東ティモール支援

第3次支援の記録


無事 帰国!

来週8月30日は、独立を宣言した日からちょうど一年です。東ティモールの話題がテレビや新聞に多く載ることと思います。そんなニュースに触れたとき、バイロピテ診療所のことを思い出してあげてください。次回は12月の予定です。
また後日、今回の渡航の詳細についてお伝えいたします。

第3回の医療支援活動終了

 今回は短期ではあったが、バイロピテ診療所を支えているダン先生の本国帰省という状況を受けて、これまでバイロピテで仕事をしたことのある3人の医師が、そのかわりを
 さまざまな形で支えることとなった。3週間、自分のクリニックを閉じてやってきているビッキー先生は、基本的にダン先生の代わりだが、今回のように病気になって仕事で きなくなるとは考えていなかった。そこへ桑山が代わりに入り、技能が向上してきている医学生との協力で、難なく1日の診療を終えることが出来てきたのは非常にうれしい ことである。

 一方で、今日、アイダは「やっぱりインドネシアの医学部には戻れない」といってきた。
「どうして!?」
「だって、家族が猛反対しているんだもん」
「でも戻ろうと思ったんじゃないの?」
「だけど、やっぱり私も心配。インドネシアが信じられないもの」
「・・・」

 と言うわけで、8人の医学生の中で戻るのはファティマだけとなった。
 ファティマの場合は、お父さんが福祉省の役人ということで、インドネシアにも顔が効くようであったが、それにしても今後、医学生たちが自信を持って診療にタッチして
 けるには何年かかるだろうか。昨日も、妊娠8ヶ月の女性に妊娠テストをしていた。どっから見てもおなかは大きく、妊娠していることは誰でも知っているのに、なんで妊娠 テストを?
 また、今朝入院していた女性は、妊娠2ヶ月目で吐き気がひどいというので、吐き気止めの点滴を受けていた。急いで中止してもらったが、これは「つわり」というものだ。 よほどでない限り、2ヶ月目は子どもへの奇形の影響が強いから極力薬は使わない。それに対してこともあろうに「吐き気があるから」というので「薬を点滴で入れてしま  う」とは・・・
 う〜ん、夜の入院は医者が不在でどうしてもスタッフ頼りになるとはいえ、なんともお粗末だ。ダンが聞いたら激怒するだろう。
 でもあきらめず、ひとつひとつ、やっていくしかない。

 今回はバイロピテ診療所と、そこを支えるシアトルに本拠を置くHAIというNGOと、わがIVYの関係が非常に明らかになった。今後の医師派遣、バイロピテ診療所を支 える国際スタッフの給与、特殊な薬の支援、訪問者(ビジター)の受け入れなどを、積極的にこの2つの団体と繰り広げていけることとなった。
 今後もステージで「東ティモール支援ビデオ」を売りながら自己資金を得、このバイロピテの支援を積極的に、しかも長い息をしながら続けていきたい。
 今回は東ティモールのコーヒー豆を生豆で手に入れたので、日本に帰り、必要に応じて、その「炒りたて」のコーヒーをステージで売っていきたい。付加価値がついて、高い とは思うが「東ティモール支援コーヒー」という形で、展開していければと思っている。
「飲んでボランティア!」作戦の展開である。

 木曜日の深夜には帰国しています。

桑山紀彦


バイロピテ日記(8/22)
医者不在の一日

 今日も代診のビッキー先生は調子が悪くて休んでいる。バイロピテは結局桑山一人の 環境に置かれて いる。
 今回の渡航は急に決まったものだったが、ここまで医者が不在の状況とは誰も想像しなかったように 思われる。
 それでも、医学生たちががんばって今日も150人近くの外来患者さんが診察できた。
 
 アイダとファティマは来週インドネシアの医学部に戻るといっているが、肝心のチケットを手に 入れ ていない。という か、「なんとしても手に入れていくぞ!!」というより、のらりくらりとしなが ら様子を見ているという感じが強い。それほどインドネシアに戻るということに対する抵抗は強いの である。正直、今度ここへ来たときもアイダとファティマはいるかもしれない。
 そことがここへきて、出来たばかりの暫定政権指導による東ティモールの保健省はとんでもないポリ シーを出してきた。それは、医学生はまだ医師免許をもっていないのだから、逆に言えば「無」の状 態。その代わりに現在仕事している看護婦(看護士)や保健婦は免許を取得している人たちだから、 医師不在、医師不足を補うのは、医学生ではなく看護婦(看護士)、保健婦であるべきだという理論 が出てきているのである。
 それはそれで有効な考え方だと思う。東ティモール人の看護婦(士)、保健婦には非常に優秀な人が 多いので、十分代わりはできるのではないだろうか。しかしかといって医学生は「無である」という 対応もどうかと思う。
 アイダもファティマも4年生まで勉強しているのだから、知識的にはいいところへ達していると思う そんな「人材」を単純に免許がないからといって「無」と捉えることは、いかにも切捨て型である。 バイロピテは引き続き、この医学生たちへの教育 に力を入れていくが、同時に暫定政権の意向も組 み入れて、他の医療スタッフへのトレーニングも進めていく予定である。

  ニカ(向かって右)、12歳。マリア(左)、8歳

子どもだけの受診
 ステージでも必ず語っているが、今日も子どもだけの受診が多かった。
 ニカは12歳。今日は熱が出て気分が優れないので、病院にやってきた。でもいつも一緒に遊んでい るマリア(8歳)も、同じように熱があるので、一緒に病院へ行こうと話し合い、乗合バスに乗っ  てバイロピテにやってきた。熱は幸い37度の前半だけど、このくらいの熱のときが一番辛いもの  だ。けれど二人はそんな感じはぜんぜん見せないで、ちゃんとこっちの問いかけに応えていた。頼も しい話である。
 結局熱は下がってきているので、ビタミンCを処方してまずは帰ってもらった。
 誰が教えたのか、こっちの問いかけに一言一言、はっきりと答えるその様は、日本の大学生でも難し いのではないかといえるほど「凛」としていて気持ちよかった。
 写真をとるときも終始一緒で、とっても仲のいいニカとマリア。
 これからも仲良く大きくなっていくといい

 ただし夕方のシマ蚊には刺されないようにね。マラリアになりやすいんだよ。

 超短期の今回のミッションは明日の午前の診療で終わり、夕方にはオーストラリアのダーウインに出 国します。
 また明日の記事をお楽しみに!!

 桑山


バイロピテ日記(8/21)

少女の死

 彼女が来たとき、既に彼女は事切れていたと思う。どう診察しても息をしていない。血圧もゼロだ。しかし 医学生のファティマは心臓の
 鼓動がするという。よく耳を澄ませて聴いてみたが、それはおそらく集中しすぎて聞こえてくる自分の鼓動 だろう。心臓も動いてない。
 10歳の、早すぎる死だった。
 高熱を出しつづけても自宅療養をしていた彼女、熱が下がり始めてよくなるかと思ったが、朝になったら突 然心臓発作に襲われたようである。何の前触れもなく、彼女は息を引き取った。なきがらを抱きかかえて、 病院の前に止まっているスタッフのクルマまで運んだ。10歳の少女の身体は思いのほか軽い。でもその数 十メートルがとても長く感じた。そのうち右足がびっしょりとしているのに気づいた。ズボンが上から下ま でぬれている。
 逝ってしまった少女のものだった。
 けれど、不思議とぜんぜん不潔には思わなかった。あえて神聖な感じがした。彼女が生きているときに濾さ れたものである。膀胱にたまっていたものが流れ出たのだ。唯一の生きていたときの証し。
 日本で医者をしていると、少女のなきがらを抱えて運ぶということは滅多にないが、
 今回はバイロピテに来ての初めがこれであった。とても短い支援活動 だが、こんなふうに激動の中にバイ ロピテ診療所は息づいている。

今日は医者一人
 ダン先生がはじめての故郷の帰省のために留守中である現在、バイロピテ診療所は変わりの医者として、ダ ーウインで 開業しているビッキー先生が代診している。ところが今朝からビッキー先生はひどい下痢でお 休みだ。とすると・・・結局偶然のようにここへ来たDr. Kay(ドクターケイ、とこっちでは呼ばれている)  が今日はたった一人の医者として診療するしかない。
 突然とはいえ、バイロピテのもろさが見えてくるような事態だ。
 幸か不幸か、ダン先生が居ないことをみんな知っていて、患者さんの数は3割減といったところ、今日は2 00人あまりですむのではないだろうか・・・。 医学生たちと協力して何とか、今日は7時までに は終わっ た。                        

                                   患者さんでにぎわうバイロピテ診療所     

 

戻れない医学生
 
 昼にいってみると、なんとインドネシアの大学へ戻ったはずのアイダがいるではないか。
「あれ、どうしてここにいるの?」
「いけなかったんだ、お金とかなくて・・・」
「じゃあどうするの?」
「今度こそ来週いくよ」
「チケットは?」
「明日取れると思う」                          
「お金は?」
「ないけど何とかするよ」
 ファティマとアイダは今年6月には戻っていはずだった。でも今日も2人と一緒に診療をした。実は本当に 戻れるかどうかわからない状況なのである。
 まずお金の不足、そして次いでインドネシア人の対応を恐れているのだ。本当は復学して医者になって戻っ て来たいと思っている彼女たちだが、それを国という壁が大きく阻んでいる。個人の夢を、政治や体制が阻 むという事態が、この国ではまだまだ日常の中にあるだ。
 8人に増えたい学生の中で、来週にひょっとしたらいけるかもしれないのは、アイダとファティマだけ・・・
 あとの6人はお金の問題や体制の問題で、医学の道をあきらめなければならないのだ・・・。           
 私たちに一体何が出来るだろうか 

 桑山紀彦(8/21)                         

                                     診察する医学生たち 
                    

3度目のディリ!

 3度目の東ティモールに入った。
 前回6月よりも確実に涼しくなっている。ここは南半球である。飛行機の乗り継ぎもいいパターンが見つかり、ある日の夜9時40分に成田空港をたつと、夜中飛んで、乗り継ぎを2回することにはなるが、翌日の午後2時過ぎには東ティモールのディリに着いている。総合計すると17時間で着く。近くなったものだ。

 ディリの街は少しづつ変わってきている。外国資本の店が増えた。カフェもしゃれたものが登場し、ついに街中にスーパーマーケットが誕生していた。これはつまり「商品が棚にきちんと並べられている店」という意味になるが、92年〜93年ごろのカンボジアの首都、プノンペンを思い出させる光景である。

 さて、バイロピテ診療所は変わらないたたずまいであるが、今日は日曜日だったのでひっそりとしていた。しかし外来部分には懐かしい顔。医学生のユーディ、ファティマ、エリアが暇そうに居たのだ。思わず歓声。懐かしい再開を果たした。
 ファティマはもう大学に戻っていたと思ったが、渡航費や最初の授業料の工面がつかなくて待機中である。結局アイダだけがデンパサール大学に戻ったのみだった。道は険しい。
 
 ダン先生は2年ぶりの故郷帰省中で9月6日帰ってくる。変わりにダーウインの女医、ヴィッキー先生が代診しているが、体力的な問題があって、夕方の4時には診療を止めてし まうとのこと。医学生は手探りで診療に携わらなければいけなくなる。
 結局明日も朝から診療に参加することとなった。ダンがいないと、調和が乱れ、求心力がなくなっている感じがする。それはいかにダン先生がカリスマであるかを物語っているが、支援 活動としてはマイナスだ。ダン先生が居なくてもちゃんと機能するバイロピテ診療所になっていかなければならない。

 明日は忙しい月曜日だ

 今日は夕陽がきれいだった

 桑山紀彦


第3回東ティモール支援活動へ出発!

 8月19日より、3回目の東ティモール支援のため現地入りします。
 今回は1週間ほどの滞在期間となりますが、現地での医療活動の他に、これからの支援の方向性についても現地スタッフと話し
 あってくる予定です。今後継続して支援していく為に、現地の状況を把握し今後何が必要となってくるのか、それらを把握する
 システムを確立しておく必要があります。また、これからの東ティモールの課題として「人を育てる」ことをあげましたが、そ
 の部分でどのような形で支援していけるのか、合わせて模索してくる予定です。

 現在、ダン先生は東ティモールで診療を始めて以来、なんと初の夏休みをとっています。ふるさとアメリカに一時帰国している
 とのことで、現在バイロピテ診療所では、オーストラリア人のDr.ヴィッキー(女医さん)が毎日診療にあたっています。
 現地入りすれば、また2人で多くの患者さんを診ることになりますが、随時また現地の状況をお伝えしていきますので、お待ち
 ください。(8/17)


 

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