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NPO法人「地球のステージ」としてのはじめての医師派遣

今後のバイロピテ診療所
2002.12.29


診察する桑山医師


これからどうなるのか、東ティモール

さて、桑山の診察の最終日です。
昨日到着した田中医師も、桑山が「ドクターTと呼ぶのだ!」という指令に添って、「ドクター・テー」とか「ドクター・へー」とか、どこか東北訛りのある呼び方を始めています。当の田中医師はちょっと迷惑なのか「田中です!」と言っています。

さて、バイロピテ診療所は、ちゃんと来る人と、当てにならない人に大きく分かれている状況です。
たとえば事務長のセレステはちゃんと出勤してきます。受付のアメリアは、誰よりも早く来ています。
掃除婦のアフォンソも仕事に徹するプロで、いつもきちんと掃き掃除をしています。その一方、看護師はかなりルーズな人が多いようです。けれど一応誰か一人は最低でもいるという筋は通しているので、常時2人体制である場合、どっちかがどっちかに「ごめん、今度穴埋めするから、今日は一人でやって!」と頼み込み、出勤しない。で、ちゃんとその借りは返されるようで、そんなどっちもどっちな思考の中で看護の仕事が続いています。
 

また薬剤部もちょっとルーズです。けれどいちばん頼りにならないのは、残っている医学生たち。
と言ってもすでに7人のうち6人は留学して、残るはユーディだけです。彼女は結核部門の担当でもありますが、出勤はほとんど当てになりません。子どもが小さいということもあるのですが、他の医学生がみんなそれなりに医師になる道を選んで進んでいるのに、自分だけが・・・と言う気持ちもあって、モチベーションが下がっているようです。しかしセレステの強力なマネージメントの甲斐あって、バイロピテ診療所はちゃんと無料診療の道を突き進んでいます。
今日も結局150人の患者さんが外来でやってきました。
土曜日は、他の公立病院がみんな休みなので、土曜日も普通に開けているバイロピテは人気なのです。こんなところも、完全に独自路線を行くダンの考えが現れています。正直、「国が形つくられていっているのだから、ダンも国の保健指針に従わないと・・・」と思っていたのですが、その国作りが遅々として進まない現状においては、まだまだバイロピテのような非常にユニークかつ、独自路線を行く病院が1つくらいあってもいいのではないかと思うようになっています。
無料診療、土曜日も開ける・・・
それは国の指針には完全に沿ってはいません。
でも今年の初めによく語られた「国の保健行政のあり方」という議論は、現状では残念ながら絵に描いた餅に過ぎず、はなからそれが実践できなくて困っているのが現状です。
だから、まだまだバイロピテ診療所の存在理由は健在であるという印象でした。

いよいよ出発便が近づいていましたが、気になって病棟を最後に回ってみると、朝入院したマラリアを疑う男性が少しよくなっていました。
 「よかった、今日は病院どこも開いていないし、救急はOKって、中央病院は言っているけど、嫌がってなかなか受付けしてもらえないんだ・・・」とこぼしていました。
 

田中医師も診察を始めました。
 まずは通訳付きで・・・
 「あーって言って」
 とのどを開けて声を出してもらうのも、ちゃんと、
 「コリア・アーッ」(=あーって言って)
 とテトゥン語で話していました。
 勉強していたんですね。

これから1月の16日まで、診療を続けるわけでですが、くれぐれも健康にだけは気をつけて欲しいと思っています。

オーストラリアのダーウインへの飛行機の窓から、大きなティモール島が見えていました。
美しい夕日の中に、大きな積乱雲がいくつも重なっていました。
これから「地球のステージ」はさまざまな形でこのバイロピテ診療所の支援を継続していきます。
当面は短期〜中期の医師派遣の仕事です。
 
ダンがいないときはもちろん最重要の仕事ですが、いるときも、医師が一人入るだけでダンの仕事が減り、彼が本来やりたかった保健の仕事にも少しは手が回るでしょう。
このバイロピテ診療所は、さまざまな批判の中で、圧倒的な独自路線を行く病院ですが、それがいったいどんな意味があるのか。国の発展とNGOの活動はどうあるべきなのか。命を守るということは、どういうことなのかを、一緒に学んでいきたいと思っています。

そして年に数回訪れることで得られる知見は、桑山が自ら「地球のステージ」の中で語っていけると思います。

 今後とも、よろしくお願いいたします

2002年年末



バイロピテ
日誌3日目
2002.12.27

27日/3日目

今日も朝から混んでいた
どうしてこんなに混むのでしょうか・・・
他の病院は結構空いているというのに

特に同じ「NGOが運営する」モタエル教会のクリニックは、診察代として1ドルをとっているので、少しお金に余裕がないといけないのでしょう。今日も、朝から熱の子どもでごった返していました。10番目くらいに入ってきたベノイちゃんはまだ8ヶ月ですが、結核にかかっていてガリガリにやせています。熱を計ると38.9度。栄養失調なんだか、結核なんだかわからない状況です。


38.9℃の赤ちゃん


お母さん、何でこんなになるまでほっといたの?
 ・・・ここまでくる車代がないんだもの
近くには病院はないのかな?
 ・・・保健所があるけど、いつも誰もいない
家族の中に結核の人は?
 ・・・おじいちゃんがそうだって言われている
薬は飲んでいるかな?
 ・・・半年飲めといわれているんだけど、時々忘れているのと、足りなくなっても、いつ保健所に薬が届くかわからないんだ
8ヶ月の子どもが結核になるのはね、家族に結核の人がいて、菌を吐き出しているからとね、食べ物が 十分ではないからなんだよ
 ・・・そうダン先生にも言われたけど、なかなか雨が降らなくて・・・


やはり結核のような「食べ物が十分ではないと流行ってくる」傾向の病気はここでも猛威を振るっています。そして不幸にもかかってしまった場合、保健所の情報がまだまだ国つくりの過程の中で届いていないんでしょう、十分伝わっていないので、そのまま放置されているようです。
そしてまだまだ経済状況と健康維持がお互い影響しあっているという悪循環が蔓延しているために、の国では、バイロピテのような運営ポリシー「タダで診察、投薬する」というのが、まだまだ必要なのかもしれません。


田中医師到着

 

さて、午後になって田中医師が到着しました。
暑いのにびっくりしているようです。
でも、これまで研究室からの派遣でバングラディシュ、フィリピン、インドネシアに出かけているので、慣れてくれることでしょう。
 
午後からはクルフンの診療所へいきました。
結核の人が6人、療養生活をしています。
みんな食べ野の至急をうけて、少しずつ回復していました。
やはり「食は命、食と健康は密接な関係」であるようです。

桑山 



バイロピテ診療所
2002.12.27


クリスマス明けで混み合う
バイロピテ診療所

140人の外来

さて、今日26日はクリスマス明けの初日で、140人ジャストの外来患者さんに恵まれ?へとへとです。さすがにダン医師のいないバイロピテは不安だらけですが、何とか今日を乗り切りました。病棟には結核患者さんが3人、今日一人入院してしまいました。彼は泡と血液の混ざった痰をずっと吐き出しています。日本では完全隔離の患者さんですが、今はバイロピテの結核病棟にいてもらっています。とにかく栄養をつけ、薬をきちんと飲んで、ゆっくりと回復してもらうしかないです。

さて、今日の外来でやはり圧倒的に多いのは風邪ですが、マラリアを疑うケースは4ケース。今日顕微鏡診に出したので、明日には結果が返ってくるでしょう。でも特有の土気色をした表情、全身のだるさと悪寒、戦りつ、高熱がそろっているので、基本的には抗マラリア薬を出します。現在、臨床診断のみの場合はファンシダールの1回投与が基本ですが、たった1回の服薬で本当に?という表情でみんな
帰っていきます。
でも、ファンシダールはそういうお薬だからしょうがない・・・。
4ケースのうち1ケースは妊娠中の女性でした。

 
 何ヶ月?
  ・・わかんない
 って?どういうこと
  ・・病院にいったことがないから
 じゃあこうやって生むつもりで?
  ・・そう

 でもこの熱と吐き気はマラリアかもしれないよ
  ・・・・・・・
 うちの病院ではとても診れないから、中央病院にいってもらうよ
  ・・高い?
 う〜ん、安くはないと思うけど
  ・・・・


このままでは絶対に行かないと思ったので、事務長のセレステに頼んで搬送してもらいました。彼女はもともと助産婦ですが病院を背負って立つべく現在は総務を管理しています。
妊娠中のマラリアはもちろんあります。2,3ヶ月期にかかられると、薬が使えなくて大変。でも、高熱と全身の衰弱をみすごすわけにはいかないから、薬剤を投与します。奇形が出る確率はぐんと高まります。バイロピテに唯一残った医学生、ユーディもそうやって妊娠中にマラリアに罹患しました。ちょうど2ヶ月目のころ・・・結婚はしていませんでしたが、ユーディはとにかくこの子どもを生みたいということで、ダンと話し合い、全身管理をしながら対応しました。結局マラリアはそんな安易なものではないので、結局クロロキンを使いましたが、今は元気な2歳の男の子として育っています。


久しぶりのテトゥン語での診察。ユーディの通訳を必要とするかと思われましたが、やっぱり必要に迫られて覚えた言語は身体に染み付いているのか、ぜんぜん通訳なしで140人、こなしました。ただ、1回、避妊薬を注射ではなく、飲み薬でほしいといわれたときにはちょっとわかんなかったですが・・・

 

 


バイロピテはダン先生が支援金獲得のためにヨーロッパを回っていることで、留守になっています。
スタッフは完全に無給の中で働いていますが、それでもちゃんと出勤してきます。
前よりも一生懸命仕事しているようにも見えます。

以前よりは数も減ったけど、やっぱりここで仕事をするんだと決めている人たちの真剣な姿を見ていると、応援したくなります。
明日には東北大学医学部大学院の国際保健を専門とする田中医師が到着します。今回の桑山に始まり田中先生の派遣費用はみんな「地球のステージ」の活動費用でまかなわれています。ステージを広めていくことがすなわち、海外の支援活動に直結することは願っていたことですので、大変うれしい限りです。
 
これからがどんな日々になるのか、桑山がいるときまではお伝えしたいと思っています。


再びバイロピテヘ
 
 2002.12.26


復興進まないディリ市内


ごあいさつ

皆さん、お変わりないでしょうか
現在桑山は東ティモール、ディリ市内にあるバイロピテ診療所で医療支援活動を行っております。
まさに灼熱の地。暑くて暑くて大変です。

12月25日は、クリスマス。敬けんなクリスチャンの国、東ティモールではお休み、国民の祝日で す。でも入院患者さんが2人残っていたので、朝から回診しました。
結核・・・。
お二人とも咳は収まっていましたが、食べるものが十分でなかったため身体の抵抗力がなくてふらふらしています。入院して栄養をつけ、やがて帰れる日を待ちながらの闘病です。続いて薬剤室に入り、薬剤チェックです。やはり主要薬剤を残して、かなりの種類が減っていました。中央薬剤部からの提供が少ないとは聞いていましたが・・・。しかし重要な解熱剤や抗生剤は十分ありました。明日からの診療に備えなければなりません。
26日はクリスマス明けなので、かなりの患者さん数になると思われます。

さて、今回からこのバイロピテ診療所への医師派遣事業はNPO法人「地球のステージ」の正規「海外支援事業」になります。医師派遣事業ですが、桑山は12月23日〜29日、そのあとは、ダン医師が帰国するまでの1月17日まで田中央吾医師が3週間入ります。
 
現在ダン医師はヨーロッパにおり、このバイロピテ診療所を支援してもらうドナー(支援者)集めに奔走しています。その留守を守るために、今回は2人の日本人医師を派遣しました。これまでは「国際ボランティアセンター山形(IVY)」がその派遣を02年3月までしてきたのですが、IVYが東ティモールでは医療事業から撤退し、識字教育支援を行っているために、バイロピテ診療所支援を行うところがなくなっていたのです。

「地球のステージ」で置かれている「東ティモール支援ビデオ」に資金提供募金してくださった方々の善意は集められ、こうしてバイロピテ診療所の留守を守る医師の派遣に使われています。
1日平均150人と、ステージの中では紹介している診療所ですが、ステージで語っていることが、今そこで行われているという意味においては、ステージにもより多くのリアリティを与えてくれることと思います。

ステージで得られた支援金が、こうして目に見える形で現地に使われ、そこで得られた知見をもってして、またステージがアップデートされていく・・・。これこそNPO法人「地球のステージ」が常に願ってきた「かたち」です。
また、Web上で時々公開していきますので、よろしくお願いいたします。

桑山紀彦
ディリ、東ティモール

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