第2回目の東ティモール緊急医療救援活動報告
バイロピテ診療所よりリアルタイムで活動状況をお知らせします |
現時点で考えられる東ティモールの課題は大きく分けると以下の通りであろう。
1)人材、モノ、社会資源の圧倒的な不足
2)教育機関の欠如
3)外国資本への依存、海外支援組織などへの依存
4)インドネシアとの関係
1)人材、モノ、社会資源の欠如
いまだディリ市内でもよく停電する。夕方の6時に電力が落ちてそのまま朝まで回復しないという事態は珍しくはない。
また水の供給は全くといっていいほどなく、各家庭はいまだ井戸水に頼っている。ホテルや諸機関なども昼のうちに水を
タンクにくみ上げておいて、それを利用するという状況である。従って、インフラの整備が緊急課題である。
一方でオーストラリアなどからモノは入ってくるようになった。しかし日常生活用品が中心で、まだまだ値段が高い。
そして最悪なことに、ゴミの処理などのシステムが全く出来ていないため、海外から持ち込まれたポリ容器などは道端に
放置されているような状況である。
コカコーラはどこでも飲めるようになったが、実はそれを回収したり、ましてやリサイクルするようなシステムは全く
存在しないのである。それでどうなるかといえば、結局道端や空き地に放置されていくという状況が生まれていくのである。
今のディリはまさにそれである。
バイロピテに見られるように、医療を担う専門家は極端に少ない。たとえば医師はいまだ27人と伝えられている(一説
には35人という話もあるが、大した違いではないように思われる)。では、その医師を育てる大学医学部があるかといえば
全くないのである。どうやってこの国の「東ティモール人医師」を増やすといいのか・・・。少なくとも国連の暫定統治下にあっ
たカンボジア(92年〜)でも、プノンペン大学に医学部があり、その卒業生はさまざまなNGOと関わって場合によっては
日本に留学し、祖国へ帰ったのち、現在もその医療の発展に寄与して
いる若き青年医師もいる。その意味においては、東ティモールは今後大学医学部を設置し、そこから医師を輩出しなければな
らないのである。一体どのくらいの年数がかかるのだろうか・・・。この点は非常に気になるところである。実際、インドネシア
の大学医学部に行っていて、やむなく休学しているバイロピテ診療所の医学生(6人)についても、2人を除いて復学は不透
明である。7月より戻れるかもしれないアイダ、ファティマはいいが、ジュリア、ジョーは不明。ユーディとエリアは家族が
昨年の騒乱でなくなり、金銭的な面で復学を断念している。
医師だけが衣料を担うものではもちろんない。しかし、少なくともその医師の絶対数はいまだ増える可能性がないことは厳
然たる事実なのである。
2)教育機関の遅れている復興
先にも述べた大学機関などはもちろんのことだが、各地域の小学校や高校の破壊もすさまじい。現地に駐在を置く5つの日本
のNGOの中で小学校の修復を行っているPARCパルク:アジア太平洋資料センター)によれば、実に8割以上の学校が破壊
されたという。そしてまともに授業できるところは3割程度。みんな青空教室や、小さな公民館などを利用して学習を続けてい
るという。国つくりにあたって非常に大切なこの「教育」の立ち遅れは最小限にとどめなければならない。ポルトガルの医療系
NGO,AMIは看護学校の復興に助力しているが、実際に臨床の研修などを受け入れる機関が少なく、「実践」を重要視する
医学において、物足りない教育状況となってしまっている。
3)外国資本への依存、海外支援組織などへの依存
現在東ティモールは国際救援機関(国連系、各国政府系)、国際NGOのラッシュである。実にNGOだけでも既に200
以上が現地駐在を置いているといわれ、その配置分布も非常に複雑である。
日本のNGOラッシュとなったカンボジアも、最大で30に近い日本のNGOが入った時期があったが、現在東ティモールに
駐在を置いているNGOは5つ。数的には少ないものの、JVC(日本国際ボランティアセンター)なども今後展開を予定して
おり、再びカンボジア的にNGOラッシュになる可能性がある。
そこで起きているのが、圧倒的なその支援への依存である。英語の話せる人材はすべてといっていいほどそういった国際機関
で働いているため、学校の英語教師がみんないなくなったとの報告があるくらいである。そして各国からこぞってやってきた諸
機関、NGOからは専門家という人たちがたくさんやってきて、東ティモール人は完全な「通訳」として働かされている。本当
は海外からやってきた専門家はそういった英語の話せる東ティモール人に何かを「伝える」という志向をもって接するべきであ
るのに、自分がまずその地で活動することを第一義にしている可能性が高い。
それはバイロピテに1週間だけやってきた沖縄駐留米軍の歯科医チームの一件を見ると明らかである。
そして正直に言うならば、桑山だって、ましてやダン先生だって、実は常にこの問題のぎりぎりのところにいる。自分にある
程度の知識がある場合、それを現場で実行することで実は自己完結してしまうからだ。それを避けようとするならば、東ティモ
ールの人々の「教育」や「依存のない関係」に役に立つとは思われるが、その支援の効果のほどが遅遅としているように感じら
れて、なかなか実行できないものである。
「役立つんなら私がしましょう」という思考で外国からの支援が行われている現状では、なかなか東ティモールの人材育成や、
依存のない関係の構築には難しいということになってしまいかねないのである。
それは支援を目的とする機関だけではない。経済活動を目的に多くの企業がこの国に入ってきている。日本の企業しかりであ
るが特に目立つのがオーストラリアの存在だ。東ティモールでは携帯電話が容易に通じる。それはオーストラリアの電話会社が
鉄塔を立ち上げ、海中ケーブルでオーストラリア国内と結んだためにオーストラリア国内と同じ状況が生まれたのである。この
たびようやく東ティモールの国番号670が復活した。バイロピテ診療所も昔の電話番号が復活して電話がなるようになったの
だが、なんと桑山が持っている携帯電話からバイロピテに電話する場合は、国際認識番号の0011をダイヤルし、東ティモー
ルの国番号670をダイヤル。そしてディリの市外局番390をダイヤルしてようやく通じるのである。
バイロピテ診療所の中から、すぐ横の電話にかけるのに国際電話をかけるのである。もちろんこのオーストラリアの電話会社
が携帯を通じるようにしてくれたから、この記事も写真もムービーもすべて送信できたわけであるが、これでは東ティモールの
電話会社が育たない。結局はオーストラリア資本に依存していく構図が出来上がっていくわけである。
携帯電話の是非はともかく、何もないとこからの出発であるこの東ティモールの経済状況を考えれば、すべてが他人によって
まかなわれる「完全介護状態」になってしまうこともありうる。
主要産業にあげられるコーヒー豆。
これは昔インドネシアに安くたたかれていた。しかし今年からはオーストラリアにひどくたたかれているという。いつもの3
分の一の値段での取引になってしまっているようだ。結局インドネシアの国内での集荷や加工よりも、オーストラリアので集荷
や消費の方が圧倒的にコスト高であるために、このような事態になってしまっているようだ。インドネシアよりもオーストラリ
アの方がよりシビアであるといわざるを得ない。もちろんだからといってこの小さな国での他国の経済活動を制限するべきだと
いう論調ではない。大切なことは国内産業を育てるような形での対応が必要であるということである。それはいきなり国際競争
力を突きつけて、安くたたくのではなく、ある一定期間ではあっても保護的に国内産業の充実を図るような対応の仕方をしてい
くべきだという意味である。
「東ティモールの産品は割高だってさ」
「なんで?」
「だって、今独り立ちしようとしているんだからさ、少しは”協力の姿勢”でいかなきゃね」
といった会話で、経済活動を保護していってほしいものだと思う。
今後のIVYの方向性
今後のIVYの方向性は空くまでこのバイロピテ診療所と関わっていくという一本である。人材派遣、薬剤や機材の提供をとり
あえずは今年の課題としてあげていく方針である。
しかしその一方で、バイロピテの診療所を支えている外国人スタッフの人件費がそこをついている事実。家の経済的な理由で医
学部への復帰をあきらめかけている2人の医学生への奨学金などの検討も課題として上がってきている。
大切なことは、支援を目的として集められたお金をどうすれば最も有効に現地を支えるために使えるかだ。しかしその答えは簡
単である。お金だけ送ればいいのである。ところが、それはNGOとしてのIVYのあり方ともまた違う。ここが最も重要な部分だ。
私たちは市民活動をしている。
それは草の根っこのような活動だ。その意味とは、このバイロピテ診療所とのかかわりをきっかけに多くの日本人に、この東ティモ
ールという国への興味や関心をもってもらうことを目的としている。
ダン先生の生き様。医学生たちの姿。踏みつけられるだけ踏みつけられて名前も知らせないままに死んでいく患者さんたち・・・。
そんなことを日本に届け、そこから「自分」と「世界のつながり」のようなものを感じていってもらうこと。それも市民活動として
の役割であろう。
だから桑山は行く。桑山の渡航費と同じだけの金額を現地に送金すればそれなりの薬は買えるだろう。しかし、それはNGOと
してのあり方ではないと思う。草の根っこのような情報、それこそ「身近な、自分の回りでもありそうな情報」を伝えていくことで、
「なんだ東ティモールも、日本と似たところがあるじゃないか」とか「ええ?そんなことは日本では考えられないな」といった情報を
届けていくことで、自分と世界のつながりを作るための糧にしていってほしいと願っているのだ。
いつの日かスタディツアーも計画したい。
「遠い国の話し」ではなく「自分が見てきた国の話し」として語れるようなスタディツアーだ。そうして「日本だけ平和ならいいよ」
という志向ではない人たちが次は自分の行動を起こしていけばいいのではないだろうか。
NGOとしては、そのきっかけに少しでも寄与したいと思っているのである。
ダーウインに出国して常宿の温水シャワーに触れた瞬間、思わず桑山は、「いや〜、お湯は人類の最高の友だちだなあ!!」と
叫んでしまった。日本に住んでいればあたりまえに手に入る水と電気を使ってお湯は作られる。どちらも滞っている東ティモールの
水浴びの毎日を思い出したものだ。
こういった小さな気づきこそ、今の日本を見直すきっかけになったりするものであろう。
次回の派遣がまた決まったらホームページ上でお知らせします。
皆さんの身近なところで「地球のステージ」の公演がありましたらぜひおいでください。
「東ティモール篇」だけでなく旧ユーゴ篇やフィリピン篇をお楽しみに。
桑山紀彦
出国直前まで診察 日曜日も休まないダン先生にくっついて、今日も朝から病棟の回診である。昨日の夜、乱闘騒ぎで頭を石で殴られた女性は、結局国際 赤十字の病院へ運んだ。おそらく頭蓋骨陥没骨折で意識はなかなか戻りにくいかもしれない。髄液が流れ出ていた。 ダーウインのビッキー医師 ダーウインのビッキー先生にあった。なんと本名がビッキーであった。お年は50まじかの温和な先生。一人で開業を営み、アロマセ ラピーなども行っているユニークな内科医だ。 長い間のご愛読、ありがとうございました。帰国後、総まとめを掲載し、第2回の支援活動の締めくくりとしたいと思っています。 |
ついに最終日を迎えた。
7時を過ぎてようやく土曜の診療が終わった。最後は流産の 女性を緊救命病院に送るという仕事だった。どっと疲れてダ ン
の診察室で写真をとった。
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薬が届いた!! 今日はうれしい日だった。なんと薬が届いたのだった。そこにはリクエストした薬がちゃんとあった。まず解熱剤。しかも注射剤だから即効性がある。これは入院している |
薬の箱が届いた。アイダとユーディ、喜ぶ(2人とも医学生) 診察室で抗生物質を持ち喜ぶ桑山。皆さんの善意の結晶です |
今回の医療支援活動も終わりに近づいている。 半月といっても早いものである。合計で日本を離れているのは17日間にもなるが、それでもやり残していることは多いように感じる。 2月の時点の活動が緊急救援であったとすれば、今回の活動は教育支援であるように思う。 バイロピテは東ティモールの中核病院であるから、さまざまな人材がここで育成され、各地方へちらばりそこで保健や医療を展開していくことが望ましいように思う。その意味においては「言葉の出来ない医者」は邪魔になるだけ・・・という厳しい現状が見えてきている。 患者さんはテトゥン語を使って診療に来る。それをたとえば医学生に「通訳」してもらっては、ぜんぜん人材育成にならない。医学生が診察しようとする傍らで、そのテトゥン語を理解し会話に割って入るような医者でなければ、いるだけ邪魔になってきているのである。 その意味で桑山は必死だったと思う。今週にはいってからはほぼ一人で診察はできるようになった。難しい会話になったときだけは助けてもらうが、9割程度は自分で診察できる。それはテトゥン語が非常に文法に簡易であり、語彙を並べるだけという珍しい言語であることに救われている。診察室で使う多くの単語を覚えれば、それを順番につないでいくことで、十分会話になるし、東ティモールの人たちも同じような会話形式なのである。そこに、テトゥン語のありがたさと、臨床の現場で使いやすいという偶然の一致があって、桑山は救われてきた。 今日も午後からは医学生に診察してもらいながら、傍らでいろいろ文句を言う「教官(失礼)」になっていたが、それが教育的支援のひとつの形であろう。 今日はシェア(国際保健協力市民の会)の短期派遣の医師がずっと診察室に入り、テトゥン語を勉強していった。その姿勢がなければ、今後この地域の医療の発展には寄与できないように思われる。 |
アイダに縫合の仕方を教える「支援する」ということは大変だ。 特に実際に行って支援するとなると、さまざまなことが条件として出てくる。けれど、テトゥン語を勉強してでもこの支援を続けていきたいというひとつの理由にやはり日本とつなげていきたいという気持ちがある。 既に薬剤緊急支援にさまざまな反応をいただいている。 それは今まで遠い国だったこの東ティモールが、その人々の中で身近になっているからだ。それはすばらしいことであり、NHKニュースを見ても「ふーん」で過ぎてしまいそうなことかもしれないのに、「そりゃ大変だなあ」と思ってもらえる人々が周りにいてくれるということのうれしさ。それはこのバイロピテとつながっているから可能なのであろう。 昨夜ダンとビールを飲みながらこのことを話したら、 「そうか、それはうれしい!!日本のみんなにもっと知ってもらえるよう、明日も戦おう(ダンはこの言葉がすき)!!」といっていた。 興味をもってもらえることは、現場の人間には本当にうれしいことなのである。 |
ディリの治安 ディリ市内の治安は非常にいい状態である。 |
ディリ市内、カテドラル横の廃墟 |
今日は珍しく空いている一日だった。 そんな暇な時間があったので、医学生のアイダにビデオを見せた。 この南の島で貧相な暮らしをしている桑山の現状報告 下着・・最大で6日間は同じ物がはけるけど、それ以上は無理ということがわかった ちゃんちゃん 桑山紀彦 |
いつもの月曜日がまたやってきた |
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今日は日曜日だが、バイロピテには日曜日はない。 そのあと巡回診療に向かったが、ファリンテルという抵抗組織で独立のために戦いつづけてきた男性で、拷問にあって脊髄を損傷させられて以来寝たきりの状態のところへ向かった。 さて、月曜日が始まる 桑山 |
今日は、突然だけどアグネス・チャンが来た。 ダンや病院のスタッフが、誰なんだ?というので日本の歌手で、マイケル・チャンの妹だと適当なことを言うと、そういう名前の香港 人スターがいたよなあと妙にみんな納得して、とっても有名な人が来るんだ・・と想像していたようだ。 いざアグネス・チャンが来てみるとそれは小柄な人で、ダンに並ぶと子どものようだった。 でも、何故か(というか日本人はこのクリニックに一人だけ だから)僕が彼女の案内役になってしまった。後ろからは最低3つの マスコミがカメラで追いかけてきている。 こりゃ大変な物々しさだ。 一応外来を中断して、全部説明したが最後にツーショットでインタビューを・・・とNHKの人が言うではないか。 そりゃ光栄だ・・と思いつつ、この地で活動する他のNGO,シェアや居候しているパルクのみんなに申し訳ないなあとつくづく思いつつ、すかさずインタビューに入った。 伝えたかったことは2つだった。 緊急救援のフェースが抜けてきて、だんだん国際社会で忘れられてき始めている今、一番危険。薬がなくなってきたりするのは顕著な例で、そういったちぐはぐな国際社会の姿勢が、結局は東ティモールの人を傷つける・・。 自分たちは忘れられていっている・・・という思いの一方で、じゃあ、自分たちは独り立ちするんだ!という強い意思と財力があ ればいいが、後者がない状況だと、結局ひどく落ち込んでしまうことになる。 継続性と息の長い支援をするべきだという点。 バイロピテを訪ねてきたアグネスチャン 病棟はマラリアの患者さんであふれかえっている |
2点目は、あの事変から8ヶ月以上が過ぎて、そろそろ心の傷を負った人が表面に出始めているということ・・・。壁の落書きは相変
わらずあるし、多くが子どもが描いた殺戮の風景であるが、実は外来でもちらほら見かけるようになってきているのである。 今日は、最大の信頼を置く抗生物質、アモキシリンがあと300錠となった。これでは15人に出したらもう終わりだ。 桑山紀彦 |
今日は朝から暑かった まさに熱帯という感じのねっとりした暑さが朝から街を覆っていた。 薬の話題では残念なことが多いが今日はうれしいことがあった。 午前の診療が一段落しかけたとき、なんだか屈強な男が診察室に入ってきたのである。 「Mora Sa Ida?(どうしましたか?)」 「Meal, Inusbein...(咳と鼻水が・・)」 いつもの会話であるが、なんとなく外国人なれしているような雰囲気を持っているので、冗談で 「オリンピックにでも出るの?」 と聞いたら 「そうなんだ」 「そうだよね、屈強だもんね。ボクシング選手だったりして・・・」 「そうなんだよ」 「ハハハ・・・・冗談でしょ?」 「いいや、ホントさ」 |
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というわけで、なんと東ティモールはオリンピックに初出場するのだ。でももちろんいまだ国として成り立っているわけではなく「国連暫定統治中」という形なのだが、オーストラリアで開催というので、かなりオーストラリア、オリンピック協会を説得したのだろう。だって東ティモールの盟友を誇るオーストラリアだから・・・。 そんなわけでひょんなことからオリンピック選手の診察をしたわけだが、そのあともウエイトリフティングの選手が腰痛で(そりゃそうだよね)来院したりもした。 そんなところに、この国が国として成り立ちつつあることを感じ、とってもうれしくなった。 でも、念入りに診察すればするほど、筋肉はついていてもやはり身体が細い。ボクシングはまだしも、ウエイトリフティングの彼は、結構きついのではないだろうか。 |
でも何はともあれ「参加することに意義がある」オリンピックである。 今日は抗生物質のケフラールが切れた・・・。 |
今日もある薬が底をついた そこで、これまでは決して募金の求めなどをすることはなかった「地球のステージ」があえて、ここで緊急募金を行いたいと思います。 500円の支援で熱のある子どもに1週間分の解熱剤と抗生物質を提供できます。 |
何口でも結構ですので、ぜひ募金を下さい。 3000円で6人の患者さんの熱を下げ、快方へ向 熱のある子にどうやって解熱剤を出すのか・・・
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緊急事態 困った。薬がどんどん底をつきかけている。 「あるものを使っていくしかない」状況が始まった。 でもうれしいことに血の混じった下痢が続いてたエリアス(仮名)、3歳の男の子の熱が下がってきた。下痢も収まり加減・・・ 雨季最後の雨雲が、深く垂れ込めているディリ、バイロピテ診療所より・・・ 桑山紀彦 |
グえ〜っ、ぐギャ〜!! 朝からすごい声で目がさめた。なんだなんだ!! さて、バイロピテは大きく変わった。 もはや掘っ立て小屋ではなくなっている |
〈新しくなったバイロピテ診療所〉 |
しかし一方で問題は薬が尽きてきていることだ。 救急でERに患者さんを運んだり(バイロピテでは扱えないレベル)、 往診に行ったりと、あわただしい1日が終わったが、印象としては右記 の状況である。 |
1)マラリアが減ってきている・・乾季に入ったためのある 最後にダン先生と別れるとき、彼は言った。 医学生、アイダに言われた。 桑山紀彦 |
バイロピテの風 ようやくディリにつきました。 さて、少し休んですぐにバイロピテ診療所へ向かいました。 |
〈バイロピテの診察〉 〜医学生テルマと共に〜 |
そうしてついに今日も100人を超えるかという状況になったとき、ついにまた最 悪の患者さんがやってきました。5歳の男の子、血の混じった下痢、40度の高熱、 吐き気、全身の脱力感・・・。 う〜ん、難しい。 赤痢か・・サルモネラか・・・ 日本じゃ滅多に診ることのないこういった疾患にもちゃんと対応していかなければな りません。結局、この子には入院してもらいました。 お母さんが心配そう・・。 一応念のためマラリアの検査もオーダーして(電気が来るようになって、検査なんて ことが出来るようになったんだ!!)、帰路に着く。 あ〜、疲れた。こんな毎日がまた続くのか・・・ 見上げるともう空は真っ暗で、南半球の星が瞬いています。 そしてねぐらに帰ると、いつものあの「洗礼」が待っていました。 「水浴び」シャワーもお湯もないここでは、毎日の風呂はおけからひしゃくで汲んだ 水をぶっ掛ける水浴びです。 久しぶりだなあ・・・でも南半球が冬に向かっていることもあって、今日は少し涼し い・・・。 あ〜!!、首筋が一番辛いんだよね、水が滴るとき・・・ でも5分で慣れて、早速独り言・・・ 「こんなのも楽しいかもね」 さて、いつまで続くやら・・・ 桑山紀彦 ディリ 東ティモール |
〈夜のバイロピテ診療所〉 出来上がっていた |
はじめに それを受けて桑山の所属するNGO、国際ボランティアセンター山形(I VY)は00年度の新規事業として、東ティモール支援事業を承認 し、 このバイロピテ診療所への支援を開始しました。 今回は6月10日〜26日までの期間、桑山が現地で支援活動をすると同 時に医薬品や医療機材を持ち込みます。そして現地から文章、写 真、ビ デオ映像を電子メールで送り、それをこのページに張りつけていくこと で、リアルタイムな活動状況の報告を試みてみたいと思っております。 どうぞ、ご覧ください。 |
6月10日(土)→11日(日) 6月12日(月) |