はじめに

「脂肪腫の切除があるから手伝ってやってくれ」
 ついていきなり、ダン医師はそう言ってきた。背部にできた大きなコブの切除である。
 早速その現場に行ってみるといくつもの驚くべきことがあった。まず執刀者は看護士のリマ、腕はいいが小外科手術は医師がするものとは限らないようだ。
脂肪腫の手術

 ついで、清潔不潔の区分けが乏しい。まず滅菌の穴空き布もなければ十分な切除機材もない。しかし今まで見てきたソマリアやカンボジアではよく見る風景だったので、日本と比較してはならないだろうと思うことにした。
 リマは実に見事に脂肪腫を取り除いていく。なるべく手を出さないでいたが、やはりこれだけ大きいと、基底部が癒着していてきれいには剥がれないことが多い。案の定1時間取り組んでもなかなか剥がれなかった。まずはドレーンを設置して閉じることにした。
 この件でわかったことはいくつもある。
 まず慢性的な人不足。医師はダン医師しかいなくて、そのダン医師も多いときで1日300人以上診ているわけだからとても手が足りない。看護士のリマはそれを補うように腕を磨いてこういった小外科手術は見事にこなせるようになったという。しかしリマにも不安がある。手術途中で困難と感じたときの引き返し方、あと処置と感染の予防はどうするといいのか・・・など、聞きたいことはたくさんあるという。
 ついで機材の不足。穴空き布もそうだが基本的に滅菌された機材は極端に少ない。オートクレーブ器はあるのでメスやコッヘルは滅菌できるが、いわゆるディスポで使用した方がいいものは全くないといってもいい。この脂肪腫の患者さんは極端な局所の感染は起こさなかったが、やはり痛みが残って苦しそうであった。

 今回の仕事は東チモールにおける緊急医療救援であった。
 毎日、300人を越える外来患者さんと8人前後の入院患者さんを受け入れながら、シェアが関わっているバイロピテ診療所での緊急医療救援が続いている。

多い疾患

 マラリアと結核が多い
 そんな印象を持つのに私は1日とかからなかった。
 ダン医師が1日で診るという300人のうちおおよそ約100人を診察しながら感じた印象である。
 特有の悪寒や背部痛、関節痛、そして高熱はマラリアの特徴である。一見すると非常にかぜ症状に似ているために、ちょっと重くなったかぜなのではないかと思うこともしばしばであるが、特有の全身倦怠感や吐き気などを伴い、症状が出てからの日数が1週間近くなっていると脾臓が触れることなどが特徴である。
 基本的にクロロキンで対応していくがファンシダールはもうバイロピテ診療所の薬局では底を突いていた。重い場合は入院して、キニーネなどを投与するがそういった場合は1日1、2ケースくらいである。
 結核は私が診察した中では5%であるが、これは非常に多い数字であると言わざるを得ない。WHOが主催して行っている医療系の団体をが集まるミーティングでも再三この「結核の驚異」について話し合われている。バイロピテ診療所のダン医師はこの結核に関する国家的プログラムのメンバーである。実際彼の呼びかけによってバイロピテ診療所の奥には新しく結核病棟の建設が進められている。
 基本的に結核の発症も栄養状態、生活環境の状態に大きく影響を受けるものだがその意味においては、貧困や生活環境の悪さがこの結核の蔓延に大きく関与していると言わざるを得ない。今後マラリアと共に重点課題として取り組まれるべき点であろう。
 疾患統計をみていただくとわかるがこの多くの患者さんの半数近くが実は「かぜ症状」を訴えてきたものである。症状的には軽く、鼻水鼻詰まり咳程度である。熱帯サバンナ気候のこの東チモールにおいて、なぜに「かぜ」なのか・・・いくつか理由が考えられた。
@家屋が破壊され屋根が抜けていたり庭で寝泊まりしたりしている人がいるためにかぜをひきやすい
A紛争後などにはよくみられる「ケアされたい症候群」の一つで、それまで気を張ってきたものが少しづつ緩み、そんな中でだれかに心配されたい、ケアされたいという気持ちが生じ、それが故に通常は特別病院などへは行かない場合でも、少しのかぜ症状で病院へ行く
 予測の範囲を出られないが、こういった社会心理もこういったかぜ症状の多さには大きく関与していると思われた。こういったケースに対するダン医師の処方はいつも決まって「ビタミンC」であるが、それもまたよく効いて、3日くらいの処方ではあるが改善せずに3日後に再来院するケースは少ないようだ。
バイロピテ診療所

重篤なケース

 3日目に往診として出かけたケースは結核性髄膜炎と診断された13歳のケースである。
 彼女は結核菌が髄膜を侵し、精神症状を出すに至ったケースであった。不眠、不穏、何時間もぼーっとしていたかと思うと突然騒ぎ出したり・・。髄膜の刺激症状もあり、医学生にその点を学習してもらった。
 拒薬拒食も激しく、結核の治療薬もまったく服用しようとしない。優しい民族なのか、両親も周りの人々も、決して彼女の口をこじ開けて服用を迫るような場面はなかった。
 そこから2日目、症状は急変し救急車を運転して彼女の自宅へ往診。嫌がりつつも家族に説得されてしぶしぶ彼女は入院。それでも拒薬拒食。仕方なく胃チューブを挿入。けれど抜かれてしまった。
 それでも何度かチューブ経由で結核の治療薬を投与し、症状の改善を待った。3日目にようやく自力で食事を接種、薬も飲み始め改善の傾向が見えた。母親は寝ずの看病で目の下にクマを作り疲労困憊していたがそのためもあって、4日目に自宅へ退院した。その2日後、悪化したという知らせが医学生より入ったが、親戚の家で保護しているということで、病院へ連れてくるというも、現れないままに過ぎている。
 妊娠4カ月目の重篤なマラリアのケースがきた。
 高熱にうなされ、全身状態も悪い。3、4カ月の時期には胎児への影響が大きいので、なかなか思うように薬が使えない。文献的にはクロロキンも、ファンシダールも胎児への影響は少ないとあるが、それでも大量に使用するにはためらいがある。
 けれど、マラリアそのものの影響とて胎児には著しく悪いわけなので、結局ダン医師の判断でキニーネの静注を行った。コンセプトとしては「マラリアを早く直す。抗マラリア薬の影響よりもマラリアそのものによる影響の方が甚大である」。
 果たして彼女の熱は翌日には下がり、全身状態も改善。退院直前には動き回って周囲に迷惑を掛けるほど元気になり退院していった。胎児への影響は今後明らかになっていくと思われる。
 いずれにしても合併症は恐ろしいし、扱いにくい。

医学生の今後

 インドネシアの大学に医学生として勉強していた人たちは今回の件で、ほとんどが帰国している。そして復学の可能性を模索しながら、東チモールに生活している。
 国交という意味では断絶しているわけだから、よほどのコネなどがないかぎり復学は難しいかもしれない。かといってせっかく学び始めた医学である。ダン医師らはこのバイロピテの診療所の補佐という役割を与え、この医学生たち(5人)に、診療のアシスタントをさせている(有償)。
 しかしながら、ダン医師はとても忙しく、1分も余分な時間がないので必然的に私がこの医学生への教務担当となっていった。
 診療は基本的にテトゥン語で行うべきをモットーに、基本的な問診はテトゥン語で行うようになったものの、まだまだ完全な会話は難しい。そこで医学生に通訳として入ってもらいつつ、患者さんから返ってきた答えに対して「どう思う?」「診断は?」「治療はどうしようか?」などと聞き返しつつ、学習の場を積極的に作っていった。
 学年的には2年生2人、3年生1人、5年生2人とばらつきこそあるが、皆一様に熱心で、非常に今後が期待される人材であった。
 しかしその一方で、いつ大学に戻れるかわからない不安を常に抱えながら、この中途半端な毎日に耐えているのもまた彼らである。
 今後、バイロピテ診療所は結核チーム、マラリアチーム、妊娠出産チームなどとチーム編成が行われていく可能性が高いが、そこにこの医学生は分散しつつ入り、自分の役割を明らかにしていけることを願っている。
街に残るバリケード

今後の展望

 バイロピテ診療所は今後もこのように続いていく。予測される展開としては以下のような状況である。
@外来診療・・1日300人ペース。医師は最低で2名必要。部屋があれば3人が理想
 内容は一般内科、小児科、小外科、皮膚科、歯科などが中心。
A入院診療・・10人前後が対象。重症感染症、異常分べんなどが中心。外来担当医が巡回することでカバーできる範囲
B結核病棟・・この3月にオープン予定。隔離治療を可能にする病棟。重症に関する入院が可能。外来担当医が巡回することでカバーできるが、より高度な検査ができるようになった場合、熟練者が必要とされている。
C訪問診療・・医学生を中心に行う近隣の巡回診療。できれば医師が1人同伴できるとより効果的。
Dトレーニング・プログラム
 1)看護婦、助産婦トレーニング・・オーストラリアから来ている人材が担当していく可能性高い
 2)医学生トレーニング・・外来診療を複数の医師ができるようになった場合に、医師が担当するべき内容。
 実際の診療現場での講習とともに、理論講習も必要で、定期的な講座の開催が必要とされている。
E環境整備
 1)病院内の水回り、給水排水システム完備
 2)医薬品、医療機材の集中管理。整理整頓の講習会の必要性
 3)講習会やカンファレンスができるようなホワイトボード、視聴覚機材の充実
F医薬品の提供
 1)重点項目・・抗マラリア薬、抗結核薬、消毒用機材、ディスポの注射筒や針
 2)安定供給が求められているもの・・ビタミンC、解熱薬

シェアとして関われること
 以上の報告に基づき、しぇとして今後このバイロピテ診療所にどう関わるかを考えてみた。当初より、このバイロピテとの関わりは緊急救援フェーズのみとされており、3月末で終了すると考えられている。
 しかし実際に診療に従事してみて思ったことは、「当分医者は臨床ができる人ならだれでも行く方がいい」「薬の安定供給は決して可能になってはいない」ということであった。そこで以下の関わりを提言するものである。
@医師の派遣
 できれば長期で(1カ月〜半年)、最低でも2週間を限界に医師を派遣するべきである。
 そして現地における仕事は、
 1)外来診療を補助し、ダン医師一人という環境を作り出さない
 2)医学生の講習を担当する
 3)訪問診療に従事する
 が中心となると思われる。
 ダン医師は当面はまず「診療中心」でいくと言っている。それほど患者数は多く、困難なケースもときおりある。しかしかぜや上気道炎、腹痛や皮膚疾患などを2人目の医師が診ることで、ダン医師にも余裕が生まれ、さまざまな会合やこれからのプランを練ったりする時間が生まれる。その意味において、間接的ではあるが、このバイロピテ診療所全体の貢献につながり、かつダン医師が動きやすくなることで、国家レベルの結核対策を側面から支援することにもつながる。
 また医学生は英語がある程度しゃべれるので、医学生への講習やレクチャーを担当することも可能である。これは本来ダン医師が行いたいことであるが、彼には全くと言っていいほどその時間がない。そこを補佐することは重要な役割である。
 訪問診療も時間こそかかるが、1、2人しか診療できないタイプのものである。しかしながら、病院へ行けないほど重症なケース、遠方のケースなどには著しく有効であり、そういった部分をこなしていける医師の存在は重要である。
 しかしこの場合、医師に求められる条件は以下のようになると思われる。
1)日本でも診療に従事しており、臨床的な経験が豊富であること
 (決して熱帯医学を学習していなくとも、しっかりとかぜ症状に対応できたり、小外科や皮膚疾患にも強い医師が求められている。小児に対する知識が豊富であれば言うことなし)
2)英語は普通に話せて、医学や薬剤名の英名が使える人。一方で、短期であってもテトゥン語を使おうという意思のある人
3)NGO的な思考に豊かな医師(非常に抽象的な表現ですが、2月上旬にICRCに来ている日赤の医師の姿勢は全く”来てやっている”的なもので悪評が聞こえてきていました)
 これは、シェアが、地域を対象に保健を展開していくと同時に、このバイロピテにおいては非常に臨床的な活動を行っていくべきではないかという提言でもある。
 意外に思われるかもしれないが、現地からも、そしてPPRPのスタッフ、川口みどりさん工藤芙美子さんからも同様の示唆があった。

2000年2月16日

桑山紀彦
シェア派遣医師

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