| ★ Subject:「澤田の論」 Date: 2004.9.22 7月の後半からずっと更新が大変少なかったのですが、その間は剣道の応援三昧で東京等に出かけていたりしてパソコンの前にいない日が多かった事が原因でした。 中学2年生になる息子と小学生から一緒に剣道をしている子供達が県の道場連盟の予選を通り、日本武道館で試合をする事が出来る事となったので、早速応援と称しての観戦旅行で行って来ました。 鶴岡市と友好関係にある江戸川区の剣道連盟のご好意で試合の前に合同の稽古をさせていただいたり、deepな剣道マニアである私にとっては一足早い最高の夏休みとなりました。 現在の私にとって剣道に関連する事をやっている事が何よりも満ち足りた時間の過ごし方になっています。 やっている時には辛い稽古も、色々と自分なりの課題の克服に思いを巡らすと次の稽古が待ち遠しくなります。 様々なレベルの試合を見る事も、その陰にある修練の積み重ねに触れる気持ちになったりして日頃中々感じる事が出来ない感動を覚えたり出来て、実に楽しいものです。 生活に張りを与えてくれている最大の存在になってきています。 みなさんも一度剣道の試合や稽古を御覧になってみては如何でしょうか。 海外から日本に来られている人たちにも剣道に関心を持たれている方が大分増えてきているようです。 昨年NHKで放映された『一撃に賭ける』という栄花直樹選手の世界選手権での活躍にいたる精神的な葛藤をドキュメンタリーや大河ドラマ、さらには山田洋二監督の藤沢周平作品を元にした『たそがれ清兵衛』、トム・クルーズが主演し渡辺謙がアカデミー助演男優賞ノミネートで話題になった『ザ・ラストサムライ』など剣の道を通した日本人のあり方が大きく取り上げられる事が続いている状況は、とても素晴らしい事だと思います。 始めて間もない私ですから、詳細な技術的な話や、剣道の魅力について訳知りに物を書く事は慎まなければならないと思いますが、日本人で生まれてきて良かったと最近凄く感じる事が多くなりました。 剣道を学ぶ事に関連して、日本の文化に関心が深くなって様々に知るにつけ、この国が好きになってくる事を感じます。 戦争で負けて一時期剣道をする事が禁止になってしまったのですが、単に戦う技術としてだけではない剣道の魅力を途絶えさせてはいけないという先達達の懸命の努力で復活して50年余の今、全国から集う小学生・中学生達の日本武道館での見事な試合を見ていて、この国には素晴らしい人間教育の手段があるのだと確信してきました。 昨今の殺伐たる事件やらとは別世界の礼儀を重んじる自らに修練を課して努力する事を学ぶ子供達が元気に戦っている姿は、本当にいいものでした。 是非大人になっても継続して、剣道を支えている武道精神、日本文化を理解するような人間が増えてくれればいいなぁ、などと思っています。 因みについ最近中年でも厳しい稽古を良くやっているという事で、励ましの意味を込めて2段の審査を通過して、合格しました。 多くの剣道の道におけるいい先輩からのご指導や暖かい励ましの元、本当にうれしい昇段でした。 「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」という剣道の理念を、未熟な自分への戒めに様々な事をじっくりと考え行動する人間になりたいものだと思っています。 Topへ Subject:「第4回『創道塾』報告」 Date: 2002.12.25 12月23日羽黒町松ヶ丘本陣にて、アメリカから戻られた加藤紘一塾長と、京都・東京及び県内各地からの参加者で、第4回の『創道塾』を開催しました。 世話人から塾長にアメリカでの様々な活動を踏まえて「アメリカから見た日本」というテーマでの基調講演を午前10時スタートでお話いただいた後に、午前いっぱいはその講演に沿った内容午後にはフリーでの質疑応答を行いました。 オフィシャルサイトでの新しい試みとして、動画でも見る事が出来るようになっているHPにてアメリカからも情報を発信されていたので向こうでの授業の概要などについては知っていましたが、海外で実際に外から日本という祖国を見つめる目は憂慮に満ちたものであったようです。 アメリカにおける日本研究の権威であるジェラルド・カーティス教授の招聘で小規模のゼミ形式での講義をする予定が、70人規模の大きな教室でのものに急遽変更になったそうで、講義の後も学生さんたちと日本の問題に関して相当に密度の濃い議論をされてきたようです。 それ以外にも各方面で日本へ影響力を持つ要人との意見交換をしてきた中で、改めてアメリカにおける対日本観が左右する人たちが案外少ない人の中でいろいろ決められている事を実感されたとの事です。 さらには日本のマスコミがある種のジャパンバッシングを呼び起こしたり、少し間違った日本像を逆輸入しているのではないかとの印象を話されました。 その上で日本の問題は当り前の事ではあるが、自分達で問題の本質をしっかりと見据え、自らの頭で解決するだけの力を持たなければいけないとの趣旨で様々な方面の話をされました。 最近の日本での政策論議はどこか本質から反れたものが多いのではとの指摘から、種々物事の考え方を整理できるように解説していただきました。 いつもながら話が分かり易く、参加者も納得できたようです。 向こうでの授業で小泉構造改革の見通しなどについて、種々話をしてきたようですが、どうも最近その初期目的からずれてきたのではないか、との評価をされているように思えました。 また、永田町の経済状況の見方と実体経済のあり方にズレがあるとのお考えで、国民の経済格差の広がりや雇用統計上の誤差などを勘案すると、日本経済の危機意識が政治家の意識と国民のものとにかなりの温度差があるとの見方をしているようでした。 ゾンビ企業という言葉が向こうでよく引き合いに出されたようでしたが、それも日本発の情報に向こうの各界の人たちが反応しているのだとの事でした。 不良債権問題が経済の苦境の原因の約4割との評価で、残りの6割には歴史的なデフレ傾向の事や、新規産業を生み出せない日本のシステムの欠陥があるのだとの分析を話されました。 現状維持の政策から誰が変化の引き金を信念を持って引くのか、未だに皆目検討も付かない事への国民のストレスの高まりを憂慮しているようでした。 約50分ほどのお話を受けて、塾生から様々に質問が出されましたが、丁寧に答えていただきました。 国民の経済格差(格差にも個人間・地域間といったふうに捉えかたが様々ありますが)をどのように捉えるのか、との質問から地方分権や経済システムのパラダィムシフトの話など多様な視点での質疑応答になったように思います。 また、北朝鮮問題が現在膠着状況に陥っている事もあり、対立が深まった時の危機管理の話もいろいろ議論されました。 昼食をはさみながらも議論は尽きず、雇用を地方で維持をするには労働行政をもっと自由にするべきとの持論を展開する塾生の議論などにもフリートークという形で多くの意見が飛び交い、かなり活発な議論が出来たと思います。 所用で午後1時半過ぎに加藤塾長が抜けた後も、3時まで議論が続けられ、さらには東京からの参加者を駅に送りながら、列車の時間まで場を変えての議論は続きました。 今回で4回目になる『創道塾』ですが、回を重ねる度に塾生からの議論の質が高くなってきているように思います。 参加者間に知識量などでの格差も相当にあるのかもしれませんが、単に加藤塾長の講義を聞くだけではなく、他の塾生の話を自分なりに考えていく中で回を重ねるうちに自分の意見が出来ていけばいいのではないでしょうか。 京都から参加してくれた学生の方は同志社大学の人なのですが、大学の創設者新島襄の国家の百年の計は教育に有るとの精神をこの塾への期待として言っていただいた事は大変に嬉しい事でした。 人を育てる事が加藤塾長を中心にして、どれだけ出来るかがこの塾の存在意義であると思っているので、若い参加者からそうした声が出る事は大変嬉しいと思います。 全体の雰囲気がとても前向きだったのでしょう、余程の用事がないメンバーがその後の場所を移動した論議に参加して国内投資が現状でどういう風に削減してきているのか、といったテーマについてとか、安全保障上の論点などに白熱した議論となりました。 この塾は来年は2ヵ月に一度程度のペースで開催を予定していますが、様々に発展する可能性を秘めたものとなりそうな予感を感じさせてくれた一日でした。 Topへ Subject:「11月『創道塾』の報告」 Date: 2002.11.21 11月18日(月)、久しぶりの『創道塾』を開催しました。加藤紘一塾長が訪米中でもあり、塾生だけでの自習という形です。 アメリカの加藤塾長からのビデオメッセージを紹介しながら、今回の竹中プランから見えてくる日本経済の問題点を中心に討議を行いました。 そこで感じた事ですが、それぞれの職種等によって経済の問題への対処の視点が違っているという事です。 製品の生産拠点をある程度中国に移転している経営者と地元に拠点を求める経営者では、その方策の力点が大分違っているようでもあり、各人に生き残りに対する意識の持ち方に結構巾がある事を改めて実感しました。 話を進めていくうちに共有している問題意識としては、日本人の人的パワーが減退してきているのではないか?という事が議論され、教育のあり方は相当に議論を深める必要があるとの思いがみなさんに強かったようです。 約2時間を目途に今回の塾は予定していました。 効率的に議論を進めるために、今回の竹中金融相の不良債権処理の加速策をどのように評価するのか、という論点を事務局から提示して、金融部門の抱える課題から今の経済の問題を見てみる事としたのです。 白熱した議論が出来たと思いますが、ここでも債務をどの程度持っているのか?という個々の立場が違っていると、随分と違った意見がある物だという事が分かりました。 つまりどの債権が不良なものか、という事が例えば厳密な査定という話で取り沙汰される訳ですが、銀行が融資している側の実際の商売をしている企業側にしてみれば、債務がどのような基準で不良なものと認定されるのか?という事は死活問題である訳で、今回の竹中プランがどのような経済再生の将来ビィジョンを持っているのか、という事が結局は金融問題に向かう時にも大切な事であるとの再確認の議論となりました。 現在のデフレ状況に対する認識も製造業で様々な付加価値をつける事に大変苦労しているメンバーからは、付加価値をつけるということをあまり簡単に言ってもらっては困るといった厳しい意見も出ました。 産業構造を転換する時に、次のメニューが見えないまま、ただ今ある産業を潰してそこで生じた雇用のニーズを吸収する当てが見えていないとの意見でもありました。 デフレによって商品価格が下がってしまう事は、債務を抱えての企業経営では非常に厳しい事が指摘されました。 給与が下がっても、それだけですぐに経営が楽になるという事には繋がらない、ある程度価格が維持されないとバランスシートは健全に成り得ないのだとの意見でした。 デフレ状況でどのような問題が生じるのか?という点に関しては以前このサイトでも紹介した森永卓郎氏の“日本経済の「暗黙」の共謀者”という著書に詳細に書いてあります。 丁度加藤塾長のビデオメッセージでも世界が長期的なデフレに苦しむ事が予想されるとの考えが示されたところだったので、今後少しデフレ経済を如何に乗り越えていくべきか、という視点で考えてきる必要を感じました。 人口動態というものが今後さらに日本経済にとってデフレ圧力になるのでは?との見解を示すメンバーもいましたが、厚生労働省の試算でも少子高齢化に伴う労働力人口の減少によって2025年の国内総生産(GDP)が8%前後の減少となる、との見方が経済経済諮問会議で為されたようです。 銀行のバランスシートを不良債権処理できれいにして終わる状況ではない、本当に困難な問題が複雑に絡み合った状況なのだという事が改めて認識されたと思います。 バブルの後始末にさえここまで手をこまねいてきた経済運営の先送りが本当に問題を大きくしたと思います。 どんどん新たな問題が生じてきているにもかかわらず、何も解決しないままその原因の一端を担ってきた人達は、責任を取らずに鬼籍に逃げ込んでいくつもりでいるのでしょうか? 自分達は安全に資産を確保して、国民に税金で付けを回して次世代に辛い思いをさせる事は到底許される事ではない、少しは決断して責任を取れと改めて言いたいものです。 話があちこっちに飛んで分かり難いものになっています。本来ならば、デフレ対策として国が公共投資を大幅に増やして、お金が回るようにするべきなのでしょうが、小渕内閣時に積極財政をあれだけやったにもかかわらず、状況が改善されないのは、バブル時にあまりも不良な投資を銀行がやったために、ほとんど資産価値のない土地や債権にお金が流れ、そうした財政投資がその後始末にほとんど消えてしまった事があり、GDP比140%という国家債務を抱えてしまい、手を打つ事が難しくなってしまった事が、問題を困難なものしてしまった事が大きいのです。 政治家や官僚のみなさんはそこへの反省をどう考えているのでしょうか? 銀行も無能な融資姿勢を如何に反省しているのか、その後のやり方を見ていると到底許されるものではありません。 今回の竹中プランへの反応で「ルールを変えるのならば、貸し剥がしをやる事も止むを得ない」と発言した首脳がいたそうですが、本当にそうした事を発言したのであれば、公表してそうした意識の銀行は潰すべきでしょう。 今回の塾で補完的な資料として、渡辺善美衆議院議員の国会質問を引用させていただきました。 ホームページに掲載されていますので、是非見ていただきたいと思いますが、大変によく経済政策を勉強されている政治家であり、その答弁の中で今回のプランにおける問題点がよく分かる質問がなされていると私は思います。 公認会計基準に乗っ取って、繰り延べ資産税の取扱をすれば、もともとある種の都市銀行は、最初から問題があるのであって、今回のプランがあるから、大変なのではない事が分かります。 今の銀行のトップは問題解決の能力を持っていないのです。 不良債権の大部分を大手の貸し手との癒着とも表現されるようないい加減な融資で既存しているために、いつまでも問題に手をつけれないで傷を深めていると言える状況が浮かび上がってきます。 ルールがどうと言える立場か、よく考えて物を言うべきではないでしょうか? 経済再生のために谷垣さんが就任した産業再生相というものにも話が及びましたが、やるべきはそうした悪循環を断ち切ると言う点にあるのであって、銀行は小さくとも将来性を見込まれる分野の企業育成をする事に全力をあげる事で、自らの顧客開拓をする当り前の経営努力の能力開発に国の力を求めるべきでしょう。 今のままのやり方でバランスシートをきれいにしても、バブルを引き起こさない限り、収益を確保できないある意味で社会に有害な存在で終わるように思えてなりません。 さて、大分長くなってしました。実はその後の懇親の場では、日本人の心のありようにも話が弾み、もっと誇りを持つ生き方をするために、といった話にも大いに盛り上がったのですが、その辺は次回以降にご紹介します。 まず少数精鋭で次世代の人にしっかりとした意見を伝える事の出来る人材育成を、この塾では目指しているつもりです。 息の長いある所の戦いのような緊張感をもって運営を継続していく覚悟です。 Topへ Subject:「第2回創道塾の報告」 Date: 2002.09.03 9月1日松が岡本陣において、第2回創道塾を開催しました。 世話人会から準備したテーマは「日本経済の再生」という事で、1970年代からの日本経済の推移と現在及びこれからの中国の経済的な影響を考えると言うものでした。 事前資料はメーリングリストや郵送にて配りましたが、当日も加藤塾長から国際為替の問題と、日本における雇用機会の減少の資料を提示いただきました。 テーマが大きく一回の議論で語れる物でもない事から、現状認識を整理する事を主眼に加藤塾長から1時間余、説明をいただきました。 なお、塾長からは急遽浮上した小泉総理の北朝鮮の金正日総書記との会談や道路公団民営化論議、新しい連動国債などの話題にも触れた話をお聞きしました。 バブル以後の不良債権処理の遅れに目を取られている内に、東西冷戦の終結によって世界規模で起こっている産業競争力の構造変化に着目しないといけない旨の話は第1回の塾でも話されていたのですが、そこでわが国が取りうる政策として、先端技術の開発力を如何に高めるか、文化的な価値を再認識して取り入れた商品の開発など、多岐に渡ってのメニューを提示されました。 しかし、そうしたやり方が正論であったとしても、時間のかかる部分もあり、現実的に日本の雇用の急速な悪化を考えた時に与えうる付加価値が競争力として生きるにも、現状の為替水準では中国への移転による空洞化を危険な形で看過するだけではないか、との危惧が塾生から出され、国としても国際為替のあり方について一段の研究が必要との議論がなされました。 著名な評論家との議論で、ゴルフのハンディに例えて、36のハンディであった日本が急速に力をつけた時に、欧米諸国特にアメリカから急にハンディを12時には8といった過大な評価を付けられ、無理をした中で調子を崩したといった喩え話があったとの話から、現状の日本はハンディ18くらいが望ましい、その水準であれば中国とも十分に競争できうるのでは?という議論になりました。 文芸新書から吉川元忠(きっかわ もとただ)神奈川大学経済学部教授が出した「マネー敗戦」に詳細に分析されているプラザ合意周辺のアメリカの為替政策を是非読んでいただきたいのですが、国際為替を上下に差配する事で、日本の経済的な力が如何に壊されたのか、恐ろしい話が書いてあります。 勿論、日本も同じように対中国で振舞えと言った話ではありません。 基軸通貨としてのドルを持っているアメリカのようなやり方は日本に取れないでしょうし、中国に対してそうしたやり方を2国間でせまる事は出来たとしてもいいやり方ではないでしょう。 しかし、WTOに加盟した中国の元はいずれ国際為替に入ってくるでしょうから、その時に適正水準として対日本の水準が現在の約1,5倍程度の水準になるように国としてちゃんと要求する事は是非ともやらなければ、国内に雇用を維持する事は現実問題として困難かもしれません。 日本の製品開発力を高める事と、その基礎条件として為替の水準を競争力獲得のために同時に考える必要があるという事なのでしょう。 また日本の中に製造業としてどのような物が将来に渡って維持できるのか? サービス産業のシェアをどの程度まで高めていくべきなのか? 「日本経済の再生」の将来ビィジョンを考えるのには、様々な論点がある事が塾生にも理解が深まったように思います。 次回は日本の製造業のあり方に関して現場を良く知りうる識者を講師に招いて、質疑応答をするような企画を考える事になりました。日程などの調整を早急に進めるつもりです。 Topへ Subject:「塾の命名」 Date: 2002.08.19 凛とした自分自身の生き方を考える為の「塾」を立ち上げた事を報告を兼ねて書きましたが、その「塾」の名称が決まりました。「創道塾」です。 新しい自分達の生き方を道として創りだしていきたい、との思いを込めようと命名しました。 様々な名前を考えたのですが、経済の仕組みや外交の事を議論するにも、日本人としての誇りを持って、ただ勝つ事だけに価値観を置くのではなく、競う相手に対しても礼儀を重んじる様々な日本の“道”の心を持つ事が、今大切な気が私自身はしています。 市場原理にも、人間としての節度が求められるのでしょうし、自分と異なる価値観の相手を力で叩きのめすような事で、多くの問題が複雑になるばかりで、弱い人間にそのしわ寄せがより偏った形で押し付けられているように見える今の時代に、私たちの国にはその状況を乗り越える精神があったのではないか?そんな事を最近常に考えていました。 この名前に関しての思いは、ある程度私の個人的な思い入れの部分があります。 他のメンバーの思いは、少し違っているかもしれません。 45歳になって、息子のやっている剣道を私自身も始めました。 日本人としての心のあり方を体を少し鍛えなおす事と併せて、取り組んでみたいと思ったからでした。 “道”という心のあり方は、日本人にしか通じない特異な物として捉えるべきものではなく、混迷を続ける国や世界の争いを解決に結び付ける厳しくも寛容な価値観の構築に通じるのではないか、そんな思いも感じているのです。 日本という国が、自らの国の大切な文化として持ってきた精神が集約された物を自分自身も少しでも身に付けたい、この年齢になって感じていました。 社会保障・経済問題・外交・環境問題等など、具体的な考察を詳細にみんなと議論し、自ら行動していくべき多くの課題について、今後真剣に取り組んでいくつもりですが、目指すべきは、世界に対して自分の生き方を誇りを持って語れるような心の在り様が根底に無くてはならないのだと思います。そんな思いをこの命名が表していると、名前負けしない運営を目指したいものです。 Topへ Subject:「『塾』発足!」 Date: 2002.08.11 8月8日、羽黒町にある松ヶ岡本陣にてある『塾』の発足会が行われました。 今回はその発足会の雰囲気を少し書いてみます。 蛙の声が聞こえ、開け放した窓から心地よい風が入る木造家屋の広間で、20代から40代の10余人と加藤紘一氏で地域、国、世界を論じ、自ら動くための勉強会をこれから継続的に開いていく旨の『塾』として設立世話人4人が極々限定した形で呼び掛けしての発足会です。 今回は趣意書の確認などこれからの『塾』の運営方針をみんなで自由に意見を出し合う話し合いを設立世話人会で企画したのですが、集まったメンバーからは積極的に今の状況をどのように感じているのかなどについて発言が相次ぎ、今後の展開が楽しみな雰囲気でした。 この『塾』において為された議論がその場かぎりのものに終始したり、いたずらに理想論の言葉遊びにならないような指導をお願いした加藤紘一氏より、こうした学びの場を構えるにあたり現状の問題の根本に何があるのか、と言う点でお話をいただいた。 まず話されたのは、日本が今経済的な苦境に喘ぐ背景については、長らく不良債権という形でのバブルの後遺症が着目されてきたが、それにばかり焦点を当てていると問題の解決を誤るのではとの事。 日本経済成功のシステムがデフレの進行によって機能しなくなった歴史的な背景に東西冷戦の終焉があり、東側から安価な労働力が大量に労働市場に参入してきた事から、先進国の経済が揺り動かされてきているという点にもう少し焦点を当てるべきなのでは、との考えを話された。すでに先進国の仲間としての位置に座った日本が、従来の経済の仕組み論で立ち向かっていくだけでは、この状況に上手く対応できないとの認識であった。 中国に地方の産業の基盤が奪われていく状況を考えるにも、そうした歴史的な流れを見据えて考える事が大切であると言う事で、今後詳細に検討をする事としました。 また、そうした経済の問題を考える際にも、グローバリズムと日本人という観点から、日本人の誇りを見つめなおす必要性について真剣に多くの国民が考えを思い巡らしているのでは、という見解をしめされて、そうした物事の根底に立つ議論もこうした学びの場においてしっかりと考えていくべきであるとの事でした。 毎回後半には車座になって酒を酌み交わしながら、フリーディスカッションをするような運営を考えているこの『塾』ですが、今回も参加したメンバー内でも例えばコミュニティ論から、市場における付加価値論から様々活発な意見が出て、初めての会合初顔合わせとは思えない会となって、世話人の一人としては胸を撫で下ろす会となりました。フリーな話し合いの時でも加藤紘一氏はじっくりとみんなの考えを聞いた後に、こうした背景を加味して考えてみたら?と言うような示唆を与える形で、議論を盛り上げていただいた。参加した人達に、現場での問題意識と国単位での政治を結び付けて考えて欲しいとの事でした。 今後、毎月か隔月のペースを基準に具体的な論文などをベースに議論するような運営を続けていくつもりでいます。 加藤紘一氏からは必要な時にはその課題への適切な講師をご紹介いただく事も約束していただきました。 私たち設立世話人の目指すこの『塾』の目的は、自分達さらには若い人達が地域・国・世界の現実の問題を直視した考え方を学ぶ事を通して、自分自身のあり方を高めて、時には現実に行動もしていこうというものです。 最初は少ない人数で、密度濃く議論をしてみたいと考えていますが、少し運営に余裕が出てきたら、来る物拒まずでより多くの人と、それぞれの自分たちの地域課題、この国の問題について議論し、一緒に行動をしていくものにしたいと思っています。この『塾』の活動に関しては、このサイトおよび『Voice』さらには加藤紘一氏のオフィシャルサイト上で、逐次情報を公開していく予定です。 『Voice』さらには加藤紘一氏のオフィシャルサイト上においてはビデオなどでも状況をお伝えする予定です。 凛として立つ、誇りある日本人として、各人が自ら考え、行動する為には私たち自身が自分を取り巻く地域・国・世界をもっと知る事が欠かせないのではないか? その思いが今回の動きの原点です。 自分および次の世代への責任を考え、微力ながら続けていきたいと今覚悟を決めて動いています。 政治を馬鹿にする事だけで何も変わらない、その思いはますます強くなっています。 Topへ |
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澤田 正文 Subject:「澤田の論〜政治家に求める物〜」 Date: 2000.12.19 私(澤田)がこのようなサイトを立ち上げたのは、自分の生きかたに自分で責任を持つ為である事はページ上でも表明しています。その事を前提に、私が政治家に求める物は何であるかを書いてみたいと思います。キャッチコピー的に書けば「私心なきビィジョンと果敢なる行動力」という事になるでしょうか。私心なきという言葉にアンダーラインを引いたのは、何か立派な構想を口にしながら、結局は自分の周りへの利益誘導をしているだけの政治家があまりに多い事を感じているからです。しかし、今の国会を見ていると私心の在る無し以前に、ビィジョンのかけらも示さないで威張っている輩が多い様に思えて、こんな人間が政治家でまともな国になれるわけがないと、怒りを通り越し、情けない気がしている。今回の省庁再編での橋本、亀井両派間の争う姿はお粗末極まりない物であると言わざろう得ない。どちらも、自分達がどのようなビィジョンを持ってこの国を導いていこうという本来の政策提言をすることなく、利権をどうするとしか考えていない。そうした輩が国会という国の最高の意思決定の場で大きな力を持っている、その背景は一体何なのだろう。加藤代議士のサイトにいろいろと意見を書いている人たちもよく考えてみたらどうだろうか。以前から、無党派層と表現されてきた人は「信任にたる政治家や政党がないから、投票しない、政治には何も求めない」と言ってきた。その結果がというか、つけが今の状況を招いている事への真摯な反省が必要なのではないだろうか。 もっと、主体的に考える必要があるのではないだろうか。棄権も一つの意思の表明手段であるには違いないが、得票率が50%にも満たない中で決められた代表が集まって形成する国会の場で、公約も何も守らず、自分を応援する一部の人への利益供与に血道を上げる。そうして、無党派層は政治を侮蔑する事で、自分が高みに上ったような錯覚の中で自己満足をする。棄権はそうした状況を影で信任する事になっている事を深刻に受け止めていく必要がある。選択肢がない、確かにそう思いたい気持ちは分からないではない。しかし、何故ないのか?という事を突き詰めて考えていかないと、状況はいつまでも良くならないのだから、諦める前に少し考えてみたらどうか。 選択肢がない、と言うが何を持って選択しているのかをちゃんと言える人でなければ、その言葉は何の意味も持たない空虚な物でしかない。政治は難しいから、と言うが何が難しいのかを、ちゃんと言えば教えてくれる人や本は巷に溢れている。要するに自分はあまり考えたくないから、政治家でも官僚でも何でもいいから、世の中を良くしてくれと言っているにすぎない。政治家は本来そうした人に夢や希望を語りながら、それを公正に実現する事の為に存在するのだから、第一義的には今の状況を反省すべきは政治家であるけれども、私達もこの状況の共同責任を自覚しないで、非難するのは児戯に等しい。 政治家に何を求めるかは、自分も何をするのかを勇気を持って発言、行動する事と一緒に考えていく事から、それなりの答えが見つかる物のように思う。ある団体での表現を借りると今の民主主義は「おねだり民主主義」と言うそうです。自分が持つ閉塞感や不満、不安は何かもたらした物なのか、よく考え、様々な人と議論をして、よりましな選択を積み重ねていく事が民主主義なのでは? 今回の加藤代議士の事にしても、ネット上で頑張れと言ったのに、期待を裏切って、どうした、こうした。果ては議員辞職まで求める始末。一体あなたは何物?と逆に聞きたくなる。どうしてこんな状況になったかについて、冷静に書いてみたらどうですか。ちゃんと、どうした点がこの国の問題なのかが分かっていますか?誰がそうしたのか、あなたには何も関係がない所で全てが悪くなってきたのですか?あなたはこの国のあり方への傍観者ですか?それとも当事者ですか? 私は国民として、有権者として主体的にそうした事を学び、自分で考えるこの国のリーダーを支援していく事でしか、自分の責任を立たす術を知らないから、発言しつづける。 みなさんの『論』を聞かせてください。 Topへ Subject:「2000年最後の澤田の論」 Date: 2000.12.30 このサイトに自分の論を書いていただいている人たちには、幾つかの共通点があるように感じます。それは非常に幅広い分野に関心を持ち、少しでも世の中を変えていけたらと思う気持ちを持っている事です。どのように、またどの方法でと言う事では様々各人異なった考えを持っているのでしょうが、決して自分だけが得をしようと言うお考えで考え、行動されていない事は、書いてこられてくる文章を見ていると伝わってくる気がしています。 よくネットでは互いの顔も見えない事から、非常識な振る舞いをその匿名性でしている例も見受けられるのですが、ネチケットと呼ばれる互いを尊重しあう良識ある意見をお寄せいただいて、このサイトを立ち上げた私としましては、感謝に堪えないと思っています。 さて、何だかんだといっているうちに本当にあと僅かで21世紀になります。一年の終わりに毎年自分を少しは振り返るのですが、今年は単に1年毎の節目に留まらず、100年、さらには1000年単位の大きな節目です。新しい年を迎える時は常に何事かの決意を持って、少しは今まで以上に頑張ろうと気持ちを新たにする訳ですが、今年はいつも以上に深く思いを持って、この時期に大切に考えたいと思っています。 社会の動きをじっと見ていくと、凄く将来の事を真剣に考えている人も本当に沢山いて、これからのこの国の事、世界の事等を懸命に変えていこうと活躍されている半面、そうした人たちがより多くの人の未来を案じて為すことでも、無視をしたり、邪魔をしている事も嫌になるほど見えてきます。Date fileに地球温暖化の事を少しずつ書いていますが、他の課題も含めた環境問題は来る21世紀では全てのシステムの根底にその永続性を確保する視点を持って全ての人、組織、国家が考え、行動する事を当たり前の事とする世紀になるだろうし、そうである事を必然的に求められる世紀になるでしょう。ドイツのE .U. von ワイツゼッカーは21世紀を「環境の世紀」と言っています。そうした問題意識を具体的に考える時に、社会システムは?個人のライフスタイルは?という事がより多くの人で議論され、自分が本当に納得した形で協力されていく世紀にしたい物だと私も考えています。 I.S.さんが 富の集中を是正する手段として税のあり方を問題提起されていましたが、環境問題も密接に経済とりわけ富の独占とかかわっている事は、皆さん薄々感じられる事なのではないでしょうか?しかし、21世紀は経済に留まらず、そうした事を全ての人間が乗り越えていくように各人が理性と寛容を発揮する事が求められると考えています。そこには、人間が持っている他者への信頼感が例えばコミュニティと呼ばれる身近な人間関係で今まで以上に豊かに循環する事から始めなくてはいけないのかもしれません。その輪が少し大きな形として、自分達が住む市町村、県、国そして世界とその輪が広がって繋がっていく事をどうにか具体化していく事が求められるでしょう。 そうした事へ、通産省のキャリアという肩書きとは別に自身のライフワークとして取り組まれ、「エコマネー」「マイクロビジネス」と言った方法論を持った問題提起・行動プログラムを精力的にしている加藤敏春氏という人がいます。私自身も今その考え方を学ぼうとしている最中なので、これから徐々にご紹介していこうと考えていますが、取り合えず21世紀の初めに私達の住む鶴岡で、シンポジュウム(2月24日)でお話を聞こうと思っています。date fileに近く掲載しようと思っていますので、ご期待ください。 いずれにしても、手探りで始めたサイト『論』でしたが、僅かの期間に3,000を越えるアクセスをいただいて、様々貴重なご意見も頂き私も勉強になっています。改めて感謝申し上げ、今年の『論』の締めくくりとしたいと思います。来年も宜しくお願いします。 Topへ 21世紀初めの澤田の『論』 まだ10代の頃、21世紀と言う言葉は遠い未来の事だと感じていましたが、紆余曲折はありながらもこうして実際にその変わり目を迎えてみると、全ての事はある日唐突に目の前に現れるわけではなく、泣いたり笑ったりという平凡な日々の積み重ねの内に移ろいながらも現れて過ぎていく事を思わずにはいられません。一期一会、その時その場所で自分の前にある事に精一杯に思いを持って生きていく事しかない、そんな風に強く感じています。昨年12月にこの『論』を立上げ、自身の気持ちではそれなりに良かったと思っています。患者さんを診ながら、時間を作ってはパソコンの前である時はdatebaseをある時は自分の考えを打ち込んで、サイトに掲載される他の人の『論』と向き合い、様々考える。それは日々の臨床での知的好奇心とまるで違う物を私に与える物でした。地域での様々なテーマに対して、診療を離れて話し合う事はそれなりに今までもやってきましたが、このサイトでもう少し大きなテーマについても真剣に考えたり、本を中心に調べる機会が増えて、ある面では大変ですが、充実していると言うのが本音でしょうか。 世紀末は何か言い知れぬ不安感が高まる時期でもあります。しかし、今こうして様々な問題を真剣に考えつづけてみると、我々に突きつけられている問題はそうした気分の問題ではなく、出来る限り速やかにその解決が求められ、先送りを許されないとの危機感は強くなっています。このサイトでは、いたずらに不安感を煽る事ではなく、本当に直視をしなければならない問題をより多くの人と論じ合い、何とかその解決策を見出していくような議論に高め、行動に結び付けていけたらと思います。インターネットというツールを使って、何が問題か?と言う問題意識を出来るだけ多くの人と共有し、今までその解決を人任せにしてきた傍観者から、その解決に責任を持って行動できる当事者になる、そうした立上げに際した決意を新たに強くしています。 Topへ Subject:「澤田の論〜ルールについて〜」 Date: 2001.1.8 スキー競技に複合という、ジャンプと距離を併せた競技がある。この競技で、荻原兄弟の兄が世界を席捲した事があった。ジャンプで大きくリードし、距離も充分に鍛えられた力で、歴史に名を残すチャンピオンとなった。とこがである、ある時ルールが変わりジャンプのポイントが低くなって、体力に勝る欧州の選手が勝つようになって荻原選手はそれなりの成績は収めるけれども、総合チャンピオンに返り咲く事は出来なくなってしまった。ジャンプ競技でもルール改正があって180センチメートル以上と以下では履けるスキーの長さが違うルールになって、明らかに日本人選手は不利なルール変更となった。 こうした事は世界の中で戦っていくと、しばしばあるようで、我々日本人からすれば非常に悔しいし、ルールを変えてまで勝とうとする事の是非を考えずにはいられない。スポーツの世界でそのとおりなのだから、実世界というか経済や社会の様々なところで、同じように勝つ為に自分の技量を高めて勝とうとするのではなく、ルールを弄って勝とうとする動きはいろいろある。我々はルールを守って戦っている、そのルールはその時々で変わる事もルールの内と強弁する人間が、増えていくとどうなるのだろう。ルールを変え得る立場の人間は大抵、社会の中では強者に当たる人間の事が多い。そして、自分に有利なルールを作り、さも公平を装っている姿は醜怪ですらある。今の日本において、その醜怪な姿を晒そうとしているのが、自民党執行部と連立与党を組んでいる人たちであろう。政策を高く掲げてより多くの国民に指示を受けようとするのではなく、選挙制度を自分達に有利な形に変える事で生き残ろうとしている。 その元気を外国との交渉で是非発揮していただきたい物だ。外交での相手は、強かで自分達の有利な条件ばかりを言ってくるような相手であるが、そうした交渉は我々国民の生活がかかっている訳だから、負けずに強かに戦って頂きたいが、そこではからっきし弱い癖に、永田町内では内弁慶よろしく、やたら強かになって、ルールも何も変え放題では困る。しかも、そうしてルールを変えてまで生き残って自分の立場を守るだけの政策を続けられたのでは堪った物ではない。若者に社会のルールを語る前に自分達の襟を正さないとこの国は根本から崩れていく気がする。 Topへ
Subject:「澤田の論〜1万件のアクセスを受けて〜」 Date: 2001.3.26 このサイト『論』に訪れていただいたアクセス数が1万を越えます。昨年12月14日の夜にオープンして、100日程でこれだけ多くの人に個人サイトが見ていただける事は結構凄い事なのだそうです。サイト上で何のプレゼントが当たるでもなく、見てみれば文字ばかりの、読むのも疲れるサイトなのに、運営する立場としては質の高い『論』を投稿いただいている方々の努力や一緒に政治を見つめようと考えて頂けている事に改めて感謝したいと思います。 より多くの人に政治への健全な関心を持って欲しい、とのスタンスから運営してきましたが、ともすれば難しいとの評価やいろいろサイトの運営にご指摘いただいた部分には、私の力不足でお答えできずにいます。これからの展開に関しては、メール・マガジンにして情報発信することなどを今後考えていきたいと思っています。しかし、私自身が個人開業の町医者であり、自分の仕事をしながら、さらには地域内の様々な活動をしながら、という環境の中で、著しく自分の時間を割いて運営している事をご理解いただき、少し長い目で見ていただければと思います。 この100日の間、私自身本当に勉強になりました。経済の事、社会保障、教育の事、様々なテーマに関して、自分の知識の薄い事を痛感させられた日々でした。政治の事を語るのは、少し無理があったのかもしれない、そう感じる事も多々ありました。どの問題も少し中に入ると、簡単な解決策が見えてこない様々な事が歴史的にも、社会的にも背景としてあって、自分の考えをこうして文章として残す事を恥じ入る場面も多く、こうした事を続けることには、それ相当の覚悟が必要である事を改めて考えずにはいられない気がしています。 しかし、昨年の11月のいわゆる「加藤政局」の時から、政治を人任せにしないで、大人の責任をはたそうと考えた気持ちは強くなる事はあっても、弱くなる事は有りませんでした。自分が考えたとおりに社会が動く事はそうそうありませんが、自分もその社会を構成する立場で、少しでも公平な物事の決め方を模索する事や、特定の人たちばかりのための政治システム運用に棹さす事を通じて、自分の子供を含む次の世代が夢を持てる国・地方であるために、政治に関心を持ちつづけたいと考えています。 そのためには、出来る限りの正確な知識を身につける事が何より求められるでしょうし、いろいろな状況を本質的に掴み取る理解力が必要だと思います。そうした時に自分ひとりで悩むよりも、こうして様々な形で他の人の考えをお聞きできる場がある事は大切な事だと思っています。また、ある意味で自分と違った視点を与えていただけたり、同じような考えをする人がいる事に勇気づけられたり、私自身にとっては、実り多い場になっています。これからは、このサイトを見ていただいている人へも、そのように感じていただけるように頑張っていこうと思っています。 Topへ Subject:「個を鍛えよ」 Date: 2001.4.21 今回このようなタイトルをつけたのは、今までの集団主義的な精神構造による甘えを克服する事無しに、これからこの国の力は維持できない事を真剣に考えないといけないと思うからです。個人を考える事と社会を考える事とのバランスをどのようなレベルで取っていくのか?そのレベルが正直言って、今の日本は凄く低レベルなのではないかと感じる事が多い気がしませんか? 経済にしても、教育にしても何にしろ、個人の判断力や実行力が高まっていく中で全体の利益を他者への配慮の元でルール作りをしていく情況が望ましいと思うのですが、今の政治や教育の現場では、個人が自分を抑える事を強要する雰囲気作りをする人が多過ぎる事で、活力が出ないでいます。責任を取る事をまず回避する事から物事を考える、そんな雰囲気が多くの分野でリーダーシップを取るべき人に見受けられて、何時までに問題解決の目途が立つのかが明確になりません。集団の中に埋没する事で、誰も責任を取ろうとしない、そんな事が決断を求められる場にいる本来はリーダーであるべき人達の言葉を軽い物にし、多くの人の閉塞した思いを募らせているように感じてなりません。 今外交問題化している台湾の李登輝氏のビザ発行の件は、この国のあり方の根本に関わる問題を提示する物に思います。外交と言う一番に国の意思を表わす政治において、この国の意思はどこにあるのか? そうした議論がほとんど為されていないように思います。外務省のスタンスが軟弱と非難する人もいるでしょうし、過去の歴史から中国への配慮を考える人もいるでしょう、しかし、いずれにしろ各国が自分の国の意思を表現する為に様々な手段でリーダー達が行動している訳です。そのリーダー達はそれぞれの国民とはまったく別の考えばかりで行動しているのではないはずで、各々の国民の思いを形にする為に場合によっては命を賭けて行動しているのではないでしょうか? 私達の国は、そうした政治課題を一体どれほどの国民が真剣に考え、その選択を政治家に求めているのでしょうか?また政治家も国民に一緒に考える事を説得しているのでしょうか?東西冷戦下の状況で、西側陣営である事を表明し、そのリーダーであるアメリカの意向に背かないでいる事と、その範囲で中国やアジア周辺諸国の強い反発を生じなければいいとの外交戦略は、現実的な選択であったし、今でもそうせざろう得ない部分がある、その判断は間違っているとは思いません。しかし、刻々その状況が変化している中で外交のあり方に対して冷静な国民合意を構築する努力をしておかないで、今回のような優柔不断なやり方や、国の意思を表明も出来ないで、なし崩しに事態に流される事を続けていけば、周辺諸国からも、本当の信頼を得る事が出来ない気がします。 一部の政治家が強権的に方針を決める事を期待するのではなく、個々の人がこの国はどのような国になって他の国とやっていくのかを普段から考えるように自分の考えを鍛えていくようにしないと、結局は経済問題も教育問題も何も解決が見えてこないのではと思います。 外交のような高いレベルの話でなくとも、個人がそれぞれに他人任せでは無く、自分の考えを持つように自分を鍛え、その考えを表明する事を通して、自分を取り巻く様々な問題に対して、責任を持った態度を示す事が求められているのではないでしょうか?何も自分の考えを持たない、持っても口にしない、そうした態度でいる事で責任を持つ事から逃げてしまう。そんな姿勢が総体として国のあり方の混乱や閉塞した状況をいつまでも解決できない大元のように感じます。経済や景気は確かに大切ですが、その問題を解決するにも、生きる事への毅然とした姿勢や他者への思いやりがあってこそのように思います。自分の前の利益にのみ目が行く国との誹りを受けることのない、誇りある国になる為に、経済もそれなりであるべきでしょうが、いつもその事ばかりが政治のテーマという事でいいのだろうか? という事を考えさせられました。 もっと、台湾と我が国の関わりや中国とある時期の日本の関係について、みんながちゃんと学ぶ必要があると思います。何故李登輝氏が日本に対してそれなりの政治的な行動をするに至っているのか? という点などを、20代位の人たちはどの程度理解しているのでしょうか? 過去の清算という視点のみに偏らずとも、アジアの中で生きていくこの国のこれからを担っていく人たちは学ぶべきでしょう。理解した上で、どのように判断するのかは、各人が個を鍛え、賢明に判断するべきで、押し付けるような事はある意味危険と考えますが、無関心ですむ問題では事であるとの認識は、キチンと伝えるべきで、そんな事も伝えないでこれからの世代がまともに生きていけると考える方がどうかしているように思います。 自分の考えを持つ、その考えが他者との関係性を壊さないように配慮する、そうしたバランスを健全に保つ努力を怠らない、そうした国民が増える事が国力を高める事に結局はなるのではないでしょうか?今の政治の状況は、そこの部分が一番求められている人たちすら、個として自分を鍛えているのか?と聞きたくなるような人が多過ぎる気がします。私達国民もそれを求める事の出来る個としての自立を真剣に考えるべきだと思います。 Topへ 澤田の『論』〜政治へのアプローチ〜 個々のテーマの論議は今までと同じようにやっていこうと考えていますが、政治の質を高める為に、政治家へどのようなアプローチがありうるのか? について、このサイトを見て頂いている皆さんがどのようにお考えか、是非書いていただけないでしょうか? その捉え方としては、制度の中で改善を要する点のご指摘もあるだろうし、政策評価のシステムに対する提案などもあるだろうと思いますが、取り合えず今の制度で行われるであろう7月の参議院戦や、その後の情勢次第では年内にあるであろう、総選挙において政治家にもう少し先を見た政治をしてもらうような意思の提示の方法がありうるでしょうか? 私なりの感覚では、もう淡々として今の状況を見ている事が許される状況ではないのですが、政治家の感度が鈍っているのか? 旧態然とした派閥力学や支持団体への遠慮からか、 前を向いた政策が出てきません。 従来のステークホールダーに寄り添った政策によって、全体が何時までもうまく動いていかない閉塞感を打破する政治をどのように求めていけばいいのか? について、皆さんのお考えを聞かせてください。 Topへ
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