策の論●構造改革
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2002.11.05■「澤田の論〜力うどんさんへ〜いまにしさんの論〜これからの社会39〜
2002.11.06■「鶴岡力うどんさんの論〜澤田さんへ〜
2002.11.07■「澤田の論〜もっとキチンと話し合うべきではないでしょうか?〜


2003.05.22■「澤田の論〜再び生保の利率引下げについて〜
2003.05.26■「いまにしさんの論〜これからの社会43〜」/「澤田の論〜三度生保予定料率について〜


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Subject:「澤田の論〜力うどんさんへ〜」
Date: 2002.11.2

 力うどんさんからご意見(2002.10.31分)をいただきました。 正直言って力が抜けてしまいました。 私がいろいろ書いてきた事は空論との指摘です。 中小零細の企業群への視点が抜けた“威勢のよい”論だけの展開との評価です。

 物事は複合的な要素で成り立っています。 今の経済苦境の原因も、多様な要素を含んでいます。 当然その対処においても多様な施策を統括的にやっていくべきでしょう。 改革に伴う軋轢への手当として、セーフティネットをどのように張るのか?との論点も私自身が軽視などしていない事は、書いてある事をしっかり読んでいただければ伝わるものと思っていました。 しかし、竹中金融相から出てきた不良債権処理の問題解決の加速策が大変な議論になっていた事から、地方経済での窮状を招いている根源のガンをちゃんと認識する事を私なりに分析しただけで、はっきり言って力うどんさんの評価は的外れだと思います。

 金利をこれだけ下げ、さらに日銀が金融緩和をこれだけしても市場にお金が回らない状況を作っている部分をどうにかしない限り、力うどんさんが指摘される地域経済の本来健全な担い手までもが連鎖的に苦境に追い込まれるのです。 セーフティネットを張る事が相補完的に重要だとの見解を紹介もしているはずです。

 折角ご意見をいただきながら、こうした事を反論する事は控えるべきなのかもしれませんが、どうしても問題の本質から目をそらす議論になる危険性を秘めたご意見だとしか思えないのです。 同時複合的に問題点を論じていけばいいだけで、ある種の視点がない事を指摘するには少し表現的にも失礼な書き方をされていると思います。

 多少?感情的な事を書いていますが、今回の一連の対策の不徹底さを見ていると絶望的な気持ちになります。 私はアメリカ的な経済システムに日本が染まっていく事などには大反対ですが、銀行が適正規模に再編され、市場への資金提供言葉を変えて表現すれば信用創造を適切に出来る体制を早急に取り戻せないと、日本経済が抱える困難な問題に対応出来ず、ズルズルと沈んでいくのではとの焦燥感があります。 地方経済へのきめ細かい手当が出来ないのも、資金の流れを大手銀行がせき止めている事が大きな原因でしょう。 どちらの視点も大切ですが、地元経済への視点が無いかのような指摘を受ける事は、私が書いてきた事を全面的に否定するような物ですし、縷縷書いてきた今までの文章を読まれていないのかな、と感じました。

 マクロの話をすれば、ミクロの話がない、ミクロの話を書けば、マクロの視点が欠けているとの指摘を受ける、私自身にしてみればどちらの事も考え総合的に考えようとしているつもりです。 ただ、日本のマスコミの報道姿勢からは、この経済苦境の原因を作ったシステムの欠陥を検証する動きがないまま、なし崩し的に税金投入が行われたり、システムの本質的な脆弱性を研究するような議論が一向に出てこないから、このサイト上で少し指摘していこうとしているだけです。 “威勢のよい”との酷評をいただくとは思ってもみませんでした。 本当に力が抜けてしまい、しばらくは反論をする気力も出ないでしまい、お答えが遅くなってしまいました。

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Subject:「これからの社会39」
Name:
いまにしさん
Date: 2002.11.4


論への掲載ありがとうございます。

 朝晩寒さも身体に感じるようになり今年も残すところ2ヶ月となりました。 自然というものは容赦なく時を刻みます。 僕は間もなく49歳。 気持ちは若いつもりではいるものの身体のほうはだんだんとその年の身体になってきました。 実は僕は昨年耳の病気で入院しました。 そして今年9月に2度目の入院。退院して10月から軽貨物運送の仕事に委託で始めるようになりました。 どんな会社でもそうですが成績のいい会社とそうでもない会社があって同じ仕事でも会社によって随分状況が違うものです。

 自分のことはさて置き、今の日本の社会の成り行きはまだまだ悪い社会とまでは言えないかも知れませんがこの先良くなっていくとはとても思えません。 良い会社、良い身分の人には良い暮らしができても倒産、失業などによる失業者にとっては厳しい状況だといえます。 現在の人の考え方は新しい産業の方に目が向けられています。 しかし、それは木で例えるなら枝葉の産業にしか過ぎません。 10年ひと昔ではなく、今は1年ひと昔の時代です。 産業を興してもすぐ飽和し次の産業を興さなくてはなりません。 しかし、このやり方はいつまで続くのでしょうか。 時代は物質の末期に来ています。 物に拘っていてはこの先は見えてきません。

 僕が毎回言っていますが第一産業は物質ではなく、生きる糧です。 人間が生きていくのにまず必要なのは食料です。 現在日本においては殆どが輸入に頼っています。 しかし、国内でも専門家して食料を生産している人は僅かです。 兼業農家とは言いませんが自分の食べる食料は自分で作る。 これが人間の本来の生きる姿です。 これには生きてゆくための心の不安はありません。 人間が心のゆとりを失ったのはこの食料の生産から離れたことによるものです 。心が狭くなった、思いやりがなくなった、お金に走るようになった、すべて食料の生産から離れたときから始まったのです。 専門的には自給率という言葉が使われていますが個人の生産の自給率、国の生産の自給率のバランスが壊れたことによってすべての問題が発生したのです。 人間は自分たちの能力の限界を忘れている。 いつまでも自分たちだけの能力を誇示している。 このままでは私たちの社会は取り返しがつきません。 環境問題、地盤沈下、温暖化による海水の上昇、いつまで放っておくのでしょうか。 いつまで今の経済活動を続けるのでしょうか。 それで問題が解決するのでしょうか。 人間はすべて自然の恩恵を受けてきました。 自分の身体、物、水、空気。すべて自然の恩恵です。 この恩恵失くして人間は生きていけるのでしょうか。 経済活動を続けることができるのでしょうか。 失業をなくすことができるのでしょうか。

 私たちの社会は枝葉ごとの問題に余りにも囚われています。 根、幹を太く大きくしなければ今の社会は次の時代を向かえることはできません。 ここまで発達した経済を科学文明を無駄にして良いんでしょうか。 今までは自給率などと人間の頭で考えることしかしませんでした。 しかし、これからは問題解決の議論している時間は殆どありません。 容赦なしの時代が来ます。 私たちは迫られています。 どう選択するのかを。

 澤田様 長い間論への掲載ありがとうございました。 本当に感謝しています。 加藤代議士のことから始まり論に係わってきましたが今回をもって最後になるかも知れません。 どれくらいの人が論のホームページをご覧になっているのか知れませんが、最後に多くの人に僕からのメッセージを送りたいと思います。

 「人間よ、忘れるな。自分たちの能力を、置かれた立場を、そしてあなたたちの人生の生きがいを」

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Subject:「澤田さんへ」
Name:
山形県 鶴岡力うどんさん
Date: 2002.11.5


 澤田先生には、随分ご立腹の様子で、小生の前回論に言葉足らずの箇所があったとのこと、深くお詫びを申し上げます。
 しかし、「力が抜けた」と言われるほどの非難を述べてきた自覚が私にはなくて、「澤田先生はそんなにヤワじゃないはずだ」と逆に驚いた次第です。
 ただ一言、言葉尻を捉えて恐縮なのですが、私は先生のこれまでの論をすべて「空論」だとの指摘は行っておりません。 これは決して皮肉でもなく、「威勢のよい」銀行批判や政治家批判が出来るお立場が、ただ羨ましいと思っただけで、今の私には出来ないことだと僻んでみただけのことなのです。 それと、声を大に銀行批判や政治家批判をしたくても出来ない立場にいる商店経営者や中小企業経営者が多い中で、澤田先生のご主張というのは、本当に「威勢がいいなぁ」と素直な感想を申し上げただけなのです。
 まぁ、あえて申し上げれば、「先生、少し評論家過ぎるんじゃないの? 先生からはマスコミに登場する経済評論家と同じ言葉を使うのではなく、今までのようにもっと身近な話題を引用しての、もっと生活実感に根ざした言葉を使ってほしいなぁ」と期待していたことは確かですが。それと表題に使った「地域経済の状況を直視して」とは、先生にだけ申し上げたのではなく、マスコミを含めて経済論議をされている方々すべてに呼び掛けたつもりです。
 澤田先生がこれまでの論でも、地域のことについてよく引用されて、ご意見をおっしゃっていることは、小生なりに熟読をして感じているつもりです。 でなければ、この論に投稿する勇気など生まれてきません。 反論に聞こえるかもしれませんが、「問題の本質から目をそらす議論になる危険性」という言われ方だけは、いくら先生のご感想でも承服出来ません。 冒頭申し上げたように、「地域経済を直視して」という意見は先生にだけ申し上げたことではないからです。 それと小生は小生なりに今の問題の本質については判っているつもりですが、前回論では「とにかく今は弱者のこともよく考えて」ほしいと感想を言ったつもりだったのですが。

 さて、昨日(11/4)の「ニュースステーション」の緊急世論調査で、今の不良債権スキームについて国民はどのように理解しているかという区と設問がありました。 「正直よく判らない」と答えた国民がたしか6割を超えていました。 また「銀行の経営責任と国営化」についても、その理由や仕組みを詳しく知っている国民は2割しかなく、ほとんどは「よく状況が判らない。
しかしデフレ対策だけは早くやって欲しい」という声のようでした。世論調査のことをいうと、誰から情報操作していると言われそうですが、私は昨日報道された結果が今の国民感情なのだと素直に受け止めました。
 ですから、かく言う小生もその6割に属する国民の一人で、とにかく今をなんとかしてくれという気持ちだけなのです。
 ここまでいうと、「ただなんとかしてくれでは駄目だ。困った時だけ政治頼みで主体性のないことでは……」と批判されそうですが、国民の一人としては成すすべが無いといったところが現状かもしれません。
 「根源的な問題を解決しなければ先には進まない」という加速策の趣旨も判らない訳ではなく、またすべてに反対しているのではなく、何度も言われるようにセーフティネットの展開も加速的に行わないと弱者は本当に立ち直れないところまで追いやられるという危険性を感じていたからなのです。その点から言えば、私の方が感情論だったのかもしれません。
 お詫びします。

 ついでに、セーフティーネット論の観点で言えば、先日の朝日新聞には全国の都道府県での緊急的な雇用対策がまったく効果をあげていないという報道がなされました。 さらには雇用保険の原資も底を尽きそうなのに、片方では相変わらず無駄使いとも思える支出が続いているとの報道もあります。
 ここに投稿される皆さんのように理路整然と今の経済状況を語れず、感情的なものの言い方しか出来ない自分が情けなくなり、それこそ小生こそ「力が抜ける」経済状況の昨今なのですよ。

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Subject:「澤田の論〜もっとキチンと話し合うべきではないでしょうか?〜」
Date: 2002.11.7

 いまにしさん、力うどんさんからご意見をいただき掲載させていただきました。

 いまにしさんが最後の投稿と書かれているのは、どういう理由なのか?大変気になるのですが、瑣末な現象に心を奪われた議論を繰り返しているとのこのサイトへの評価なのだとしたら、とても淋しい気持ちです。 また、力うどんさんから評論家のような『論』を脱却するようにアドバイスをいただきました。 いずれも私自身の力不足を思い知らされる文章です。 気持ちばかりが焦って、人の心に届くような自分の意見を書けていないのだなぁ、と深く反省をします。

 しかし、それでも自分の思いをこれからも継続して書いて行こうと思います。このサイトが誰が見てくれなくなっても、自分が自分の生き方に責任を持つ事を覚悟した当初の気持ちを失わない限り、学び、行動する意思表明の一つの手段としてこのサイトを続けてみようと思います。

 さて、アメリカの中間選挙は共和党が歴史的と表現される勝利を飾りました。 アメリカ国民は、力による世界との関わりを支持したようです。 それほど、テロ事件やその後の様々な国内の喧騒によって、心を痛めつけられているのでしょうか? 人の国の事を心配する余裕は日本にもないのですが、アメリカの私の感じる良さはここしばらくは後ろに退くように思え、大変に危惧をしてしまいます。 対イラクへの査察問題では、一定のアメリカの譲歩を踏まえた決議がまとまりそうです。 是非にも冷静な事態の進展が望まれる気がします。 地球環境の問題などで世界が非常に困難な問題解決に一致団結して取組んでいかなければならないこの時に、破壊を目的にした戦争などしている場合ではない、そうした思いを強くします。 それぞれに信じる信念や思想、或いは宗教をもって自分が正しいとの主張をする事は構わないのですが、違う考えの相手を殲滅しようと武力に訴える事を繰り返していても、一時的な解決にしか過ぎないし、復讐の惨劇によって残り少ない人類共通の資源を浪費するだけに終わる愚かしさから、何時になったら脱却できるのでしょうか? 何が正しい、間違っているとの争いから自らの未来への可能性を浪費していると何故に考えられないのか、物事の決定権を持つリーダーになるにはもっと深く自省する必要があるのではないでしょうか?

 昨日のわが国の国会での党首討論は、実際に見ていませんが、ニュースでの報道は民主党の鳩山氏に大変に厳しい評価を印象付けるような物が多かったように思います。 セーフティネットを張る事に関して、様々な論争を望んだようですが、小泉総理がまともに議論しないまま、終わって党首討論を形骸化させるような発言をしていたように思います。 野党の意見などは聞く耳を持たない小泉総理らしいと言えばその通りの議論のようですが、セーフティネットを張る事の財源をどのように求めるのか?という議論はとても大切な議論なのではないでしょうか? 財政規律上、30兆の国債発行枠を守る事の是非、予算のあり方を組替える事による財源確保の可能性、現内閣が取る組む政策のあり方としては瑣末な議論ではないと私などは思います。 公共投資をある程度デフレ対策としてやる事や国民生活の安寧にとって、複合的な視点から熟考するべき論点でしょう。 以前から再三指摘される事ですが、討論において相手が聞いている事に真面目に答えないで、相手の議論を悪評して済ませる態度を取る事においては、小泉総理も森前総理と同じです。 各種の世論調査で支持率を維持をしている総理ですが、本当はあらゆる場面を通じて国民に理解を求めるために、相手の議論をもう少し丁寧に取り上げて、何故自分の政策が必要なのか?を説明する意欲を示すべきなのではないかと常々感じます。 どうせ理解出来ないと国民を侮っているのではないか、そうした印象を持ちます。 党首討論が実を結ぶものになっていない原因は鳩山民主党党首にも問題ありとの思いはありますが、国民への理解を本当に求めようとはしていない、小泉総理側にもその責任の一端がある事は私たち国民はよく理解しておく必要があると思います。 互いの勢力拡大の為に、相手を非難するだけの場に党首討論の場を貶めている場合ではないでしょうに。

 今の経済を始めとするこの国の混迷を少しでも脱却する糸口を、国民に訴える貴重なチャンスとの大きな志がどちらにも感じられないのは、非常に寂しい事だと私は思います。 政治はもっと国民の心を鼓舞する言葉を持つべきです。 与党、野党の立場を超えて、それぞれが希望を国民に語る責務があるとの大人の政治を期待したいものです。政治家の力だけで国が動くのではないのです。 もしも動くと政治家の人たちが考えているのであれば、大変な思い上がりと私は思います。 少なくても民主主義国家とは言えない国を政治家が作ろうとしている危険な考え方であると私は思います。 決断する事も大切な政治家の使命ですが、その前に国民に本当に理解を求める姿勢が必要なのだと思うのです。 最近、そうした点で政治と国民の関係が歪なものになりつつあるのではと、報道を見ていて感じました。 アメリカの最近の姿勢にも共通する危さを感じる今日この頃の風景です。

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Subject:「澤田の論〜再び生保の利率引下げについて〜」
Date: 2003.5.22

 生命保険の予定利率を下げる事を生命会社の逆ざや等による破綻よりはまし、という論理で認める方向での調整が進んでいるという報道がなされています。 この事に対しては、以前にも資本主義国家として、契約を守る事が大切という考えで書いたのですが、ルールを契約者の預かり知らない所で変更する動きになりそうです。 前に書いた『論』でも紹介した塩崎衆議院議員の政府への質問は、問題を整理するのは大変役立つものなので、さらに踏み込んだ内容で問い質す塩崎氏の主張を転載します。

 〜予定利率の引き下げについて〜
平成15年5月8日
衆議院議員 塩崎恭久

1.免許業種における顧客の権利の不利益変更の強制は、法の精神に従って、まず行政命令で行うのが筋であり、私的自治による不利益変更は認められないのではないか。

2.破綻の蓋然性の条件や、当局への事前届出は、保険業法第一条(保険契約者の保護)と矛盾するのではないか。

3.総代会は、契約者が直接参加できる意思決定プロセスとはいえず、私的自治による手続きとはいえないのではないか。

4.1割の反対で否決するのは、破綻の場合と同様であり、おかしいのではないか。

5.株主総会の場合、反対株主は株式買取請求権により保護されているが、異議申立者には、解約という選択肢しか与えられないとすれば、原契約の債務不履行(デフォルト)に該当するのではないか。このとき、異議申立者に対して原契約を継続したときの得べかりし利益を賠償する必要があるのではないか。

6.契約者が不利益変更の是非を判断する基礎となる、財務のディスクロージャー(例えば、処分可能資産などの情報)が十分に行われないのではないか。

7.私的自治の仕組みである以上、責任準備金のカットも自由に行えるのではないか。同様に、予定利率の下限を設ける必要はないのではないか。

8.「業者負担」を強要されるセーフティネットの枠組みは、銀行の預金保険とは本質的に異なる、典型的な護送船団方式であり、今後は、さらなる「業者負担」を避けるべきではないか。

 指摘の多くはこの問題の不明朗な政策変更過程を浮き彫りにするもので、専門的な部分は置くとしても、3,5,6の指摘などは私も本当にいい加減な事を認めようとするものだと怒りを感じるものです。 例えば5の指摘では、“株主総会の場合、反対株主は株式買取請求権により保護されているが、異議申立者には、解約という選択肢しか与えられないとすれば、原契約の債務不履行(デフォルト)に該当するのではないか。 このとき、異議申立者に対して原契約を継続したときの得べかりし利益を賠償する必要があるのではないか。”という事を言っている訳ですが、皆さんもご存知のように保険の解約時には解約者はそれまでの掛け金分も保証されないように不利益を甘んじて解約をする訳で、それが嫌だから少々の事には目を瞑って、契約を続けるということがままあります。 株主が株を売る場合に比べて、保険契約者の権利は著しく軽視されているという事が分かります。

 さらには、6で指摘されているように、本当に保険会社がどれだけ予定利率を下げないと存立できないのか? 情報が十分に契約者が分からない仕組みになっているというのであれば、保険会社が自分達で、勝手に経営が危いと言えば、何故そうした事態になったのかを契約者に十分な説明が為されないで、ただ会社が苦しいと言えば、契約を違えて約束したお金を払わないと言えてしまう、とんでもないモラルハザードを引き起こす可能性すらありうるのではないでしょうか。

 “異議申立者に対して原契約を継続したときの得べかりし利益を賠償する必要”との主張にあるように、会社のミスで予定利率を下げるような契約は否定すると言う契約者には、約束した分をそれなりに保障させる事はどう考えても当然の事のように思います。

 総代会という特殊な意思決定システムが、生保のあり方を決めているのですが、株式会社と比較して私的な組織形態とずっと存続してきました。 しかし、そのために財務の開示が曖昧になったり、意思決定がどのような形で決まったのか、という外部からの判断基準が不明瞭だったりしてきたのではなかったでしょうか? よく言われることですが、生保関連で大量にアメリカ国債を保有しているそうですが、それならば日本の金利が低い状況であっても運用での逆ざやは生じ難いのではないか、そんな事も考えます。

 資本主義国家で、契約を利用者へ不利益を与える形で変更するのであれば、その根拠をもっと開示する事を政府が強制的に命じるべきです。 私的自治という論理を都合良く振りかざして、どのような経営判断でこうした異常な事が必要になったのか?という事を説明もしないでやってしまう事は、どう考えても納得がいかない話です。

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Subject:「これからの社会43」
Name:
いまにしさん
Date: 2003.5.25


論への掲載ありがとうございます。

 「日本は金持ちだ」とよく言われますが、やはりそうなんでしょうか。 平均貯蓄高を見ても随分と高くなっています。 「誰が持っているのやろ」と思ってしまうのですが、誰かが持っているのでしょう。 僕の嫁さんが1年ほど生命保険会社に勤めていたんですが、けっこうの人が二口・三口入っている人が多かったようです。 保険会社が絵画で問題になった時期がありましたが、掛ける人も掛ける人、集めた金を運用して儲ける人も儲ける人。 僕から見れば「何てあほなこと」と思ってしまいます。 バブルの時は皆があほなことをやっていたと思います。 ペーパー商法が悪だと言いますが、銀行も保険会社も同じようなもので、ペーパー商法に近いことをやっているんです。 それに乗る客も悪いんですが。

 生前、僕の父は保健嫌いで「何で命に保健掛けるのや」とよく言っていました。 わざわざ掛けていた保険を解約したほどです。 命に保健を掛けるのは罪のようでした。(借金するのも罪) 「命の保険は神だ。人間は神に保険を掛けるものだ」と言っていました。 殆どの人が自然と闘うというか昔の人は自然と向き合っていました。 それにお金もなかった。 又、人はお金を持てば変わるとも言っていました。 話が反れたようですが、現在はお金を正しくコントロールできないでいると思います。 それにお金第一主義だと思います。 お金がないと生活できないのですから。(僕はお金の要らない世の中を創りたいと思っています)

 ところで生命保険の利潤の引き下げの問題ですが、実際の状況を知らないから言えないのですが、人間が作ったルールは人間が変えることが出来ます。 今、本当に困っている人が増えているのですから少しばかりの変更は仕方ないと思うのですが。

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Subject:「澤田の論〜三度生保予定料率について〜」
Date: 2003.5.26

 今西さんからご意見をいただきました。 予定料率を下げる事の問題に関して、止むを得ないのでは?という趣旨でのものと思いますが、確かに生保関係の会社がばたばたと潰れてしまう事は、国民の生活に大きな影響がある話ですので、潰れて契約者が被る損害と、予定料率を下げて破綻を回避する時の損害を天秤にかけて、考えてみる事は必要な事なのだと私も思います。 しかし、その時に今までの金融機関での公的資金投入の際に問題となってきた事と同じように、こうした事態を招いた責任の所在や、混乱に乗じて不条理な利益を得る人間が出てこないように社会的公平を期するような分析と、果たしてこうした資本主義国家における禁じ手を打ち出すだけの根拠を再犯防止というか、今後の教訓とする為のキチンとした検証がどうしても欠かせないと言う観点からの問題提起をさせていただいている事をご理解いただければと思います。

 問題の本質から目を背け、事が従来のルールによってはどうしようもない事態になるまで放置する。 混乱回避の名目で、その事態を招いた責任を誰もとらないまま、多くの国民の資産を勝手に損失の補填に回してさらに問題の先送りをする。 本来責任を取るべき既得権益層に名分なき利益を与える。 いつまで、こうした事が続くのでしょうか? 個人に対しては自己責任を取る事が、正論として語られるのに、社会の指導的な立場に立つべき人たちは国家規模でその債務を帳消しにするような形での無責任な事が罷り通っている事へもう少し私達は怒りを持って対峙するべきではないでしょうか。

 今回の生保の問題は、逆ざやと呼ばれる生保会社が契約者に約束した金額を払うための運用利益が確保できない事が直接的な原因です。 その事の背景にはバブル時の生命保険が金融商品化した事が大きな要因でしょう。 本来であれば、事業等で借金を抱えている人などはもしかして働き手である自分が何かの不幸にあった場合などの備えとして、相応の生命保険の加入などをする、そうでない人も自分が死んだ場合に幾ばくかのお金を子供に残し、そのリスクを軽減する事が、生命保険の社会のセーフティネットとしてのあり方であったはずです。 そうしたものであれば、その安心を損なわないような政策を国がルール変更をしてやるという事にも、それなりの正当な理由を見出す事ができます。

 しかし、現在の問題がそれに留まらないのは、資産運用という形で高い利率の約束をネタに闇雲に必要以上の加入を獲得してきた生保会社の営業姿勢によって、必要なセーフティネットだけではない過剰な加入者に、バブル時の高利回りの運用を前提とした商品を勧誘しまくった事のつけが、バブル崩壊によって厳しく咎められているという事なのでしょう。 生命保険という商品の本来的な性質からすれば、バブル時の高い運用利益をそれほど長期に維持できるという見通しを持つ経営者は余程の楽天家か、確信犯的な無責任な経営者でしかないはずです。 いずれにしても、経営者としての責任を免れない立場にあるはずです。 現在の議論で一番に問題なのは、そうした経営判断の根本的な間違いを国民に示す事をしていない事にあると私は思います。

 当時の生保会社は例を見ないほどの好調ぶりで、その利益をどのように運用していたのか?を少し検証してみると、かなりの部分はアメリカ国債の購入に当てられていたはずです。 これだけ苦しい状況に追い込まれているのですから、当然そうした債権を手放して、契約者への充当に当てるのが筋でしょう。 もしもこうした点につき詳細なデータをお持ちの人がいれば教えていただきたいのですが、多分そのアメリカ国債の売却は政府によって抑制されているのではないかと私は想像しています。 いつだったか、橋本元総理が、日本がアメリカから購入している国債を売却する事もありうるとの発言をして、大きな問題として取り上げられた事がありました。 様々な要素の絡みから、単純にアメリカ国債を手放す事が出来ずらい事は漠然とは理解出来るのですが、それでもここまで来るとそうした選択肢だって考えてみるべきものであるはずでしょう。 プラザ合意以来の為替の変動や様々な事を考えると、日本国民はアメリカ国民の豊かさ追求のために、ただ自分達の資産をすり減らしているように私には見えてなりません。

 先の『論』で塩崎議員の指摘を紹介した中で、財務が公開されていない事の問題点を書きましたが、単純に国内の金利の問題だけではない、生保会社の財務の悪化の原因を私達はちゃんと理解した上で、どこまでがルール変更の正当な根拠を持つものなのか?という点を知る必要があると思います。 現在のやりかたでは、何が悪くてこうしたルール変更が必要なのか、表面的な話しかないまま、こうしたやり方で問題がどこまで解決されているのかすら分からないで、将来の手にすべき資産が誰かによって食い潰されていく事を見守っていくだけという不条理な事で事が進んでいくのです。 自民党の相澤氏などはこの問題の本質を分かっている人物だと思いますが、国民に説明する気持ちなど一切なさそうです。 誰のために政治をしているのか?問い質したいものだと思わずにはいられません。 無責任すぎるのではないでしょうか。人間が作ったルールだから、ルールを変える事は当然ありうる事です。しかし、ルールを変えるのが、どういった事によるのか、という点をキチンと検証しないでなし崩しで変える事は、多くの場合一部の人の利益を守る為の不正に近いものであるケースが多いのです。 今回の生保の予定利率の変更などは、まさしく生保会社の経営陣への徳政令に近いものであると私は感じています。 しかも、不明瞭なやり方で、今回のやり方を簡単に許せば、今後さらに理不尽なやり方で、一般国民の資産がルールの勝手な変更で収奪されてしまう道が開かれるのです。 バブルによるお金を手にした人達の後始末が国家単位で今為されようとしているのです。何の反省をしたというのでしょう? 私の頭ではちゃんと皆さんに理解出来るように説明しきれないのですが、あまりにも無責任な話が公然と行なわれようとされている気がします。

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