バイロピテの行く末 バイロピテ診療所が、戦火の中に立ち上がって既に3年目が過ぎている。その間、ダン医師を中心に緊急医療を担う 存在として、かなり活躍してきた。来るものは決して拒まない。できるだけ24時間体制で、患者サイドに立ち続け るダン医師の姿は新聞や雑誌の表紙にもなった。しかしいよいよ立国の段階に入って、このバイロピテ診療所がどこ へ行くのか、親権に考えなければならない時が来ている。 ところが、その病院へ赤ちゃんを送り届けたオーストラリア人ソーシャルワーカーのモリーンは、「国立病院ていっ たってひどいところだった。忙しいとは思うけど、緊急だっていうのに、地面に座らせようとしたり、長時間誰も声 をかけない。まさにこられても迷惑って感じだった」 バイロピテ診療所のティモール化を本当に真剣に考えなければならない。 (桑山はあと数日で診療を終え、1月1日に日本に帰国します) 皆さん、よいお年を! |
診療 3日目 (12/27) |
オーストラリアからビッキー医師が来て、新井医師と合流し、現在桑山と一緒に働きながら、このダン医師ではない医師たちは、ある試みをしている。それは入院患者さんを持たないということだ。 現地駐在の山西さんはすごい。 |
診療 2日目(12/26) 朝、現在この病院を守っているオーストラリア人のビッキー医師に会う。久しぶりだけど、仲がいい。ダーウインの彼女の家まで押しかけていった経緯もあるし・・・。元気そうである。昨年末はけっきょくビッキーが倒れて、その代わりに桑山一人で病院を診ていたことがあった。 さて、午前の診察が始まった。 |
診察室で。女の子の熱は40度 |
さて、午後はビッキ医師が所用で来なかったので一人で診たが、それでも30人をこえる。ここでこのバイロピテ診療所が大きく変わろうとしている事態に出会った。それは、患者さんの受け付け時間を区切り、それをこえた場合は「診察しない」という姿勢になっていることである。 これは時間外に来た場合はよほどの緊急でない限り診ないという姿勢に基づくものであるが、それはこのバイロピテ診療所が緊急救援の病院から、一般の市中病院に変貌してきたということも現れなのである。 緊急救援時代の病院は、とにかく24時間体制、誰が来ても診るという姿勢が大切だが、東ティモールが立国していくにあたって、現在ディリ市内だけでも10を越える病院が稼働するまでになった。そしてその病院同士が役割分担をして、バランスをつくりつつあるのである。そんな中で、救急対応の病院もあるし、そこはある程度ちゃんとした設備と医師数が確保されているので、バイロピテは時間外の人を診なくても、そこへ行ってもらう ことで医療は受けられるようになっているのである。だから、時間外に来た人はよほどひどくない限り「診ない」という姿勢を「とれるようにまでなった」のである。 だから、午後も30人近くで終わった。 これでいいのだと思う。以前のように1日700人をこえた!と誇っているようなことでは本当の意味で、ディリ市内の病院の役割分担ができていかない。現在のアフガニスタンなどであれば、そういった「緊急救援、何でもござれ」的な状況が望まれるし、そういった状況にもなってしまうのであろうが、東ティモールは、国となるべくがんばっているのだから、バイロピテ診療所は、病院としての役割をここで再度確認しなければならない時期に来ているのである。 それは、「緊急救援型の病院」ではなく「一般の市中病院」として安定していくことなのではないだろうか。 午後の診療が「患者さんが切れて、7時近くで終わる」のではなく、「時間が来て終わる」ようになったことは、やはり「発展」と呼びたいし、そんなふうにたくさんの病院が稼働するようになったことを、喜びたいと思った。 IVYとしての関わりも、従って転機に来ているし、一般の市中病院になっていこうとするのであれば、どんな支援ができるか・・・今まさに再検討の時期である。仮にあくまでダン医師が自分のこれまでの経緯に固執するあまり、バイロピテ診療所を「何でもござれの緊急救援型病院」として私物化していくようであれば、その方向性にIVYとしては協力できないという意思をはっきりさせる時期に来ている。 東ティモールの公立病院として、ディリ市内の病院との役割分担と連携をすすめていく方向性が打ち出されていくのであればIVYは引き続き支援していけるが、そうでない限りは、ダン医師の個人的な情熱のみに振り回される事態にもなりかねないこのバイロピテ診療所との関わりをどうするか、真剣に考えなければならない状況になっている。 |
第7回目の東ティモールについた 明日から診療開始。 |