これからのバイロピテ診療所 いよいよバイロピテ診療所にも新しい政府との契約の時期が来た。結局政府が作った保健医療プランに則って運営を進めていく必要があるわけだから、これは来るべくしてきたものといえる。バイロピテはその規模や役割から、外来部門を中心とした病院としての運営を期待されている。従って新政府は外来部門の支援を中心に行っていくことになりそうだ。しかしバイロピテ診療所としては、病棟部門も引き続き運営していきたい。そこで、その病棟部門は我がIVYが全面的に受け持つことになりそうである。もちろんスタッフは現状維持で行くので、その運営や人件費をこちらでカバーしていくわけだ。まあ、そしていつの日か、医療プランが出揃って、全体的な視野に再度立ったとき、バイロピテの病棟部門が果たしてきた役割が再認識あれて、そこを新政府が支援する方向を水面下で行っていくしかないだろう。 |
そんな現地駐在山西さんの趣味は、「チビ」である。 「お、サバ缶、山西さん料理して食べるんですか?」 ともすればこの国では食べていくのに必死で、犬や猫に 名前をつけて飼うことはしない場合が多い。 桑山は10日の夜に成田に帰国の予定。 |
バイロピテ日誌 7.7 今日病院にラモスホルタがやってきた。 93年のノーベル平和賞を受けた、東ティモール独立のために戦った政治家である。この年のノーベル平和賞はラモスホルタとともに、ベロ司教という東ティモール人の宗教的心の支えとなっている人も同時に受賞しているが、これをインドネシアはまったくなかったことのようにあしらっている。 そのラモスホルタは、でっぷりと太った政治家風の人だった。しかしその洗練された英語と身のこなしは、まさに知識階級という感じ。ヨーロッパで勉強してときに反旗を翻し、祖国独立のために戦ってきた人だが、きっと教育を十分に受け、いろんな事が見えるようになってきたために、そういったいばらの道を歩んできたのだろう。知らなければよかったことも、教育によって、その個人の知識は触発されその人との知るところとなり、自分に嘘はつけないという生き方ゆえに、このいばらの道を歩んで来たに違いない。 その祖国も、ようやく24年ぶりに立を宣言、そして来月8月30日には最終的な選挙だ。これで独立の最終段階を迎える。ラモスホルタもその政治の中心に位置するだろう。現在も外務大臣的な活動をしているので、その要職につくように思われる。その彼が、バイロピテを出る時に、病院の入り口にいつもある椰子の葉っぱをふた駄菓子屋の屋台に立ち寄り、ジュースを買っていた。そのなんとも庶民的な風景に結構打たれた。 大統領になると目されているシャナナ・グスマンよりも人々の人気が高いというものわかるような気がした。 |
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バイロピテ日誌 7.6 今日も気持ちのいい晴れの日だった |
風の島 2001.7.5 雨季がまだ続いてお手、雨が激しく降る首都のディリ 「じゃあ、ミーティング行くからよろしく」 そして念願のトヨタカローラ山形から送られてきたRAV-4が走っているではないか。 |
念願のRAV−4の前 でっかい「IVY]のロゴが目立つ。なかなか抑えた色でい い。これは正解だった。 昼はさすがに暑いが、朝と夕方は冷え込むディリからの 第1報でした。 |