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またまた侵攻:PART I 

< 2004年1月20日:侵攻 >

イスラエル軍がまた私が住んでいるブラジル地区に侵攻してきた。こういった侵攻は今までも何度も繰り返されてきた。イスラエル軍は今もエジプトとガザの間の国境線沿いに高さ8メートルの鉄の壁を建設中。この壁を建てるために、そして「治安のため」壁と住民との間に充分な間隔を確保するために、今まで何百軒もの住宅を破壊し、土地を壊してきた。繰り返し行われている侵攻の痕跡は、国境線に近づくほど瓦礫と化した家屋や建物に生々しく刻まれている銃弾の跡という形で見受けられる。

今回の侵攻は夜中の2時頃に始まり、今朝の午前11時頃まで続いた。その間、イスラエル軍の戦車やブルドーザーは国境線沿いの地域に押し寄せ、多くの家屋を破壊していった。11時頃のイスラエル軍の「撤退」は一時的なもの、兵士は住民に「数時間したらまた戻ってくるから、それまでに荷物を揃えて家から出ていくように」と言って帰って行ったという。


イスラエル軍がとりあえず一旦撤退したという話を聞いて、私はスタッフと一緒に現場の様子を見に行くことに。今回の侵攻はうちの青少年活動に参加している第2期生のほとんどが住んでいる場所に集中しているから、彼らの安否が気になって仕方がない。

鉄の壁沿い、最も近くに並んでいる家の通りを歩く。道路には戦車やブルドーザーに倒された電柱や穴を開けられてしまった下水道から溢れ返っている大きな水溜りが目に入る。こうやっていつも侵攻後はその地域の電気、水道、下水道が機能しなくなる。

そのまま通りを歩き続けると、家の並びの間にいきなり100平方メートルくらいの大きな空間があることにびっくりする。それまで家の並びでほとんど隠されていた鉄の壁がここで急にむき出しになっていて、ギョッとする。数日前までこの通りにはほとんど隙間なく家が並んでいた。ここには確か、10軒くらい建物が背中合わせに並んでいたが、今は全て瓦礫となっている。まるでその場所だけ、巨大な地震があったかのように。


多くの子どもや大人がこの瓦礫の上に集まっている。その人たちに目を向けると、見覚えのある少女を発見する。彼女も私たちに気がついて手を上げる。第2期生の1人、ハイファだ。彼女が立っている場所は彼女の家族の持ち家が建っていた場所。ここにあった彼女の家は以前も部分的に破壊されたこともあった。そのままそこに住み続けるのは危険だからといって、1年程前に彼女の家族は仕方がなく近くのアパートを借りて移り住んでいた。家族は皆、いずれは自分らの土地、自分らの家にまた戻ってこれることを夢見ていたのだが、その夢は一夜でまた遠退いてしまったようだ。

彼女に慰めの言葉もかけられずに立ち止まっていたら、気が付くと第2期生がどんどん周りに集まって来る。私たちは「ハンデゥリラ・サラーマ」(無事でよかった)と一人一人に挨拶をして、彼らや他の子どもたちの状況について聞いてみる。ホサームの持ち家もハイファと同じ目に遭ってしまった。ランダの家は、建物の角が壊され1部屋はまるで人形の家のようにむき出しになっている。アイヤ、ワラ−、ウィサームの家はそれぞれ部分的に破壊されている。ジハーンやヤスミーンらの家は2階の壁にさらに銃撃の跡が生々しく刻まれてしまっている。でも、彼らの家々はこのように侵攻の影響を受けるのは何も今回が初めてではない。

ブラジル地区

日中も土地と家屋を破壊していく軍用ブルドーザー。第2期生のアブデル・ワハーブ(14才)の家はブルドーザーのすぐ右側にあったが、完全に壊されてしまった。


アブデル・ワハーブの家は鉄の壁にもっとも近い家だったが、今朝早朝ブルドーザーに完全に壊されてしまった。潰れてしまった家を見に行くと、彼と彼の家族は瓦礫の中からとにかく引っ張り出せるものを可能なだけ救出している。敷布団1枚、まだ使えそうな机と椅子・・・大したものは残っていない。本や洋服も今はどの瓦礫の下に埋もれているのか分からない。

アブデル・ワハーブに「これからどこ行くの?」と聞くと、「荷物は伯父さんの家に預かってもらえると思うんだけど、僕たち自身は今夜どこで泊まれるのか分からない。伯父さんの家は他の親戚とかでいっぱいで、僕たちが泊まれる余裕がないんだ」と話してくれる。

行くところがなくて困っているのは彼の家族だけではない。幾つもの侵攻を経験してきたラファにはもう何ヶ月も前から、借りられるアパートなんてほとんどなくなっている。それに、例え借りられる場所が見つかったとしても、住民には家賃を払うお金がない。親戚の家に転がり込もうとしても、そういう家はもうすでに家を失った他の親戚に埋め尽くされ、これ以上の人数を引き受けられる余裕なんてない状態にまでなっている。

移 動

住民が自分の瓦礫と化した家の中からまだ使えそうなものを引っ張り出し、移している姿



さらに困ったことに、この地域に住んでいる人のほとんどは難民ではなく、もともとこの地に住んでいる人たちなので、国連から支援をもらえない立場である。

それでも、これ以上ここに残っていたら家や私物はおろか、命まで落としてしまうかもしれない、と判断した人たちが次々と可能な限りの家具や荷物を車やロバ引きのカートに乗せて、別なところに移動している姿をみる。皆、イスラエル軍が戻って来る前に、と必死に動いてきる。

数時間後、カメラを取りに家に戻ってまた侵攻現場に戻った午後3時ごろには既に戦車やブルドーザーが戻って来ている。侵攻が再開されている。

その晩、私とスタッフは子どもたちの安否を確認するために、それぞれのファイルに載っている電話番号を必死に掛け続ける。でも、なかなか誰とも連絡がつかない。アブデル・ワハーブの連絡先は自宅の電話番号、自宅がもうなくなって家族に繋がる訳がない。他の子たちの連絡先も、父親や親戚の携帯電話だけど、侵攻時は携帯の電波はなかなか繋がらない。結局、侵攻が続いている中、子どもたちと連絡の付けようもなく、この晩はほとんどの子どもたちがどこに行ってしまったのか、無事なのか、今夜寝るところがあるのか、検討も着かず、とても心配な一晩を過ごすことになる。



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