山王祭二十一社に分霊して祀り、その社殿も配置もなぞられています。

日吉大社の「黄金の巌」は山寺の御山の岩そのものであり、西の八王子宮は、奥の院に擬え、又、樹下宮に擬しています。

山寺日枝神社の神輿が出発する前に獅子頭が神祓いをします。先ず、獅子頭は「獅子洗の池」で潔斎して身を清め御生まれになる、御子神を寿ぐのです。山寺では獅子頭がこのようにするのは、生き物(けもの)の殺生を禁止した大師と磐司に感謝したからです。

八王子宮へ奉じた神輿は本社へ帰る途中に川原町を境に下三回、上三回神輿振りをするのが「宵宮落とし」に、なぞられています。

山寺祭りと子供神輿

 子供神輿は、日枝神社興行列出発前に、氏子の若子等が本殿に奏じて「御阿礼神事」をなぞられて行われます。

 お生まれになった若々しい御子神の霊感更新にあやかって、若子達が若竹のようにすくすくと育つよう元気に子供神輿を担ぎ回るのです。又行列の中に「子猿」「大猿」が出ます。子猿は幼子九名です。これは、伝教大師の「三諦の教え」で「見猿、聞猿、言猿」の勉学に熱中する教えです。

 日枝神社参道の石段は総数108段で下段は、緩やかに、上段は、急な段となり、黄金の巌のある奥の院急な坂になぞられています。

 このように日枝神社の祭りは日吉祭りをなぞられています。慈覚大師が東北を、巡錫され、各地で開基、中興され、又、地方開発に力を尽くし、国利民福に大いに寄与されました。日枝神社の祭りの原点は、大山咋大神、慈覚大師のご神威とご高徳であろうと思います。


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