| 論のための基礎データベース このデータベースは、私個人で蓄積してまとめたものです。 これらも随時更新していきますので、参考資料・書籍等ご紹介いただければ幸いです。 ★File024●日本の税制 (2002.01.19追加) File001●日本の財政構造 File002●社会保障 File003●財政 File004●日本の社会保障 File005●教育 File006●ODA File007●地球温暖化 File008●銀行の変容 File009●地方財政 File010●地球温暖化Part2 File011●銀行の変容Part2 File012●「特許から見た」産業競争力を考える File013●地球温暖化Part3 File014●「特許から見た」産業競争力を考えるPart2 File015●環境問題と経済 File016●マイクロビジネス考 File017●教育基本法 File018●財政のしくみ File019●農業 コメの値段 File020●デカップリング File021●行財政改革の視点 File022●京都議定書のポイント File023●テロ新法 File024●日本の税制 |
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File001 日本の財政構造 |
1.財政の状況 2000年度末の日本の国と地方を合わせた債務残高は645兆円に達する。また、2000年度の国債発行額は32兆円が予定されていて、国債依存度(歳入に占める国債の割合)は38%となる。これと同水準の依存度となったのは、第2次世界大戦の時である。分かりやすく家計にたとえると、年間支出の4割を借金している状況である。 2.財政悪化の経過 財政が均衡を失った一番の理由は、大型景気対策として国債発行を財源とするやり方がバブル崩壊以後続いてきた為で、92年8月から95年9月まで計6回の総合経済対策を打った事による。そこで、95年11月に財政危機宣言を当時大蔵大臣であった武村正義大蔵大臣が出したが、その流れは止まらなかった。さすがにこのままではと、97年11月に橋本内閣は「財政構造改革法案」を成立させて、2000年までに赤字国債の発行を0にする政策転換を図った。この時に一般歳出が前年よりマイナスとなり、さらには社会保険の給付が減額されたり、消費税が3%から5%に引き上げられたりといった厳しい政策が取られた。しかし、この直後から金融不安が高まり、景気対策を求める声が強くなり、半年で改正財政改革法により、再び積極財政路線に戻って財政問題は先送りされてきた。 3.財政悪化の原因 現在の景気を回復させるまでは、財政には目をつぶるという政策が、本当に将来的には日本を正常な姿に戻すのか?という問いには疑問の声も多い。そもそも、今の政策は景気対策としても失敗であると指摘もある。「97年末から2000年末までに国債残高が106兆増えているにもかかわらず、GDPの増加は10兆前後しか増えておらず、景気対策にもなっていない。」との分析が金子勝法政大学教授(現慶応大学教授)、神野直彦東大教授、野村容康日本証券経済研究所研究員などからされている。今の膨大な財政出動はバブルで傷ついた銀行、ゼネコンなどの不良資産の後始末に使われている、一種の徳政令であるとの論を為す北村龍行氏(毎日新聞総合メディア事業部企画室委員)のー「借金棒引きの経済」現在の徳政令―のような著書もある。バブルによって起こった土地の値段の高騰、そしてバブル以後の土地資産デフレが、景気を悪くしている根本であるとすれば、今日の財政悪化の原因は最終的にバブルを作り、踊った銀行やゼネコン、不動産デベロッパーと考えるべきかもしれない。 |
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File002 社会保障 |
人口動態の推移(出生率の低下)とその影響評価 日本の論点に少子化が初めて登場したのは、‘97年版からでした。厚生省が‘96年7月に人口動態調査で、‘95年に国内で生まれた子供の数が前年比約51,000人減った118万7,067人、合計特殊出生率が1.43と史上最低となり、衝撃が走った事がきっかけでした。世代の単純再生産を維持するのに、2.08(将来的に人口を維持できる出生率)を大きく下回ったからです。この出生率が下がった事の原因として、厚生省は、@女性の晩婚化とA結婚しない男女の増加による未婚率の上昇と分析しています。 こうした事象がなぜ大きな問題となるのか?と言えば、財政問題と相まって、社会保障制度の根幹が揺らぐ事が確定的だからです。日本の社会保障は右肩上がりの経済成長と人口が増えつづける事を暗黙の前提として組み立てられていたのです。人口動態が一番大きな影響を及ぼすのは、年金財源の問題です。年金制度は賦課方式といって、若い世代から集めたお金を直接にその世代の年金として拠出するのではなく、現在の高齢者に支払い、今の若い世代の分は次の世代が出した分から払われるというシステムになっています。これに対して、自分の世代の出した分は自分の世代に払う方式を積み立て方式と言いますが、それぞれに長所、短所があります。 今までのような人口が増える時には、賦課方式(現行の方式)のように若い世代から広く薄く集めて、対象年代に渡すやり方で回転していく事が、うまくいきました。しかし、これから人口が減少する事が考えられると、年金を払う人が減っていくのに、年金を貰う人が増えつづけていくことになり、収支のバランスがどんどん悪くなっていくわけです。これに対して、積み立て方式の場合は自分達の世代で払った分を自分達で貰うわけで、書く世代ごとの収支バランスはそれぞれに均衡すると考えられます。つまり自分が20台から積み立てていた年金を自分が年金世代になったときに受け取る形です。この方法は積み立てた年金の運用に直接影響を受けますから、その運用に関心が高まるといった2次的な効果も考えていいように思います。年金は一生懸命国を支えてきた人たちを、次の世代が支えるという趣旨で存在するとの観念的な捉え方で、賦課方式を選択していけるのか? 結構大事な論点かもしれません。 年金をどのように状況変化に反映させていくかは、5年ごとに開かれる年金審議会で、社会状況や人口動態調査を踏まえて、議論されています。首相官邸のページから各審議会へ検索していくと、過去の議論を見る事が出来ます。そこでは、物価上昇との関連をどの程度勘案するかとか、基礎年金部分とその他の部分との兼ね合いなどをどうするとか、技術論が多く、人口動静の根本的変化からシステムをどう変えるかの話は聞こえてはこないようですが、一度見てください。 |
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File003 財政 |
1.危険なのは、国だけじゃない? 2000年度わが国の債務残高は645兆に上ると言われる。そのうち、360兆が国の赤字公債であるが、残りはと言うと、地方自治体も同じく火の車の状態となっている。この地方財政の問題は、地方分権が進む中で、これから深刻な問題として、考えていかなければならない。地方の財政悪化がどのようなメカニズムで起こっているのかについては大きく分けて次の2点の構造的な原因がある。 ●従来国が行なう事務を代行するかわりに、地方交付税を当ててきたりしていたが、国が交付税を削減して、税収が不足してきた。 ●地方自治体が第3セクターなどで行なってきた事業が経営的に破綻して、財務を悪くした。 *地方交付税制度 第1次大戦後、イギリス、ドイツなどで発展した制度。わが国では、1936年の臨時財政補給金から始まり、‘40年創設の地方分与制度における配布税制度に発展した。‘49年のシャウプ勧告により、‘50年に地方財政平衡交付金制度が創設され、‘54年から現行の地方交付税制度に改められた。 現状の地方財政は、地方が独自に徴収する地方税、地方交付金など国からの収入、借金である地方債、が歳入の大きな柱である。税収では、国が60%であるのに対して地方は40%、歳出面では国の35%に対して地方は65%。その不足分を途方交付税などでまかなう仕組みになっている。ちなみに、2000年度の予算ベースでは、21兆4000億が途方に割り当てられている。 自治省がまとめた99年度の地方税収見込みによると、都道府県を含めた全体の税収は34兆5589億で、地方財政計画を7368億も下回り、3年連続で税収不足になっている。2000年度の地方交付税の配分を決めた普通交付税大綱にとると、交付税を受けない不交付団体は、7年連続で減少しており、今年度は前年より7自治体減り、78団体となっている。 財政破綻が破綻すると、その自治体は財政再建団体になる。‘92年に再建団体に転落した福岡県赤池町は、8年後の現在も、予算は県や国の厳しいチェックを受け、職員を減らし、特別手当を廃止するなどで歳出を切り詰めるとともに、町営住宅の家賃や公民館や水道の使用料の値上げを住民に求めている。 |
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File004 日本の社会保障 広井良典著 岩波新書から |
私(澤田)が社会保障を考える時に、非常に参考にしているのが、現在千葉大学助教授である広井良典氏の著書である。専攻が医療経済・社会保障論・科学哲学という著者の本は非常に示唆に富む。是非一読をお勧めするとともに、少しでも紹介したいと思い、ここに私なりに要約して掲載する。 1「社会保障」とは? 「社会保障」とはsocial securityを訳したもの。Securityの語源は、ラテン語で「SE=without,CURA=care」ということで、「悩み、心配、憂いがないこと」を表している。 これを「社会」と言う言葉と合わせて考えてみると、「社会的な(あるいは、社会的な原因から発する)悩みのない状態を実現するのが、社会保障の目的、という事になる。人間が人間である以上、「悩みのない状態」などということは、およそありえないとも考えられるが、「社会的な(あるいは、社会的な原因から発する)悩みのない状態」が出来る限り生じないようにする事は、不可能ではないだろう。考えてみると、「個人的な悩み」と「社会的な悩み」を単純に分けられる物ではなく、時代や人々の意識のありようで大きく異なってくる。ここに、一見たんなる乾いたシステムに映る「社会保障」という制度のもつ、奥ゆきやダイナミックな広がりがある。 ここで、著者は現在の社会保障をめぐる議論が、医療・年金・福祉といった、社会保障の個別の分野がタテワリ的に論じられ、しかもそれらの多くが当面の財政難をどうしのぐか、といった対症療法的な議論に終始しているため、将来の全体的なビィジョンが見えず、かえって国民の間に大きな不安が広がっていると指摘している。そこで、著者は「リスク」という概念の重要性にふれ、どのような「リスク」は個人ないし市場で対応されるべきで、どのようなものは公的になされるべきか、という整理をして論じていく。つまり「公私の役割分担」について、精緻な分析をしていくのである。さらに、そうした問題意識に立った上で、次の3点に留意して議論を展開していく。 第一は「原理に遡った考察」、第二は「社会保障と経済とのダイナミックな関係」への着目、第三は「グローバルな視点」ということであるが、論じられている事は社会保障の歴史的展開から環境問題との関連、高齢社会における医療のパラダイム転換である「健康転換」概念など幅広く奥深い。 戦後我々は右肩上がりの経済発展、人口増加が続き、どんどん分配するパイが大きくなってくる中で、著者が考察するような議論をしないできた。しかし、これからは大きくならない、むしろ小さくなっていくパイをどのように分ける、次の世代に残していく、そうした議論をしていかなければならない。その時に、この著者の本は大きな指針になると考えている。 |
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File005
教育 |
1.教育改革国民会議中間報告より 教育改革国民会議からの中間報告では次の17の提案が為された。 人間性豊かな日本人を育成する 教育の原点は家庭であることを自覚する 学校は道徳を教えることをためらわない 奉仕活動を全員が行うようにする 問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない 有害情報等から子どもを守る 一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む日本人を育成する 一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する 記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する プロフェッショナル・スクールの設置を進める 大学にふさわしい学習を促すシステムを導入する 職業観、勤労観を育む教育を推進する 新しい時代に新しい学校づくりを 教師の意欲や努力が報われ評価される体制を作る 地域の信頼に応える学校づくりを進める 学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れる 授業を子どもの立場に立った、わかりやすく効果的なものにする 新しいタイプの学校(コミュニティ・スクール等)の設置を促進する 教育振興基本計画と教育基本法 教育施策の総合的推進のための教育振興基本計画を 教育基本法の見直しについて国民的議論を この中間報告に至る経緯は紆余曲折があったそうです。その事を「日本の論点(文芸春秋編)」から紹介。 ■「教育基本法」見直し、土壇場の逆転 2000年3月、小渕恵三前首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が発足。森喜朗首相に引き継がれたが、注目されたのは、「教育基本法」の改正という方針が出てきた事による。この「教育改革国民会議」には三つの分科会があったが、第一分科会では戦後作られた「教育基本法」の改正が必要との意見が大勢を占め、中間報告に盛り込まれる事となった。しかし、9月11日の「中間報告・原案」では、改正の方向性は明示するが、具体論に踏み込むことは回避されて、結局、〈教育改革国民会議においては、昭和22年に制定された当時とは著しく異なる社会状況の中で教育基本法に求められる理念や内容が変化しているはずである、教育基本法は必要に応じて改正されてしかるべきである、という意見が大勢を占めた〉としながらも、〈「中間報告」機に各方面でさまざまな議論が行なわれる事を希望する〉と記すにとどまった。 ■ 制定以前に対立があった「理念と内容」 会議のなかで問題になった「理念と内容」については、「教育基本法」の制定時にどのような議論があったかを確認すると分かりやすい。 1946年(昭和21年)3月、アメリカより対日教育施設団が派遣され、これに協力する為GHQの指令により、同年8月「教育刷新委員会」が設置された。この委員会で「教育の基本理念」が検討されたが、最大の論点は「個人の価値」をめぐってであった。 東京文理科大学長務台理作はすでにも文部要綱案の「教育の目的」とされる〈人格の完成〉を攻撃して〈そういう倫理的な言葉を使わないで、やはり個人ということが大事とおもいます。(中略)個人を犠牲にせず、個人の自由をあくまでも尊重する(中略)そういう精神に教育の理念が基づくべき〉と論じ、これに社会党代議士の森戸辰男が賛同した。一方、哲学者の天野貞佑は〈ただ自分のために生きるのではなくして、社会国家の為に生きるとか、何かそういうものを入れたいと思う〉と反論。仏教学者の羽渓了諦がこれに和した。しかし、被占領下の「委員会」ということもあり、この議論は深められることなく前者の「個人」派の意見が取り入れられ、後者の「公共」派は顧みられることはなかった。制定された教育基本法の前文には、〈われらは、個人の尊厳を重んじ〉とあり、また第一条においても〈個人の価値をたっとび〉と記されることとなった。 ■ 「公」と「個」 「公」と「個」の関係に関しては、繰り返し議論となってきたが、13年前の「臨時教育審議会」に参加した共立女子大学の木村治美教授は次のように論じている。〈臨教審は、21世紀の教育目標を「個性尊重・個性重視」とした。「こんなものを来世生きの目標としてよいものだろうか」と呟かれたのは故有田一委員であった。私にも懸念はあった。(中略)しかし、審議会の大勢はこれを良しとしたのであった。(中略)むしろ、規範とか協調とか、人の役に立つ生き方を強調すべきであったと、臨教審委員として、いま忸怩たる思いにかられている〉(産経新聞2000年5月8日付け)同じ論点は、「教育改革国民会議」の各論についての議論でも噴出してきた。 「中間報告」では小・中・高校生について「奉仕活動を全員がおこなうようにする」との「提言」がなされているが、この奉仕活動の「義務化」に関しても、すぐに個人の自由を尊重する立場から「強制」を懸念する論調が生まれた。 |
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File006
ODA |
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ODAって何? ODAとは(Official Development Assistance)の略。政府開発援助と言い、政府または政府の設立した実施機関によって、発展途上国の経済や福祉の向上に寄与する有形、無形の援助とされている。第2次世界大戦後、1944年にブレトン・ウッズ協定により、国際復興銀行(世界銀行)と国際通貨基金(IMF)を中心とした戦後復興の枠組みが出来た。このブレトン・ウッズ体制は実質的には、当時唯一の富める国であった米国の経済援助を中心とする物であった。米国のODAは‘47年の「トルーマンドクトリン」によるトルコ・ギリシャへの4億ドルの軍事経済援助にはじまり、総額125億ドルにのぼるマーシャル・プラン(ヨーロッパ復興計画)になっていった。こうした援助の背景には当時の東西冷戦で、米国・ソ連両陣営の勢力拡大があった。我が国も西側陣営の一員として、‘46年から占領地域救済政府基金(ガリオア基金)、‘48年以降は占領地域経済復興基金(エロア基金)で総額18億ドルの援助と世界銀行からの融資で戦後復興を成し遂げた。 ■ 日本のODA 日本のODAは戦時補償として、スタートして本格的なODAとしては‘54年、アジアの社会開発促進の為のコロンボ計画に技術援助した事。58年より円借款が始まり、61年にその実施機関として海外経協力基金(OECF)が設立された。さらに‘72年に国際協力事業団(JICA)が設立されている。ODAの規模は64年に1億ドル強であったが、‘76年には11億ドルに増加し、‘91年には100億ドルを突破し、世界最大の供与国となった。その後も世界一を維持、98年実績は107億7600万ドルにのぼる。 日本のODAに関しては次のような批判がある。 ◎ 援助対象がインフラ整備が主体の経済開発に偏っている。 ◎ 援助対象が相手国政府で、NGOやNPOへのODAはゼロに等しい。 ◎ 円借款など有償援助が多く、無償の贈与が少ない。 ◎ 援助に対する政策決定が不明瞭。 ◎ 援助の内容が相手国からの「要請主義」で、日本の援助に関する価値観が明瞭でない。 これに関して、当時衆議院議員の柿沢功治氏は「‘96年度では贈与が58%だった事や日本側からも提案は積極的に行なうようになってきている」と反論した。 最近大きな問題になっているのは、1999年のケルンサミットで議論された重債務国に対するODA債務の放棄を含む債務帳消し論であろう。この事が議論される背景はカトリック教会が母体となって展開された一大キャンペーン「ジュビリー2000」がある。このジュビリー2000は、今の累積債務は債務国に対し、先進国が東西冷戦時にそれぞれの陣営に引き込むためや自分達のだぶついた資金の運用の為になされた物で正当性がないとして、放棄を主張している。 |
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File007 |
環境問題は21世紀における最重要課題です。オゾン層の破壊、酸性雨、大気や水、土壌汚染等など、地球規模での緊急課題は色々あります。環境問題のデータとして、その中で地球温暖化に関して、省エネ循環型社会の構築を目指す「環境経済・政策学会」の初代会長で、京都大学経済研究所所長・大学院エネルギー科学研究科教授の佐和隆光氏の岩波新書から要約して書いてみます。 1. 地球温暖化のメカニズム 地球温暖化は二酸化炭素(CO2)に代表される「温室効果ガス」(GHG:Greenhouse Gas)の大気中濃度の上昇に起因するといわれる。自然界にもともと存在する温室効果ガスとしては、CO2、メタン(CH2)、亜酸化窒素(N2O)、オゾン(O3)、水蒸気がある。人工の物としてはフロン(クロロフルオルカーボン類の総称。CFC3,HCFC3,PFC5)、六フッ化硫黄(SF6)等がある。温室効果ガスとは、こうしたガスが存在する事で太陽光線によって暖められた地表が赤外線を発しながら冷えていく時に、この熱を吸収する事で丁度温室のように熱を逃がさない効果を持つ事から名づけられた。単位重量当たりのガスの温室効果を比較するには、「地球温暖化係数」(GWP:Global Warming Potential)が用いられ、温室効果を見積もる期間の長さ、当該ガスの大気中での寿命、当該ガスが吸収する赤外線の波長などによって決まる為、相対的かつ曖昧な尺度であるが、帰還を100年とした時のGWPはCO2を1にした場合、メタンが約0、亜酸化窒素が約31となる。 産業革命以降、人間が化石燃料を使い出すまでは、CO2濃度は280ppmv(体積100万分率以下ppmと記す)に保たれていた。しかし、産業革命以降はCO2濃度は着実に増加傾向に転じ、1994年で358ppmまでに達した。メタンは700ppb(体積10億分率、以下ppb )から、1720、亜酸化窒素は275ppbから310ppbまで増加している。(メタンは農業・廃棄物・エネルギー、亜酸化窒素は燃料の燃焼・化学工業プロセス・施肥などが発生源)その他の気候変動要因として、エルニーニョ現象・火山の大爆発・自動車からの廃熱・冷房気の排気・道路の舗装によるヒートアイランド現象など、様々な要因が考えられる。 そこで、1995年12月に「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC:Intergovermental Panel on Climate Change)の『第二次評価報告書』が出されるまでは、科学的知見は不十分とするアメリカ政府の見解が国際世論の中で幅を利かせ、早期の対策は控えるべきと主張する向きが多かった。 2.地球温暖化による影響 IPCCの『第二次評価報告書』によると、今のペースで温室効果ガスを排出し続ければ、2100年には、地表の平均温度が約2度上昇し、海水の膨張などにより海面の推移は焼く50センチメートル上昇すると予想されている(中位予測)。その予想での影響を96年度番環境白書から日本への影響を交えて要約すると、以下のようになる。 @直接的な健康影響については、マラリア、黄熱病などの虫媒性伝染病の流行。平均温度上昇が3〜5度になれば、熱帯、亜熱帯のみならず温帯地域においても、マラリアを媒介する蚊の急増により、マラリア患者が5000〜8000万人増加するものと予想される。また、コレラ、サルモネラなどの感染症が激増する恐れも指摘されている。 A気象については、雨の降る場所が変わり、降雨量や蒸発が多いか少ないかの両極端になるものと予想される。台風が増える蓋然性も高まる。その結果、異常高温のみならず、干ばつ、洪水などの自然災害が頻発するようになる。 B海水の膨張や極氷の溶解により、海面が30センチメートルないし1メートル上昇する。海面の上昇により、沿岸地域が高波の被害を受けやすくなるし、我が国の美しい砂浜の57%ないし70%が侵食や海没によって失われる。IPCCによる2100年の予想では、オランダで6%、バングラデシュでは18%の国土が失われる。小島興国連合(AOSIS:Association of Small Island Statea)が先進国に対して、2005年までに、CO2の排出量を20%削減をとのすうじ目標を提示するのは、国土の大半が海面下に沈んでしまう恐れがあるからである。 C平均気温が2度上昇すれば、地球上の全森林の三分の一で植生の変化が起き、それに伴い、動物や微生物を含めた生態系全体が大きく変化する。温暖化のスピードに植生の変化が追いつかなければ、森林は破壊され、その結果CO2が発生する、平均温度が3度上昇すれば、我が国では、現在の植生分布は緯度方向に500キロメートル、標高では500メートル移動する。 D食糧生産にも大きな影響が及ぶ。異常気象や害虫の増加が穀物の収量を減退させる可能性が高い。のみならず、熱帯、亜熱帯、乾燥・半乾燥地域では、温暖化により食糧生産高が低下し、飢餓による難民の増加が懸念される。世界全体での穀物収量に関しては、ロシアやカナダのような寒冷地での収量は増加するであろうし、現在の世界の穀倉地帯であるアメリカでの穀物収量は、大幅の減少するであろう 。 |
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File008 銀行の変容 |
1.銀行法による銀行 銀行法に拠れば、銀行とは、預金と資金の貸し付け、為替取引(決済)業務をあわせて行なう物で、主務大臣(大蔵大臣)の免許が必要と規定されていた。一般企業が免許を受けて、銀行を設立する事に関し明文された規定はない。銀行法は1927年に制定され、81年に全面改正、93年にも大幅改正されたが、実質的に大蔵省が新規参入を許さなかった為、異業種から参入する事はなかった。 ところが、金融ビッグバンに対応する為に金融政策を大蔵省が全てを支配する事を止めて、事後の監視を重視する政策転換が行なわれ、金融委員会は金融審議会(金融庁の諮問機関)に対し2000年(平成12年)夏に異業種の銀行業参入の基本的要件を定める指針を決定、それに伴う法的整備のための銀行法改正などを諮問した。 2.有力企業が相次ぎ銀行参入 そうした銀行法の改正を受けて、一般企業の銀行業への参入機運が一気に高まった。1999年11月にイトーヨーカ堂、12月にソニーが参入を表明した。2000年になって、4月に伊藤忠商事などが小口決済のインターネット銀行「イーバンク」の設立計画を発表、7月にはトヨタが自動車ローンやカード決済、投資信託などを行なう「トヨタファイナンシャルサービス」を設立し、9月にはソフトバンク、オリックス、東京海上火災保険の3社連合が特別管理(一時国有化)にあった日本債権信用銀行の譲渡を受け、参入を計画している。さらには別の参入形態としては、既存の銀行が異業種を巻き込むかたちでさくら銀行が富士通や日本生命などと共同出資して「ジャパンネット銀行」というネット専業銀行を設立する例などがある。 こうした一般企業の銀行業参入は強力なネットワークと信用力、消費者に直決したマーケティング力を背景としている。最初に参入に向けて動いたイトーヨーカ堂・鈴木敏文社長は次のように銀行業界へ抜本的な経営革新を迫る発言をしている。 <全国に8000店あるセブン・イレブンで取り扱っている公共料金や電話料金などの収納代行件数は年間約8500万件にのぼります。 金額では一昨年、昨年と6000億円を越え、今年は7000億に達するはずです。なぜこれほどの取扱量になるかというと、銀行や郵便局にいちいち支払いにいくのは煩雑だけど、セブン・イレブンならついでの買い物もあるし、24時間いつでも行ける、文字通り便利だからです。つまり決済業務としては、すでに消費者に充分に利用され、認知もされている。この数字が銀行参入の原点にあります> またこうした異業種参入の背景にIT(情報技術)の発達がある。従来の銀行は駅前の一等地に店舗を構え、顧客を迎える形で業務を行なっていたが、そうした事を後から参入する物がやるのでは採算が取れないところに、ITによって店舗を持たない銀行業の新たな形態などの可能性を作り出した。 |
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File009 来年度から「赤字地方債」登場 自治体には戸惑いも |
これまで公共事業費など使い道が限られていた地方債に、来年度から「赤字地方債」が登場する。24日に決まった来年度の地方債計画に盛り込まれた。地方自治体の借金が膨れあがるなか、財源の不足分はこれまで、国の特別会計が国と地方との折半で借りてきたが、一部を自治体が地方債を発行して資金を調達するように改める。自治省幹部は「各自治体の借金が明確になることで、財政健全化が進む」というが、自治体には、国の負担を押し付けられかねないという動揺が広がっている。 「今までのやり方を続けるには限界があると判断した」。二橋正弘自治事務次官は20日の全国知事会議で、総額1兆4488億円の「臨時財政対策債」(赤字地方債)発行について理解を求めた。 二橋氏が退席した後、浅野史郎宮城県知事は「こんな重大な問題については、事前に知事会の意向を聞くことがあっても良いのではないか」と発言。荒巻禎一京都府知事も「これまで地方債は建設事業以外などに充てていないと議会に説明してきた。赤字地方債はもろ刃の剣になる可能性がある」と指摘した。 赤字地方債発行が浮上したのは、自治体に配分される地方交付税の借金が膨大になったためだ。 地方交付税は、全国の自治体について自治省が算出した必要な経費の見込み額と収入の差額を補うため支給される。 財源には、所得税や法人税など国税の一定割合を充てることにしているが、それだけでは足りないため、地方交付税を配分するために設けた特別会計が国の資金運用部などから借り入れてきた。ただ、この方式では、個々の自治体の借金という形にはなっていない。借入金残高は、来年度末で42兆円に達する見込みだ。 来年度、自治体には人件費なども穴埋めできる赤字地方債の発行可能枠が割り当てられる。この枠いっぱいに地方債を発行するかどうかは、自治体の判断にゆだねられる。 大蔵省主計局は「これであいまいだった地方の負担分がはっきりし、財政の透明化が進む」と期待する。自治省財政局も「将来に借金を残して良いか、それぞれの議会で真剣に審議してもらいたい」と話す。 ただ、交付税法は財源が「著しく」不足した場合、国税から交付税に回す割合を引き上げることを定めている。法律に従えば、不足分はすべて国が負担するように制度を見直さなければならない。しかし、この点については、大蔵省も自治省も「国の財政が厳しい時に、すべて国で、というわけにはいかない」との姿勢だ。 従来の地方債などを合わせた地方の借入金残高は、来年度末で188兆円に達する。この中には、景気浮揚のため、国が自治体に対し、地方債を発行して公共事業を実施するよう求めた分も相当含まれている。 自治省は「赤字地方債は暫定的な措置だ。景気が上向きになった時点で、国から地方への税源移譲を進めたい」(財政局幹部)としているが、景気回復が遅れたまま、膨れ上がった赤字国債の二の舞いにならないという保証はない。 “タイトル「来年度から赤字地方債」登場 自治体には戸惑いも”これは、朝日新聞12月25日に掲載された地方財政にかかわる報道です。要点を書くと、公共事業など使い道が決まった地方債の他に赤字地方債として、地方自治体に債権を起債する事を認める方向転換が図られる。この事より、地方ごとに国からの財源処置が足らない時、自分で債権を発行して、経費の欠損を補充できる可能性が開かれる。赤字地方債発行が浮上したのは、自治体に配分される地方交付税の借金が膨大になったためだ。20日の全国知事会で、浅野史郎宮城県知事は「こんな重大な問題については、事前に知事会の意向を聞くことがあっても良いのではないか」と発言。荒巻禎一京都府知事も「これまで地方債は建設事業以外などに充てていないと議会に説明してきた。赤字地方債はもろ刃の剣になる可能性がある」と指摘した。 この記事を読んで、何が問題となっているのでしょう? 従来地方が何か公共事業をする時は、ほとんど国との共同でその経費を折半して行なってきました。半分程は国が地方交付税などでお金を出してきたのです。残りは、その事業を行なう地方が自治省からの許可を貰って、地方債を発行したりしてお金を作り、事業をやってきたのです。もしもその借金を地方がすべて返済しきれない時は、国が面倒を見るという、地方にとってはあまり責任を取る事を求められない制度だったと言えます。今回は、地方が赤字債権を出してもいいと言っているわけです。しかし、それとともに不足分が生じた時に、従来は法律で国がその分を負担する事になっていたのを見直す事を考えていると言う事になります。 ある面では、割高な公共事業でも地方は、最後に赤字になっても国が尻拭いをしてくれる事を当てに事業をする事が出来なくなる事で、地方での様々な事業計画がこれまでよりは慎重になる事が期待され、資金計画もなくどんどん箱物を作ったりしなくなる契機にはなる変化であろうと思います。 その反面、今実態として起こっている事を考えると問題も大きく含んでいます。そもそも、地方で行なっている公共事業はそれぞれの地方が本当に自分達が望んでやっている物ばかりではなく、国のインフラ整備に協力して行なっている物がかなり含まれています。従来の地方交付税や補助金制度の中では、そこで財政的に苦しくとも国の方針に沿って事業を展開し、様々な事業への予算を地元に取ってくる事が、各首長あるいは政治家の手腕でもあったわけです。そうしないと、別の名目での補助金を減額されたりして、国の方針に従うように押さえつけられてきたのです。 今回の変化は下手をすると国が地方を見放す為の変化になりかねない側面を持っています。そもそも、こうした事が知事会議に唐突に出てくる事自体、国の姿勢が問われる事のように思います。今、権限の部分では地方分権推進法のために機関委任事務が自治事務などに移されたりして、少しづつではあるけれども地方に独自の行政権限が渡される事が進んでいますが、それに伴う財政処置は国の財政が悪い事を反映してか、具体的な議論になっていません。そこで、石原東京都知事のように独自の外形標準課税で財源確保をという話も出てくる訳です。しかし、東京は今までの枠組みの中で地方交付税をあまり当てにしないでもある程度運営できる基盤をシステム上持っているから、あのような強硬な政策も取り得るのですが、地方で同じ事をやった場合は、補助金をカットされたり事業を今までのようには出来なくなる仕組みになってしまっている。 そこに今回の話だと、どうも国は地方に独自で財源を見つけろと言い出すようである。それであれば、地方は今までのような豊満な公共事業などはしないように余程しっかりしないと、国以上に財政破綻で没落する危険性をもつ事になるだろう。いずれは、そうした覚悟を求められる状況なのだから、こうした議論を契機に徹底したインフラ整備の無駄、無理を見直していく事が求められる。そこで、今までみたいに政治家に頼った受注などに熱を上げる業者は競争力を発揮する場面を間違えている事で生き残れない、そうした流れになれば結果的にはこうした動きは構造改革を進める事になるものとして歓迎すべきかもしれない。 |
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File010 地球温暖化Part2 |
3.地球温暖化問題が浮上した背景 著者佐和氏は地球温暖化を含む環境問題が国際舞台で大きな問題として浮かび上がった背景に冷戦の終結があると指摘する。この問題に対する関心の高まりを年を追ってみると、まずカナダ・トロントサミットで初めて議題に上り、1998年6月のカナダのトロントでのカナダ政府主催の「地球環境問題を巡る国際会議」さらに翌年のパリ・アルシュ・サミットと続き、アルシュ・サミットの経済宣言の三分の一が地球環境問題が占める高まりを見せた。 以下冷戦の終結が地球環境問題への関心に結びつくのか?についての氏の考察である。サミットはその開催目的として最初は第一次オイルショックを受けて、石油輸出国機構(OPEC)に対して先進7カ国の結束を誇示する事があった。その後レーガン、サッチャー政権が登場し、その結束を誇示する対象がOPECからソ連に転じたのであるが、冷戦が終結してみると、新しい目玉となる議題として地球環境問題が浮かび上がったと分析し、皮肉な事にその矛先が先進7カ国の担ってきた20世紀型工業文明に他ならない事に、88年当時は誰一人として気付いていなかったとする。 4.環境問題への関心の歴史的経緯 1970年前後に一時的に環境問題への関心が高まった。1968年、日本は国民総生産(GDP)はイギリスと西ドイツを追い抜き、アメリカに次ぐ自由世界第二位に浮上した。ここで辺りを見渡してみると、有害物質を含んだ排気ガスの為に、都市や工業地帯の大気はとてつもなく汚染しており、工場廃水による河川などの水質汚濁にはおびただしいものがあった。四日市喘息、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病のような公害病が、ほとんどほったらかしにされていた。急激な経済成長と引き換えに支払った代償は高価であった訳だ。これに対しての反公害運動の全国で盛り上がりを受けて、1967年に公害対策基本法、1968年に大気汚染防止法が制定された。「公害国会」と呼称された1970年の通常国会では、郊外関係14法が制定・改正された。そして1971年に環境庁が新たに設置された。 こうした中、1972年6月にスウェーデンのストックホルムで開催された国連人間環境会議は「人間環境宣言」を採択、この宣言を実施する為の国際機関として、「国連環境計画」(UNEP:United Nations Environment Program)を設立する事が、同年の国連総会で決議された。この年に、科学者、経済学者、教育者、経営者等から成る民間組織「ローマ・クラブ」が『成長の限界』(Limit of Growth)と題するレポートを公表した。このレポートで「今現在のペースで人工が増加し続け、さらに工業化が進めば、地球の有限な資源は枯渇し、環境は許容範囲を超えて汚染される事になるから、思い切ってゼロ成長に移行するしかない」と警告した。このレポートはシステム・ダイナミックス・モデルという、当時としては最新の予測手法がとられた物で、今では自明とおぼしき「成長の限界」を警告したが、日本の政財界、マスコミからは余り評価されなかった。 その後、1973年10月に世界を襲ったオイルショックにより、環境問題への関心は冷水を浴びせられた。そして1988年6月のトロント・サミットの1週間後に開催された前述の「地球環境問題を巡る国際会議」に対し、我が国政府はわずか一人のオブザーバーを派遣しただけであった。この会議が開催された1988年は丁度バブルの絶頂期で、人々は金銭欲をあからさまにむき出し、故お経的な問題への関心を干からびさせ、大量消費に明け暮れていたのである。さらに1991年5月に平成不況により、バブル景気は終止符を打つ。株価と地価の急落を受けて、ガルブレイスの言うユーフォリア(陶酔的熱狂)から覚めライフスタイルに対する美意識には、ぜいたく志向から質素倹約志向へのゆり戻しが生じた。著者佐和氏はもともと日本人は、質実剛健、質素倹約を旨とする生活様式を尊んできたはずで、金持ちが金持ちであるがゆえに尊敬されるということは、この国の長い歴史の中でついぞなかったと指摘し、そうした日本人のバブル経済期の生き様に対して地球環境問題、とりわけ地球温暖化問題は神の「見えざる手」が打ち鳴らした警鐘ではないかと述べている。 |
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File011 銀行の変容Part2 |
3.銀行の対応 異業種からの参入ラッシュに対して、従来の銀行はどのように対応しようとしているのだろうか?バブルの後遺症としての不良債権を解消しきれていない銀行は生き残りの為に統合・再編に邁進をしているというのが現状の様である。そのため、個人向けのサービスが低下したり、イノベーションが疎かになって逆に新規参入の余地を与えていると言われている。 合併・再編としては、まず99年8月に日本興業銀行、第一勧銀、富士銀行の3行が「みずほフィナンシャルグループ」を結成。住友とさくらが合併を表明、これは旧財閥の枠を超えた物。三和と東海銀行、東京三菱と三菱信託銀行が一緒になる事で4つのメガバンクが誕生した。こうした再編の狙いは、人員削減によるコストカットによる財務体質の改善、グローバル化に対する準備とされている。 しかし、こうした統合はあまり期待できないとする意見が強く、一新塾塾長の大前研一氏は<メガ統合は、日本の銀行にとって何ら明るい材料ではない。大きければなんとかなる、というのは末期思想だ。世界の金融界は規模ではなく、質で競争する時代になっていることを理解していない。>と厳しい。また慶応大学の池尾和人教授も巨大化することは日本経済の中で大きな存在になるため潰せなくなる点では、銀行自体の生き残りには最大の良策であるが、生き残るだけで、体力回復には結びつかないと指摘する。 4.懸念は経営難親会社の「機関銀行」化 異業種からの銀行業への新規参入は、銀行界へ競争を促す事でのメリットを期待できる半面、懸念される事もある。それはそうした参入銀行が、親会社の財布代わりに使われる、いわゆる「機関銀行」化である。子会社である新規の銀行で集めた預金を親会社の事業資金に流用したり、グループ企業の資金繰りに当てたりすることが起こる懸念があると言う事だ。また子会社の銀行が業績不振の時に安易に撤退する事での信用不安も心配される。 こうした懸念に対応する為、金融再生委員会と金融庁(2000年7月までは金融監督庁)で共同の銀行参入の指針を作った。この指針の中身は、決済専門銀行、インターネット専業銀行を認める時に次の条件を満たすとしている。 ・ 銀行に原則20%以上(一部15%以上)出資する株主は免許交付時の審査と交付後の監査対象とする ・ 20%以上の株主移動があった場合は金融庁に報告する義務を課す ・ 子会社銀行による経営不振の主要株主への支援は認めない 従来の銀行法では銀行設立に関して、一般企業の参入を想定していなかった事はさきに触れたが、そのため金融庁は親会社への監督・検査権限を規定した一連の機関銀行化防止策を銀行法・保険法の改正で適用する事にしている。 |
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File012 「特許から見た」産業競争力を考える |
この稿では、今後我が国が一定の先進工業社会というものを実現してしまった今、産業競争力を維持していける為にはという視点で、どうしても欠かせない知的所有権にかかわる様々な基礎的項目を取り上げてみようと思います。 1.知的所有権とは? 知的所有権の種類には次の様な物があります。 @ 技術的創作物についての権利 ・ 特許権 ・ 実用新案権 ・ 意匠権 ・ 商標権 以上工業所有権 ・ 回路配置権 ・ 植物新品種の権利 A 芸術的創作物についての権利 ・ 著作権 ・ 著作隣接権 B 営業標識についての権利 ・ 商号権 ・ サービスマーク ・ 不正競争防止法関連 ・ 企業秘密 それぞれについて簡単に書くと、 特許権/自然法則を利用した技術的に高度で産業上有用な発明に対して出願日から20年間保護 実用新案権/物質の形状・構造・組み合わせに関する考案に対して出願日から6年間保護 意匠権/物品の形状・模様・色彩のデザインに対して登録日から15年間保護 商標権/商品・役務に使用するマーク(文字・図形・記号等)に対して登録日から10年間保護 回路配置権/半導体集積回路の回路素子・導線の配置パターンに対して登録日から10年間保護 植物新品種の権利/生産のために栽培される植物の新品種に対して登録日から20年間保護 著作権/文藝・美術・音楽・ソフトウェアなどの精神的作品に対して作者の死後から50年間保護 著作隣接権/実演家(歌手・俳優等)・放送事業者などの創作的行為に対して降雹から50年間保護 商号権/商人が取引上自己を表示する為に用いる名称を保護 サービスマーク/事業上用いるサービスマークを保護 不正競争防止法関連/不適切な地理的表示(原産地表示など)等を禁止 企業秘密/企業のノウハウ・顧客リストの盗用などの不正行為を禁止 2.プロパテント(Pro-patent)とは? プロパテントという言葉は言葉の由来からすると、プロ(pro-)→「支持する」という接頭辞にパテント(patent)→「特許」を併せた物で、特許の保護・強化を意味し、「特許重視」と訳されている。この言葉は第40代アメリカ大統領、ロナルド・レーガンが1987年年頭教書で、アメリカの産業競争力を21世紀に向けて確保する具体策として、特許を初めとする知的所有権の保護・強化を打ち出した「プロパテント政策」(Pro-patent Policy)から大きく取り上げられた。 2000年から世界中で、それまで日本・アメリカ・ヨーロッパなどの先進国28か国(約9億人)で持ちいられてきた特許制度が、中国・ロシアなどの市場経済移行国や発展途上国約120か国(約42億人)でも法整備され、同様の特許制度が施行された。これは1991年、関税貿易一般協定(GATT)におけるウルグ・アイラウンドの場で国際合意された知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)による。この事に対しては発展途上国から、技術大国が特許制度を使って植民地化する物だとの強い反発があった。もともと特許法は産業革命以前のイギリスやアメリカが、かつて後進国であった頃に技術導入のために制度化したものであるにもかかわらず、現在では工業先進国が保有する技術力の優位性を将来も堅持しつづける為の制度に質的変貌をしていて、戦略資源としていると主張している。 つまり後発の国家で様々技術を開発しようとしても、その基礎特許をほとんど先進工業国に抑えられて、その利潤を奪われてしまい、かつて武力で支配された時のようにこれからは技術力の知的所有権で植民地化されることを懸念している訳です。 3.アメリカのプロパテント政策 先に書いたように、アメリカはレーガン政権時にプロパテント政策を産業力強化の大きな柱にした訳ですが、それは当時ヒューレット・パッカード社社長だったジョン・ヤングが1983年6月に設置された「産業競争力に関する大統領顧問委員会」の委員長に就任し、85年に「国際競争力と新たな現実」世に「ヤング・レポート」と呼ばれる報告書を元にしている。これはアメリカが1980年代初頭にICを中心としたハイテク分野で年間270億ドルの貿易黒字だったのが、日本や韓国、台湾などの追い上げで赤字に転落した事と、アメリカ経済がマネー経済化していく事で、産業競争力が低下する事がかなり深刻な状況になってきていた事を受けての政策であった訳です。「ヤング・レポート」は@研究開発の促進と製造技術の向上、A産業界の資金の円滑な投入、B教育研修を通じての人材の育成、C輸出拡大を目指した通商政策の策定、D国家レベルでのベンチャー企業の推進という5項目から成り立っていて、アメリカの産業競争力を再生するには、特許を中心とした工業所有権を保護し、強化すべきとした。その具体的な勧告は ・工業所有権の保護・強化に向けて、特許法などの国内の所用の制度改革をおこなう。 ・ 特許制度の運用に当たっては、均等論の幅広い適用や損害賠償額の算定方法の見直しなどを含めて大幅に変更する ・ アメリカ以外の各国に対して工業所有権が確実に保護されるように、通用法301条を武器した二国間交渉をおこなう ・ GATTなどの多国間交渉を活用して、知的所有権制度の確立および充実を働きかける と言うものであった。ここ数年我が国がアメリカとの通商政策で様々な軋轢を生じ、進出企業が訴訟で賠償する事になったりするケースが新聞紙上を数多く認められたが、その根本的な背景は、かの「ヤング・レポート」によるプロパテント政策であった。 そもそも、アメリカの合衆国憲法第一条第八項第八節に<議会は、科学および有用な技術の進歩の促進をはかるために、発明者に対して、一定の期間、独占を与える権限を有する。>と明示してあるのだそうです。つまりアメリカは建国以来特許制度を実に上手く利用して来た国であると言える訳です。 |
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File013 地球温暖化Part3 |
5.環境と文化 1994年に書かれた佐和氏の著書には、最近のCOP6「気候変動枠組み条約第6回締結会議」の経緯などは当然書かれていない訳だが、その先行きにはかなりの紆余曲折があるだろうとの分析は鋭く指摘されている。現在アメリカは共和党のブッシュ政権に移行しているが、石油メジャーを支持基盤とするブッシュ大統領の元で、温暖化に対する合意形成はかなり後退する事が推測されるし、すでにその動きは出ている。これに反して環境庁のホームページからEUでの温暖化への取り組みを見ていくと、氏の書いてあるアメリカとヨーロッパのこうした問題への対応の格差に驚かされる。何故そうした違いが生まれてくるか?と言う問いに文化という側面が大きく関与しているのだ、という氏の主張を少し取り上げて紹介する。 1997年6月にアメリカのデンバーで開催されたサミットの場で、2010年の温室効果ガス排出削減の数値目標についての合意形成は出来なかった。同年12月に京都で開催されたCOP3においてCO2をはじめとする温室効果ガスの排出削減の数値目標を達成を、先進諸国に義務づける議定書が採択されたが、この時アメリカはかなり消極的な対応をして、結局はまた先送りされそうになったが、急遽来日したゴア副大統領らの動きによって、かろうじて合意を取り付けた。この時ヨーロッパ連合(EU)は「2010年に15%削減」という数値目標をいち早く提案していた。この間に立って日本の当時橋本首相は「公平で現実的な目標を」という抽象的な提案にとどまっていた。さらには、会議を統括すべき環境庁長官が国会審議を理由に会議を離れそうになり、野党から説得され、会議に戻るという失態を犯す有様だった。アメリカ、カナダとそれに同調する日本とヨーロッパ諸国の間には深刻な亀裂があったようだ。この事態にイギリスのロビン・クック外相は「大西洋をはさんで、ヨーロッパとアメリカ・カナダの間には文化的亀裂がある。アメリカ・カナダ政府はぜいたくな大型自動車と安価なエネルギー消費という文化に慣れきった国民を説得できないのだろう。」と語ったそうである。 ちなみに、1994年の一人当たりのエネルギー消費(石油換算。単位はトン/人)は、アメリカ年間7,97、欧州OECD3,29、日本3,49であり、伝統的な文化やライフスタイルでは日本はアメリカよりヨーロッパに近いはずなのだが、1997年までOECDで唯一、環境アセスメントを法制化しないなど、環境にやさしい国とは言えない状況だ。 もともと森羅万象に神が宿るとした日本の文化が、今のような環境破壊を顧みない物にいつから変質したか?について、富山和子立正大学教授が著書「水と緑と土」において、ドイツ人医学者ベルツの滞日25周年を記念する祝典の席で行なった講演を紹介している。 「西洋の科学の起源と本質に関して日本では、しばしば間違った見解が行なわれているように思われるのです。人々はこの科学を、年にこれこれだけの仕事をする機械であり、どこかの場所へたやすく運んで、そこで仕事をさすことの出来る機械であると考えています。これは誤りです。西洋の科学は決して機械ではなく、一つの有機体でありまして、その成長は他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大気が必要なのであります。しかしながら、地球の大気が無限の時間の結果であるように、西洋の精神的大気もまた、自然の探求、世界のなぞの究明を目指して幾多の傑出した人々が数千年にわたって努力した結果であります。それは苦難の道であり、(中略)、精神の大道であり、この道の発端にはピタゴラス、アリストテレス、ヒポクラテス、アルキメデスの名前が見られます。(中略)・・・ 諸君、西洋各国は諸君に教師を送ったのでありますが、かれらの使命はしばしば誤解されました。もともとかれらは科学の樹を育てる人たるべきであり、またそうなろうと思っていたのに、彼らは科学の果実を切り売りする人として取り扱われたのでした。」 こうした西洋の科学精神をも歪めて輸入した事が、今の日本の惨状を招いたと考えられる。 |
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File014 「特許から見た」産業競争力を考えるPart2 |
4、アメリカの特許制度 世界中で特許が制度化されつつある事を先に書いたが、同じ特許制度でも各国で様々な違いがある。その事は元々特許制度が持つ2つのベクトル、つまり「独占」と「革新」という性格がその時点でのそれぞれの国で違った形で求められていることを反映している。現在の世界でアメリカは他の国と比較して、種々異なる特許の解釈をしている面があり、その事が他の国との軋轢を産み出している。ここで、アメリカの特許制度の特徴について少し触れてみる。 アメリカ合衆国憲法の第1条に特許に関する部分がある事を前に書いたが、そこに書いてある「発明者に対して」という言葉の持つ意味が次の2点で、他の国の物と違っている。 ・アメリカでは特許の出願は原則的に発明者自身として、その発明者を雇用している研究機関や企業ではないとしている。日本やヨーロッパでは企業などの出願も認められている。 ・独占権は第一発明者を意味する。出願したのが先であっても、発明者が独占権を持つ「先発明者主義(First-to-invent System)」を採用するため、ほぼ同時に特許請求が会った場合は抵触審査により、どちらが発明者かを特定する。他の国では、出願を先にした物に特許を与える「先願主義(First-to-file System)」を取っている。 第2点目の「先発明者主義」をアメリカだけが取っている事が、他の国にとって問題になる事が多い。発明者が誰であるかは、抵触審査手続き(インターフェアレンス)によって認定されると言う事なのだが、他の国で出願された特許に対して、ある日突然自分が発明者であると名乗り出るケースもあり、紛争の火種に成りかねない要素を孕んだアメリカだけの制度となっている。 この抵触手続きに客観的な基準を求める事は難しく、時にアメリカの企業に都合のよい判断が為されるケースが目立っている。またアメリカの特許に関する独善的な方法に関して独占する事は問題ありとしている中、<遺伝子特許の審査指針を検討していた米特許商標局は5日、遺伝子断片でも、その有用性を示せば特許として認める新指針を発表した。遺伝子特許を広範囲に認める内容で、遺伝子解読を進めている米企業は指針を歓迎している。しかし、遺伝子特許が米国を中心とした企業に独占される恐れがあり、国際的に論議を呼びそうだ。>という記事が出ていた。 5、特許ハーモナイゼーション 特許制度は開発を進める人に一定の独占を認める事で、その研究意欲を高める機能と、その後の技術の普及と革新が推進されるという両面の機能をもたらす物として、世界中で制度化されつつある。しかし、それぞれの国によってその運用があまりに異なってしまうと紛争が起きるため、世界知的所有権機関(WIPO)で特許制度の国際的調和を検討する専門委員会議を開催し、特許ハーモナイゼーション条約の草案作りにはいっている。ここでアメリカが予想していた事とは反対に、アメリカこそ世界中の特許制度から離れた調和を乱す制度を取っているとの考えが大勢を占めて、制度の見直しを求められる破目になっている。そこで見直しを求められているのは、今まで書いてきた「先願主義」への統一と、出願日から18か月以内の出願内容の公開で、いずれもアメリカだけがそうした点で独自の制度に固執しているのが現状であり、最近問題視されている潜水艦特許などの問題もこの点をアメリカが他の国と協調・調和を図れば、解消する物と考えられる。しかし、現在まで、アメリカは自国内の利益のために明確な態度を取らないまま非難されつづけている。 |
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File015 環境問題と経済 |
経済学の言葉にトレード・オフ(一方を立てれば他方が立たぬ)という言葉があります。この言葉はあらゆる問題解決でのキーワードになる言葉のように思います。例えば、環境を守るか?経済を優先するか?この問いかけは、環境を守る事と、経済を発展させる事がトレード・オフである事を前提にしています。そうすると、何かの経済的な課題を環境との調和を図ってやれないか?という問題意識や解決法は議論に上らなくなってしまい、それぞれ環境を大切にしたい人と、経済の活性化を望む人とは対立するしかなくなり、どちらの声が大きいかで物事が決まってしまい勝ちです。決して賢いやり方ではない事は自明です。 トレード・オフなのか、そうではないもう少し両者が歩み寄れる解決策はないのか、そこの議論をしっかり出来ていく、21世紀はそうした世紀にしていかなければならないとの立場に立って、サイト『論』では議論をしていきたいと考えています。 そこで、これからの環境問題関連のdate fileにおいては、環境経済学と呼ばれるトレード・オフにしない為の、環境保全をベースにおいた経済学での方法論を少しずつ紹介して行こうと考えています。 1.環境経済学の歴史 ○環境経済学の始祖マルサス 現代的な環境経済学の始祖とされているのは、マルサス(Thomas Robert Malthus, 1766-1834)である。彼はイングランドのサリーに牧師の子として生まれ、ケンブリッジでまず生物学と数学を学んだ。その主著「人口の原理」の中の<人口は制限されない限り幾何級数的(等比級数的)に増加するが、食糧などの生活資料は算術的(等差的)にしか増加しない>との主張は聞いた事があるはずである。マルサスは直接的には、人類及び社会の合理的完全性を論じたゴドウィンらの社会改良論を非難したが、同時にアダム・スミスをも批判している。スミスは経済が「神の見えざる手」によって調和し、富の増加が下層社会の人々の暮らしを良くするとの経済観を示したが、マルサスはこれに対し懐疑的で、社会の資本ないしは収入の増加は労働の生産物の増加に他ならないけれども、土地の生産物の増加でない場合には、食糧増加にはならないから、労働維持の為の資金は実質的には増えないという。「いな、それどころではない、各製造業者が所有する力、もしくは所有するようになったと考える力が増えるのであるから、商業上の資本を拡張したり、新しい工場を作ったりするにちがいなく、それに基く労働需要がふえる。この需要はもちろん労働の価格を引き上げる、その時、この国の食糧が増加しないならば、この労働の騰貴は名目上の物に過ぎないことがすぐにわかる、なぜならば、食糧の価格は、このとき騰貴せざるを得ないからである。それだけではない、製造業の労働者に対する需要は多数の労働者を農業からこの方にひきぬく」この結果、農業従事者は減少する。これについてマルサスは次のように述べている。「この職業の転換は健康、幸福の重大な要素たる健康にとってよくない、その事は誰もが認めてくれると、私は思う。なおこの他にも製造業の労働は非常に不安定である、人々の嗜好の変化、戦争の勃発、その他いろいろの原因によって、そうである。」当時マルサスは直接的には公害、環境は樹を問題にはしていないが、そうした事が経済によって引き起こされる過程を性格に見据えていたと言える。 ○マーシャル 環境問題が経済学で最初に議論され始めたのは、ロンドンにおける居住環境の悪さを憂えていたマーシャル(Alfred Marshall,1842-1924)であろう。マーシャルはロンドン生まれで「経済学原理」の著者として知られ、厚生経済学の創始者ピグー,ケインズの先生にあたる。「経済学原理」において、マーシャルは都市の地価との関連で次のような「空気浄化税」(fresh air rate)の提案を行なっている。 <敷地価額の高騰の原因は人口の集積にあるのだが、この集積が新鮮な空気、陽光および遊技場の不足をもたらし、若い世代の活気と楽しみを削減し様としている。こうしてゆたかな私的な利益が、私的というよりむしろ公共的な性質を持った原因によって起こされてきているだけでなく、公共的な富の主要なものの一つを犠牲にして得られているのだ。空気・陽光。遊技場を確保するには巨大な経費がかる> ここで、それ以前に無かった空気・陽光などが公共的な富としての認識が登場する。そうした富とは今で言う良好な環境と考えてみると、環境を確保するには経費が必要と言う事を指摘している事になるが、その捻出法に関してマーシャルは <・・・例えば1エーカー当たり200ポンドで売れるような土地は、正式には市街地に入っていようがいまいが、すべて特殊な敷地価格をもっているものとみなしてよいようである。こういう土地はその資産価額をもとにして共通の税をかけ、これに加えて、前節で述べたような使途のために地方当局が充分な中央の規制のもとに使用するところの“空気浄化税”と言った物を賦課することにする。この空気浄化税は土地所有者にとってそう重い負担にはならないであろう。建物用地として残された土地に対しては敷地価額を上昇させる形でその税相当部分が還ってくるからである> まさしく、今の環境税につながる提案をしている事になる。 またマーシャルは、外部経済(external economy)の概念も提起している。これは環境への問題提起ということではなく、「規模の関する収穫遍増」(increasing return to scale)に対する関心の為であったが、今では環境問題を考察する上で重要な視点となっている。 ○ピグー ケンブリッジ大学におけるマーシャルの後継者であるピグー(Arthur Cecil Pigou,1877-1959)は、「厚生経済学」において、マーシャルの考えを発展させ、今日の環境経済学に繋がる考察を示した。 ある資源を投入によって、ある製品ないしはサービスが算出されるとした時、現状より資源投入量が1単位だけ追加した時の製品ないしはサービスの産出量の増加分を一般的に限界純生産物というが、ピグーは限界社会的純生産物と限界私的純生産物を区別して考えた。両者が必ずしも一致しない事がかなりあるとして「厚生経済学」の議論を展開した。それまでの限界分析では、限界費用と限界収入が等しくなる水準に生産量を定めると、生産者は利潤を最大にし、消費者は効用ないし満足度を最大に出来るとして、社会的に望ましいとしてきた。しかし、ここには外部経済や外部不経済が発生する事を無視している点で実態を反映していない部分がある事になる。石炭文明時代のピグーは、蒸気機関車を走らせて鉄道経営を行なう会社を想定する。この場合、産出されるのは乗客に対する運輸サービスである。列車の運行回数を1回追加的に増やす事による運輸サービスの増加分が限界純生産物となるが、社会的純生産物はどうなるだろうか?もし、蒸気機関車のボイラーで完全燃焼し損ねた石炭の燃え殻が線路近くの林あるいは畑に落ちて、樹木ないしは作物を燃やしてしまった場合、社会全体にとっては、樹木あるいは作物の焼失分を考慮しなければならなくなる。つまり運輸サービスの増加分−樹木あるいは作物の減少分=社会的純生産物となる訳で、両者は一致しない。このような場合、もし農家が鉄道会社に対して燃え殻の回収装置の機関車への装備を要求して、会社がすぐにその要求に応じるのなら、大きな問題は発生しないが、会社側が火災の鯨飲が石炭の燃え殻にある事を認めないなら、会社と農家の間だけでは問題は解決せず、第3者の介入が必要となる。こうした外部経済について様々考察をする『厚生経済学』は今日的な環境経済学の出発点となる問題提起と言える。 ○カップ ピグーが考察した環境経済学的問題提起は、その後2つの世界大戦、世界恐慌など環境問題を人々が考える余裕があまり無い不幸な時代の中では、関心を呼ばなかったようである。しかし、第2次世界大戦後になると経済と環境の関係について新たな問題提起をする経済学者が出てくるようになってきた。 スイス出身で米国で活躍するカップ(K.William Kapp)は1950年に『私的企業と社会的費用』という著書を刊行し、社会的費用について本格的な考察を行なった。社会的費用とは、私的費用と外部費用の和として定義されるが、先の鉄道会社と農家の例で考えると、鉄道経営に直接に必要となる費用が私的費用であり、焼失してしまった樹林を元と同じように再生させるのに必要な費用が外部費用となる。著書の中では、職場の作業環境の悪さからもたらされる工場労働者の障害や病気などについて、回復の為の費用を雇用主側が支払わない場合などの諸問題、大気汚染、水質汚染、魚や鳥などの野生動物の減少、森林濫伐などの当時の公害、環境破壊の状況が、豊富な統計データを含めて詳しく分析されている。 私企業のおのおのが利己的に行動していても、競争経済において見えざる手による相互調整がなされ、社会全体としては最適な状態がもたらされるという考えにカップは真っ向から批判を加え、社会的費用が適切に負担されるべきであるとした。 |
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File016 マイクロビジネス考 |
以前、策の『論』でお名前を紹介した加藤敏春氏が提唱する「マイクロビジネス」についてその概要を書いてみます。 「マイクロビジネス」とは、 狭義にはSOHOビジネス、コミュニティビジネスを指し、広義に取れば、これにベンチャービジネスを含んだ物 として提唱されています。加藤敏春氏は今は経済産業省に再編された通産省関東通産局の総務企画部長という要職にありながら、と言うか、それだからこそ従来のベンチャーに偏った起業論ではこれからの日本での産業政策が立ち行かないとの考えで、地域、地域で夫々の潜在的な個人の持つ力を引き出すと同時に、地域の真の活力を産み出し得るような志を持った個人が起業するための方法論を提唱している。 詳しくは、講談社+α新書「マイクロビジネス すべては個人の情熱から始まる」を読んでいただければと思いますが、少し中身が想像できるように帯の文を紹介すると、 “マイクロビジネスの出発点は、あくまでも個人です。・・・・ビジネスというと、どうしても「利益」ということが頭に浮かぶかもしれませんが、マイクロビジネスは、利益だけを求めるものではないということです。・・・・達成感、働きがい、人とのコミュニケーションの楽しさ。ビジネスの喜びは,収益以外のところにもたくさんあります。 むしろ、金儲け以外の部分に大きな喜びを見出す事が出来るのがマイクロビジネスであると言えるでしょう。・・・・ 自分なりの生き方,働き方を追求した結果,一人ひとりが、その人なりのマイクロビジネスを起業していく。つまり、企業の志をもったすべての人が企業家になるという社会の実現は,夢物語でも空想でもなく,現実の未来なのです“ これだけでは何の事か分からない?それでは従来のベンチャー企業論からのパラダイムシフトを書いた冒頭の文を紹介します。 “21世紀のネットワーク社会の下では、ビジネスの基本単位が個人となり、組織の役割は二義的なものとなる。この「組織から個人へ」というパラダイムシフトを表現したコンセプトが「マイクロビジネス」或いは「個業」である。” ますます分からない?(本を買ってもらうしかない?・・・冗談です)大量生産、大量消費の経済が終焉を迎えてきていますが、その経済システムを形づくってきた大きな要素はマスコミという情報のツールであった。人が何か商品やサービスを求める時に、どこに自分の望む物があるかの情報を得ていたのが、マスコミを通してであった訳です。ここにすでに大量の製品を作り,売る事が運命づくられていたシステムだったと思います。資本を持つ人が生産手段を持ち,流通手段を持ち、あらゆる段階で規模の大きさにある程度頼らないと起業が出来ないシステムであった、そう言えると思います。21世紀はネットワーク社会だと言われるわけですが、そこでは情報の発信が個人の手に委ねられてきます。マスコミに依存しない形で自分の持つサービスを多くの人に伝える事が可能になる社会では、今まで以上に個人の力が大きな形になってきます。新しい仕事を創る起業の分野でも、組織の前に個人が仕事を通して何かを実現しようとする志が大きくクローズアップされてくる時代となってきたのです。 加藤敏春氏は、そうしたネットワーク社会での個人の生き方に対し、どのような仕事の捉え方でもっと生き生きとした生き方が実現できるか、どのようにしたらそうした喜びをもった働きがいのある仕事を作り出す個人が増える事を通して、社会が活力を見出していけるかと提案しています。書いてあることは、産業政策のプロ中のプロが書いたことですから、夢物語では当然有りません。むしろ、こうした視点を身につけないとこれからのネットワーク社会ではいい仕事は出来ないであろう,エッセンスに溢れています。一度手にしてみて下さい。そして、興味がありましたら、2月24日鶴岡にてお話を聞いて見られる事をお勧めします。私が座長をしている会議で基調講演をお願いしています、ご希望の方は連絡ください。 |
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File017 教育基本法 |
最近教育基本法を改正しようとの動きが見られます。現在の教育の荒廃のもともとに教育基本法が個人の権利を重視して、公の中での振る舞いに触れていないとの主張をしているようです。そこで、基本法の中核部分を確認するため、掲載する事にしました。私は、これを変えることが問題解決の妙案とは思えないのですが、、、、。 教育基本法 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 われらは,個人の尊厳を重んじ、心理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。 第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、心理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とともに専攻名国民の育成を期して行なわなければならない。 第2条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。 第3条(教育の機会均等等) 1.すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種,信条、性別,社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。 2.国及び地方団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。 第6条(学校教育) 1.法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置する事ができる。 2.法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、事故の使命を自覚し、その職責の推敲に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。 第7条(社会教育) 1.家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。 2.国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適正な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。 第10条(教育行政) 1.教育は、不当な支配に屈することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 2.教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。 |
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File018 財政のしくみ |
郵政3事業の民営化の議論がこのサイト上で行われています。小泉潤一郎森派会長がタブーとされたこのテーマを取り上げている事から、最近自民党の総裁戦における重要な争点になりつつある問題ですが、橋本派等からその点を取り下げないと総裁に出来ないと反対されているテーマでもあります。 何故、このテーマが自民党の中で大きな争点になってしまうのか? このテーマが財政構造にどのように関連するのか? そこを理解するには、財政の制度を理解しないといけないと考える部分があるため、北海道大学の宮脇淳法学部教授の著書「図解 財政のしくみ」東洋経済新報社刊を基に、財政を理解する為の基本知識を整理してみたいと思います。 1.財政の基本構造 ◎財政(国の財布)の制度 〇一般会計 〇特別会計 〇財政投融資 〇地方財政 ◎財政の財源 〇所得税・法人税等 〇政府資産売却 〇国債 〇揮発油税等特定財源 〇政府保証債等 〇郵便貯金・年金資金等 〇地方債・借入金等 〇地方財源 @ 一般会計 国民から所得税、法人税等の税金を集め、公共事業や社会保障、外交、防衛等に支出する財政の中心的存在。 A 特別会計 一般会計から分離して特定の目的を実現する為に儲けられた会計。97年度で38個の特別会計があり、各省庁の縦割りの中で管理・運営されていて、特に既得権化しやすい体質がある。 B 財政投融資 郵便貯金・年金資金などを活用する制度。 C 地方財政 地方の会計は地方単独で成り立っていずに、上記の会計から複雑に出入りする部分があり、財政的に独立していない。 2.財政の問題構造 宮脇氏は財政改革と行政改革は表裏一体との立場から、“行政を支える資金の調達と使い方を変える事が「行政改革」”であると述べていますが、郵貯・簡易保険などの郵政事業からの資金が、政治のチェックをあまり受けないで非効率に使われている事が問題です。またここに政治の中で族議員が絡み、官僚と一部の経済界との癒着が財政のあり方を歪めているのではないかとの指摘があります。 国民にとって財政がよく分からない物になりがちな原因としては「財政錯覚の拡大」「行政価格の低下」という2つが挙げられています。 「財政錯覚の拡大」 財政を巡る受益と負担の切断から生まれる勘違いが大きくなっている事を指します。 財政錯覚によって・財政から受けている利益を国民が十分に自覚する事無く、税金等負担の拡大だけを避けようとする姿勢を生む・無意識のうちに財政が日常生活にくみこまれ、既得権化してしまう。という事となり、総論賛成・各論反対の姿勢を生み出す事や不必要な財政支出が無自覚的に続けられる事をもたらしている。 「行政価格の低下」 行政価格とは「新たな行政サービスを提供するために、国民に求める税負担の大きさ」を指します。例えば公共事業をNTT株売却益の活用やほぼ100%建設国債・地方債の発行などによる国の借金を財源にして行われている為、現在の国民の税負担は直接上昇しないやり方です。つまり、公共事業の拡大の対する税負担の痛みを感じずにいる事になります。この事が景気対策や利益誘導の手段として、安易に公共事業が選択されやすい原因となっている訳です。減税処置も国債発行によって行われれば同じ事です。 我が国の財政は深刻な危機に直面している訳ですが、宮脇教授に拠れば、危機の本質は、現在の財政制度を通じて、国民の貴重な貯蓄が非効率に使われ不良資産化する事だそうです。 3.土管の理論 何故行財政は肥大化し硬直化するのか #「土管」と「包摂」 従来の行財政体質は「土管の理論」と呼ばれる理論で紹介されています。土管の理論とは、戦後日本で形づくられた行財政の体質を、土管の束になぞらえて平易に整理した物。 この土管は「鉄のトライアングル」と呼ばれる「政治・行政・業界」が一体となって、個別に「族」と呼ばれるグループを形成し、タテの流れによる「土管」を並列的に構築・拡大してきました。各グループごとの土管に、多くの情報や財政資金を個別に投入すると同時に、それによって形成された既得権を保護するために、土管の壁を熱くする規制や行政指導を重ねてきた訳です。さらには、行政の影響力の強化と安定性を確保するため、それぞれの土管から利益を受けている人々を組織化する「包摂」と呼ばれる現象を深めてきました。 _包摂・・・アメリカのセルズニックが20世紀前半のTVA(テネシー川開発)で実施された公共事業の研究を通じ、業務遂行のために行政を中心に形成される受益者の組織化を概念づけたもの。 #縦割りを維持する3つの背景 土管が並列的に存在する、すなわち縦割り構造を維持できる条件としては次の3点が必要とされます。 @ 増分主義 前年度よりも多くの財政資金の配分が各土管に継続的に行われる事 A 相互不可侵 隣の土管には異議をはさまない事 B 独占管理 情報を予算編成を通じて官僚が各土管ごとに集中的に独占管理する事 第一の増分主義は、70年代前半までは経済の高度成長を背景とした税収の増加により、70年代後半からは福祉元年による年金資金の流入や郵便貯金の増加に支えられた財政投融資資金の増加によって支えられた。第二の相互不可侵は、縦割りによる予算編成システムや特殊法人・公益法人の拡大、特別会計の設置等により維持されてきた。特に特殊法人・公益法人の拡大、特別会計の設置は、土管の強度を高めると同時に、包摂の深度を深める役割をはたした。この包摂と補助金が結びついて、官僚と業界の癒着が深まっている。 #肥大化と硬直化をもたらす構造 行財政の肥大化と硬直化をもたらすプロセスには、官僚組織における3つの特性「目的の転移」、「合成の誤謬」、「限定された合理性」が関与している。 「目的の転移」 本来行政の第一の目的が政策の策定とその実行・評価であり財源確保はその手段であるにもかかわらず、経済規模の拡大、前年度実績による増分主義の予算編成、さらには情報が独占された縦割り組織によって、「財源を確保すること」それ自身が官僚の目的になってしまうこと。 この目的の転移が強まるほど、縦割りによる意思決定が硬直化し、公共事業の配分比率の見直しが進まない事で国民のニーズから乖離した行政サービスの供給や稼動しない公共施設を生じさせる事になる。 「合成の誤謬」 合成の誤謬とは、各省庁が自らの存立目的の追求や組織の拡充に努力する事でかえって行財政全体が肥大化しひずみを生じさせる事。 「限定された合理性」 特殊法人問題や歳出構造を見直そうとするときに、各機関、各費目ごとに正当性が主張されます。その主張は各土管ごとの限られた範囲における合理性を有する。しかし、土管相互間の優先度については何ら解決を見いだせる主張とはならない。 |
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File019 農業 コメの値段 |
今回はコメを話題に上げて、何故専業として農業が成り立ち難くなってきたのかについて書いてみようと思います。市場において商品が選択されない、つまり買ってもらえない理由は何だと思いますか? その商品に魅力が無い、営業努力が足りない、色々考えられますが、多分一番に考えられるのは、価格が高い事であろうと思います。実際日本のコメは、味が悪くて競争力が持てないとの評価は聞く事がほとんど無く、品質としては最高級のものです。しかし、如何せん国際的な競争力を考えた時には、価格的に勝負できない物になっています。 それでは、コメの価格はどのようにして決まってきたのか?その事を調べていくと、この国の農業政策が歴史的に、如何に農家の自立を阻害してきたのかが良く分かります。 平成7年11月に新食糧法施行に伴って、旧食管法が廃止されましたが、この食糧管理法(食管法)が昭和17年に戦争の最中、限られた量のコメを公平に分配するために全てを国が管理する必要があって成立してから、随分状況が変わった事に対応してこなかった事が根本原因であろうと私は考えています。また、新食糧法に変わって、「作る自由、売る自由」を農家に与え、市場での競争の中で努力する事で生き残る道を模索する事となったにもかかわらず、相変わらず国や農協が管理したがって、個々の農家の自立が妨げられているように思います。 食管法によれば、コメは全て国が買い上げる事となっていました。その前提が不足するコメを国が一括管理する事で、分配が公平になるようにするとの法律の主旨ですから、そうした供給不足の事態に対するある意味で戦時体制での制度だった訳です。その前提における価格決定のプロセスは、全て国が管理するようになっていました。コメを生産者から買い上げる価格、消費者に売り渡す価格、ともに国が決めていたのですが、国が勝手に価格を決める事は出来ないという事で、米価審議会からの答申を受けて政府が決定するという形を取っていました。米価審議会は昭和24年に閣議決定され、26年に物価庁の付属機関として設置されたそうです。物価安定のために米価は抑制される事が求められ、そこに対して政治力による価格交渉と言う物が顔を覗かせて、農家自身の自主的な経営力を求められる事がない状況が続いてきた経緯があります。最初は審議会の委員として、生産者代表、消費者代表、与党代表、野党代表、それに中立委員という構成だったのですが、あまりに政治家の関与が強い事から、昭和42年からは政治家は委員として参画しないようになったのです。委員としては参画しないと言いながら、その後も農協を中心とした農業団体からの選挙での票を武器にした圧力で、政治家が関心を持ち続けたのでした。 当時の全国農協中央会の会長は、米価闘争について次のような事を語っている。 「政府は予約限度数量しか買わんという。予約限度数量とは、いわば政府の農民に対する注文書で、これしか買わんと一方的に言ってくる。品質とか数量は価格あってのことだが、これらを真面目に考え様とはしない。政府のやり方は、何でもいいから作れ、値段は後で決めてやるという態度だ。我々は無茶な事を要求している訳ではない。」 「農民は一人では何にも出来ん。土地改良も水利も河川の回収も、全て国、県、市町村に頼らざるを得んのだ。」 良くも悪くも、農民が零細家族型農業をしている事から、市場的な産業としての扱いをしないで、市場競争力の根本である価格決定を自分達で決める事が出来ずにきたのです。 |
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File020 デカップリング |
コメの輸入を受け入れたガット・ウルグアイラウンドは農業のあり方を決定的に変える物であったわけですが、この時にドンケル事務局長が出した「ドンケル・ペーパー」と呼ばれる物があります。ウルグアイラウンドは、各国の農業への介入を可能な限り減らし、市場志向型農業システムの形成を目指していて、農業貿易政策だけではなく、国内農業政策まで立ち入って構造調整する事を考えた為に、各国の農業哲学の対立にまで関わって来る物でした。アメリカのように少数精鋭的な農企業とこれと一体になった穀物メジャーが担うビジネス型農業と、ECのように農業保護策がEC統合の基礎になり、社会政策的な意味を持つほど多数存在する家族型農業、さらに日本のように超零細家族型農業では、自ずと政策対応に違いが出て来る。具体的には、各国が受け入れ可能な貿易自由化の程度、農業改革のスケジュール、政府の農業介入の程度などに相当の見解の違いがあり、統一し難い状態であった訳です。 そこに調整手法として、「ドンケル・ペーパー」で注目されたのが、デカップリングという考え方でした。今回はこのデカップリングという考え方を少し書いてみます。そもそも、このデカップリングという手法は環境保全と経済効率の両立を可能にしようとする考えなのですが、「農業すなわち環境保全機能」という農業の食料供給機能を放棄した矮小な捉え方があったり、「デカップリングすなわち条件不利地域対策」という狭いコンセプトで捉えたりという具合に「経済と環境」の議論の前提に混乱があると思われています。 (1) デカップリングの概念と注目の背景 「デカップリング」とは何か デカップリングとは、農業政策のもつ所得支持と市場湾曲効果(生産・消費・貿易・資源配分等への影響)を「断ち切る」(decoupling)こととされています。例えば、農民支持の方法を市場湾曲的な価格支持から環境保全措置に転換する事によって、市場条件を反映した価格を実現しつつ、農民の所得を直接指示するような形を取る事を指します。デカップリングを実現する具体的な施策を挙げると @ 研究、普及、検査など国の一般的サービス A 農業・農村の整備及び開発 B 生産者引退、農地転用及び投資補助等の構造調整対策 C 所得の大幅減少の防止及び保障等の所得安定化対策 D 生産と直接結びつかない最低所得支持対策 E 環境保全・地域維持への援助対策 F 食料安全保障への備蓄 これまでも様々な形で農業政策として取り上げられてきた物がほとんどである。しかし、次の2つの点から注目されるに至っている。第一に、貿易歪曲的な農業保護を削減し、また農業保護制度そのものを見直し、一層の市場志向型農業を目指し、それによる経済的インパクトを緩和する為の重要な手法になってきた点。第二に、農民の所得支持のように社会福祉や地域格差是正というだけではなく、公共財の供給にも役立てる、つまり公共財的な環境や資源の保全にも十分に配慮して行うための重要な手法となってきた点である。 先進国で何故デカップリングが注目されてきたのか? デカップリングという言葉が登場したのは、1985年に農業法の議論の際に、ボシュビッツ、ボーレン両上院議員の提案からとされています。政策手法として、国際的に確認されるのは、1987年5月のOECD閣僚理事会においてとされているが、そのコミュニケでは農業改革の原則として、 @ 長期的な目標は、農業助成の斬新的かつ協調的な削減等を通じ、市場原則が農業生産を方向付けるようにする。 A その際、食糧の安定供給の確保、環境保全、雇用全般等の非効率的、社会的及びその他の要請に配慮できる。また遅延なく政策の是正に着手する。 B 市場不均衡のさらなる悪化回避のため需要見直しの改善、生産刺激的な保証価格の削減等による供給過剰の拡大回避措置をとる。 C 農民の所得支持は、価格保障、生産または生産要素に結び付いた他の措置ではなく、直接的な所得支持を通じて行うべき。これは、とくに恵まれない地域の、また農業部門における構造調整の影響を受ける低所得の農家の必要に適す。 D 農業部門の調整は、農村地域での各種活動を後押しする総合的な政策によって支持すべき。 E 各国は、以上の原則実施に必要な手段の選択に柔軟性を保持する。 としているが、C項はデカップリングの内容その物であり、D項にも要素を含んでいる。 その後、このコミュニケは87年のサミット、「17カ国の専門家29人の世界農業貿易の改革案」(88年6月のオタワ会議)においても、支持されて「ドンケル・ペーパー」に反映された。 (2) デカップリングの限界 デカップリングの実施を地球規模で共通化するには限界があると考えられる。一農場当たり規模や地形など農業の基礎条件からみて、明らかに競争力がない国にとっては、財政的限界が明らかであると考えられる。国によってはこれまで以上の財政支出の可能性もあり、政府レベルでは保護費用の削減にならない事がありうるのである。デカップリングの実施は、農業保護費用をこれまでの消費者負担型から納税者型に移す事となる事から、その事への理解を得れない国の農業の存続が危うくなる事となる。 ウルグアイラウンドで合意をした時に、そうした理解を国民に求めるようなメッセージがあった様には私は感じていない。むしろ、対策費と称して、農業土木に掴み金が使われてしまったような印象しか残っていない。 |
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File021 行財政改革の視点 |
今回のデータファイルでは、北海道大学の宮脇淳教授の「財政投融資と行政改革」(PHP新書)から行財政の改革に必要な視点の持ち方に関して紹介します。 インクリメンタリズム(増分主義・斬新主義)のもたらす弊害についてはdate file18や澤田の『論』において多少書いてきているので、参照してください。このインクリメンタリズムを根底において、今回は行財政に関する組織機能の形成において重要な位置付けにある・媒介要因と・属性について書いてみようと思います。 1.媒介要因(intermediary factor) 行政内部の意思決定相互を結び合わせる要素であり、意思決定の連鎖に影響を与える行政内部の要因。 大きく分けて2つの媒介要因がある。一つは「行政内部資源」を媒介とする形態(内からの媒介)、もう一つは「国民ニーズ」を媒介する形態(外からの媒介)とする。 2.属性(attribute) 意思決定自体に影響を与えるおもに外部要因。 民間企業と国や地方自治体など公的部門では属性が本質的に異なる。 資本主義、市場経済で活動する民間企業の場合、最終的に意思決定を左右する要因は「利潤の多寡」であり、属性は単一性が強い。 国や地方自治体など公的部門では、意思決定に影響を与える属性要因が数多く存在する。こうした意思決定に影響を与える属性が多数存在する状況は「多属性」と呼ばれる。 以上が媒介要因と属性の定義です。宮脇教授はこの2つの概念から、行財政が何故国民ニーズに対する視点が欠如しやすいとか、「多属性」によって意思決定に対する参加者が「包摂の構造」から多くなってしまう事より、参加者の構造を変えるコストが高まる事で、表面的な効率論から現状維持を選択しやすいという公的部門の問題を解析している。その上で多属性問題を克服する為に、首長のリーダーシップや議会の見識が求められるとした上で、情報開示、競争・契約関係、外部評価など従来と異なる開かれた評価軸を導入する必要があると書いています。 ここで多属性の問題をより深刻化させている「インクリメン多リズム」について、詳細に分析しているので、そのまま掲載すると“右肩上がりの所得拡大を前提にしていると、すでに形成された既得権の構図を維持しながら、新しく配分される予算や政策のあり方だけを議論する体質ができてしまう。このため、政策あるいは事業としてすでにスタートした分の見直しについての意思決定が欠落し、新しい配分の獲得に向けた省庁間、部局間,業界間、地域間の競合だけが存在する結果となる。当然,行財政は肥大化するとともに硬直化しやすい状況に陥る。加えて、同じ媒介要因と属性を有する組織体のなかで、政策策定に関する意思決定が先例重視型で繰り返されるため、包摂の構図を深めることとなる。公的部門に限らず大企業を中心とした民間部門でも,成熟段階では同様の体質を抱えやすい。こうしたインクリメンタリズムの構造は、リンドブロム(C.E.Lindblom)によって指摘された。 行政の企画・執行段階では,高い抽象的なレベルで合意された目的を達成する手段として施策・事業が選択されるのではなく、媒介要因と属性を通じた意思決定のなかで、抽象的レベルから切り離されて目的と手段が同時並行的に選択・形成される、という指摘である。つまり、全体的な計画・目的と実際の施策・事業が必ずしも連動せず、別々に形成され体系化されるということである。意図したとおりに政策の効果が上がらないのはこのためである。また、仮に抽象的なレベルでの目的が連動したとしても,実際の事業等に対する見直しは属性間の調整が図られるため、現状を大きく変えるような選択肢は取り上げられない傾向が強くなる。この背景には、行政においては@政治的に受け入れやすい選択肢を抽出する傾向があること、A現状と大きく異なる結果を予測する手段と情報が欠如していること、などが指摘できる。とくに、後者の点は取引コスト理論が指摘する事後コスト認識の欠落とあいまって、財政情報の劣悪な情報をもたらしている。”と書いています。 実に変わる事の難しい行財政の特質の全体像が見える考察だと私は思います。 |
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File022 京都議定書のポイント |
京都議定書という物は一体何を決めた物なのか、ポイントを絞って紹介します。 1.数量目標(第3条)
2.政策。措置(第2条) 各付属書T締結国(先進国)は、数量目標を達成するため、例えば、エネルギー効率の向上等の措置をとる。 3.バブル(共同達成)(第4条) 数量目標の達成の約束を共同で果すことに合意をした付属書T締結国は、これら諸国の総排出量が書く締結国の割当量の合計量を上回らない場合には、その約束を果したと見なされる(これらの規定によりEUバブルが可能になる)。 4.排出権取引(第16条その2) 付属書T締結国は、議定書の約束を達成するために、排出権取引に参加できる。条約の締結国会議は、排出権取引に関連する原則やルール、ガイドライン等を決定する。数量目標の達成を果すため、全ての付属書T締結国は、他の付属書T締結国から、割当量を移転又は獲得する事ができる。地球温暖化防止京都会議においては、排出権取引に関し、COP4において関連規則などの作成を行う事を決めた。 5.共同実施(第6条) 数量目標を達成するため、付属書T締結国は、発生源による人為的排出を削減することあるいは吸収源による人為的除去を増進する事を目的としたプロジェクトによる排出削減ユニットを他の付属書T締結国に移転し、又は他の付属書T締結国から獲得することができる。付属書T締結国と非付属書T締結国との共同実施は、、クリーン開発メカニズムの下で行うことができる。 6.クリーン開発メカニズム(第12条) クリーン開発メカニズムは、非付属書T締結国の持続可能な開発と気候変動枠組み条約の目標を支援し、かつ付属書T締結国の数量目標の達成を支援するもの。 本メカニズムにより、非付属書T締結国は削減に繋がるプロジェクト実施による利益が得られ、付属書T締結国はこうしたプロジェクトによって生じる「承認された削減量」を自国の数量達成のために使用できる。 7.不履行(第17条) 本議定書の第一回約定国会合で、条約の不履行に対する適性かつ効果的な手続き及び仕組み、例えば不履行の原因、態様、程度や頻度を考慮に入れた不履行の内容に関するリスト等について、承認される。 なお、本条文についての専門的検討を行う下部会合を設置する決定が、地球温暖化防止京都会議において行われている。 8.発行要件(第24条) 本議定書を批准した付属書T締結国の合計の二酸化炭素の1990年の排出量が、全付属書T締結国の合計の排出量の55%以上を占め、かつ、55ヶ国以上の国が批准した後、90日後に発行。 |
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File023 テロ新法 |
平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法案 ハ 当該被災民救援活動を実施する区域の範囲及び当該区域の指定に関する事項 4 前条第4項の規定は実施区域の指定の変更及び活動の中断について、同条第5項の規定は捜索救助活動の実施を命ぜられた自衛隊の部隊等の長またはその指定する者について準用する。 |
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File024 日本の税制 |
税制に関しての知識を少し整理してみたいと思います。 今回は租税の目的及び税制の原則に関して、PHP新書から大阪大学大学院法学部研究科教授森信茂樹氏が出した“日本の税制 グローバリズム時代の「公平」と「活力」”から書いてみたいと思います。様々な形での税制改革論議の参考になればと考えています。 |