Sweta Machhendranalh Snan 1月。このお祭りでは、スウェタ(白)マチェンドラナートの像が、一週間にわたって、水で清められ、油できれいにされ、お香をたかれ、色付けされてお化粧します。また生き神クマリもカトマンズのアサン・トール(Asan Tole)にあるそのお寺に参拝するのです。言い伝えによれば、この祭の間に檀家によって捧げられた音楽や、供物などによってマチェンドラナートの神が満足すれば、その年の田植えの時期には、十分な雨が降る、といわれています。
Swasthani 1月〜2月 女神スワスタニの三つの目は太陽のように燃え輝いています。スワスタニは、人々の願いをかなえる存在です。もし、侮辱されるとその人間の人生は呪われたものとなってしまうといわれています。スワスタニに祈りをささげることによって、パルバティはシヴァ神の妻の地位を確保できるのです。パルバティが決めた儀式によると、一ヶ月にわたって、毎晩スワスタニのお経が読まれることになっています。スワスタニは別れていた人々をもう一度再会させ、呪いを消して、人々に幸せをもたらすと言われています。
Maghe Sankranti 1月。聖なる月マーグ(ネパール暦のMagh)になると、太陽は南半球側に移動し、徐々に日が長く、暖かくなってきます。その頃に、人々は、守護神であるヴィシュヌの神に感謝をささげるのです。マーグ・サンクランティ(Maghe Sankranti、マーグ月の一日)の日、人々は、早朝聖なる川で身を清め、ヴィシュヌのお寺に参詣します。そして、花や、お香などの供物をささげるのです。その時、人々はバグワド・ギタ(Bhagwad Gita 神々の詩)を唱え、神像に油を注ぎ、レンズ豆といっしょに炊いたご飯や、イモ(taruls)、ゴマとサトウキビで作られたラッドゥ(laddu)というお菓子を食べて祝います。
Basanta Panchami and Saraswati Puja 一月。バサンタ(Basanta)というのは「春」という意味です。春は一年でもすばらしい季節です。その始まりを祝うこの祭りでは、カトマンズのダルバール広場で国王陛下は著名人ををお迎えし、音楽隊が春を祝う伝統的な音楽を演奏したりして、記念の行事が催されます。また、スワヤンブナートやラジンパット(Lazimpat)の近くのニル・バラヒ(Nil Barahi)寺院でも、この時期に春の到来を祝うお祭りがあります。これらの寺院では、知恵と芸術、技術の神であるサラスワティに学生たちなどが、お米などの供物がささげるのです。
Maha Shivaratri 二月。シヴァの神はネパールでもっとも大切にされる神の一人です。二月にあるマハ・シヴァラットリ(Maha Shivaratr)の祭りには、インドア大陸の全土からシヴァを信仰する人々がシヴァを祭るパシュパティ寺院に集まってきます。この時には、「ゴマ一粒の隙間もないくらい」混雑するといわれています。シヴァの姿を模倣する修行者が体中に灰を塗り、またカラフルな色で化粧し、訪れる巡礼者に説教したり、瞑想したり、あるいはヨガをしている姿がいたるところで見られます。巡礼の人々は、深夜、寺院の中に祭られているシヴァの像にお参りするのですが、時によっては6時間も行列して待つこともあるのです。パシュパティの境内その周辺では、たき火がたかれ、人々は食べ物を分かち合い、歌や踊りを夜中楽しむのです。
Losar 二月。シェルパとチベット人たちが新年を迎える祭りです。この時、人々はきれいな服で着飾り、ごちそうを食べたり、親戚を訪問したり、贈り物を贈ったり、踊ったりしてお祝いします。また、僧院では、修業僧が健康と繁栄を願ってお経を読んだり、特別の踊りを踊ったりします。町には、町角や建物の屋根にカラフルな宗教旗が飾りつけられますが、特に中心地のボウダとスワヤンブー之ストゥーパでは、その色が引き立っています。そして、お参りにくる人たちがツァンパ(tsampa)と呼ばれる大麦を煎ったものを空に投げて新年を祝うのです。
Holi or Fagu Purnima 三月。ファグ・プルニマ(Fagu Purnima)は、ネパールでも一番カラフルで楽しい祭りかもしれません。祭りの初日、カトマンズのダルバール広場に色鮮やかな旗で飾られた棒が立つのがこの祭りのスタートの合図なのです。もしあなたがこの時期、ネパールにいたら、一週間はいい洋服を着て街を歩かないほうがいいでしょう。どうしてって?この期間は色のついた粉や、風船に色水を入れたものを誰にぶつけてもいいことになっていますから。特に最終日は一番大変です。若者たちが赤い粉を体中に付けられて、なお、犠牲者を探して町中を歩き回っていますから。
Chaitra Dasain 三月〜四月。ヒンズー教の神話であるラーマーヤナの英雄で、悪魔王ラワンを征服したラムを祭るお祭りです。この祭りでは、赤い粉を付けて祝福が与えられ、ヤギとアヒルの犠牲がささげられます。また、ラムを助けたすべての力の源である母神ドゥルガのこともあわせて祭られます。
Ghode Jatra 四月。ネパール軍の軍馬は、それを見る人を驚かせるような優れた馬がたくさんいるのです。このゴレ・ジャットラの祭りは、そのすばらしい馬たちの演技を見るいい機会です。この「馬の祭り」のそもそもの始まりは、カトマンズの人たちが、鬼を退治してトゥンディケルの錬兵場のあるところに埋めてからだといわれています。その鬼が復活して世の中を荒らさないがために、毎年馬で踏みつけなければならないので、この祭りが始まったといわれています。この祭りでは、国王皇后両陛下をお迎えして、馬車の行列や、曲馬、オートバイの曲芸、曲芸などが披露されます。また、生き神様のクマリも全国から来る何千もの人々と共にこの祭りを楽しむのです。
Biska Jatra 四月。カトマンズ盆地の古い王国の一つバクタプールとその周辺の村々では、この祭りが何世紀にもわたって続けられてきました。山車(raths)には怒りの表情をした神々の像が祭られ、若く米で造られた酒を飲んで元気を出した人々に引かれて町を練り歩きます。ひとたび町角で止まると、たくさんの人が寄ってきて血のささげものや花やコインなどがささげられます。また、別な神々の像も、山車に乗せられてこの祭りを祝うために引き回されるのです。ボデ(Bode)村では延々とお経を読み上げる行が続けられます。それは、人々が天国に行けるようになるためなのです。
Rato Machhendranath Jatra 五月。二、三十年ほど前まで、まだカトマンズ盆地が今ほど発展していなかった頃、カトマンズ盆地の主要な産業は農業でした。そして、主要な作物である米を作るためには、モンスーンの雨がとても大切なのです。今日、灌漑用水が発達して以前のように天水に頼ることは少なくなったとはいえ、モンスーン直前の時期のこの祭りでは、多くの人々が雨の神である赤マチェンドラナート神に五穀豊穣のための雨を祈願するのです。この祭りが来ると、パタンでは街も旧王宮のある一帯もたくさんのローソクとランプの炎で埋め尽くされます。家庭では、ごちそうが用意され、男たちが赤い神を乗せた山車を引くために力を貯えるのです。マチェンドラナート神が柱の上の神座から周辺に集まった人々を見渡していると、バイラブの力を象徴する四つの車輪に向けて、たくさんの赤い粉やお米が投げかけられるのです。それは、この神から祝福を受けるためであり、そして、人々に向かってこの神がまとう宝石で飾られたベストが見せられるのです。
Buddha Jayanti 五月。慈悲に満ち溢れたお釈迦様は、ネパールでお生まれになりました。ネパールで仏教を信じる人の数はヒンズー教に次いで二番目に多いのです。毎年五月六日、、満月の日、カトマンズ盆地をはじめ各地で、お釈迦様の誕生を祝い、その業績に思いを寄せる人々がお祭りを催すのです。特に、スワヤンブーとボウダのストゥーパでは、何日も前からこのお祭りの準備が始められます。僧院の建物は清められ、仏像はきれいに磨かれ、色鮮やかな旗が飾られます。また、修業僧たちが記念の踊りの準備もします。その当日は、夜明け前から人々がストゥーパに集って、そこに祭られている仏像の周りをお経を唱えながら回り、供物をささげるのです。
Gunla 七月〜八月。モンスーンがやってきて、カトマンズ盆地の田植えが終わるとグンラの祭りがやってきます。この一ヶ月にわたるお祭りは、「雨休み」として、2500年も前に、お釈迦様が始められたといわれています。農作業を休み、お経を唱えたり、断食をしたり、瞑想したり、宗教歌を歌ったりして過ごす時なのです。
お参りをする人たちは、夜明け前から、スワヤンブーの石段を登っていきます。境内では、、灯明がたかれ、その明かりの中に、仏像が飾られ、旗が掲げられ、宗教画が僧院の壁に飾られているのが見えます。お寺の鐘が鳴らされ、お香の香りがあたり一面に立ち込めているのです。ネパールで一番大切な作物であるお米を雨が育ててくれるように、人間を育てるお釈迦様の教えに、多くの人たちが心を寄せるときなのです。
Janai Purnima and Raksha Bandhan 八月。満月のジャナイ・プルニマ(Janai Purnima)の日、上流カーストの人たちは、ガヤトリ(Gayatri mantra)と呼ばれるお経を唱えながら、身に付けているジャナイ(janai)と呼ばれる聖なる紐を交換します。それ以外のヒンズー教徒と仏教徒たちは、ラクチャ・バンダン(raksya bandhan)と呼ばれる身を守るための黄色や赤い紐を手首に巻くのです。また、熱心な人たちは、カトマンズの北の山中にあるゴサイクンドの聖なる湖に行って、シヴァ神にならい、沐浴して身を清めます。そこまで行けない人たちは、クンベシュワル・マハデヴ(Kumbheshwar Mahadev)寺院の中央にシヴァ神の像が祭られた池で沐浴するのですが、この水は、ゴサインクンドから来た水だと信じられています。
Gai Jatra 八月。ネパール語で雌牛のことをガイ(gai)と呼びます。ヒンズー教では雌牛は聖なる動物です。ヒンズー教の富の女神であるラキシミの象徴が雌牛で、死んだ人の魂をあの世の入り口まで導いていくと信じられています。このお祭りは、ただ厳粛なだけでなく、とても楽しい一面を持っています。この時期、街には、いろいろなテーマで書かれた諷刺の文章や、ジョークが氾濫します。また、おもしろおかしく変装した人たちやきれいに着飾った人たちが町を練り歩くのです。これは、18世紀にその頃の国王が息子を亡くして嘆き悲しんでいた王妃を何とか明るくしようと、町中の人たちを集めて行進させたことに由来があるといわれています。いずれにせよ、身近な人を亡くした者にとって、このお祭りはその亡くなった人の魂を、雌牛が無事にあの世まで送り届けてくれて成仏したことをしのぶ時なのです。
女性の着るサリーを5枚もまとった若者とか、雌牛の格好に変装した子供たちとか、考えられる限りの奇抜な格好をした人たちが町中を練り歩くのです。また、地元の新聞や雑誌は、この時とばかりに特別版を発行して、あることないことを書いて、諷刺したり、冗談にしたりするのです。政治家や著名人は格好のターゲットとなり、普段はおとなしいマスコミもこの時とばかりに筆をふるうのです。
Teej 九月。シヴァを奉る寺院であるパシュパティはこのティージの祭りに間中、境内に集まる女性たちの着ているサリーの真紅の色に染まります。この女性だけというユニークな祭りは、シヴァ神の妻、パルバティの夫に対する献身的な働きを記念するところに由来していると言われています。この祭りの最中に、女性たちは実家に戻って、断食し、また皆で歌う歌にあわせて交互に踊りを踊るのです。また、この日は女性は男性からプレゼントもらうことにもなっています。そして、おいしいごちそうも用意されるのです。楽しい時が過ぎ、深夜になると断食が始まります。断食を守ると、独身の女性は幸運な結婚ができるとされていますし、既婚の女性は、夫がより誠実になると言われています。シヴァとパルバティの祝福によって家族円満が訪れる時なのです。
Indra Jatra 九月。今年も天の神インドラがカトマンズ盆地に豊かな祝福を与えてくれました。モンスーンが終わりに近づくこの時期、農家の人たちは、今年も豊作であることを予感し、収穫をもたらしてくれたインドラに感謝するのです。八日間にわたって、カトマンズのダルバール広場は、「天の神を喜ばせる」さまざまな行事の中心となります。最初の日に、インドラの旗が立てられます。言い伝えによれば、遠い昔、インドラの母親は特別な香りのする花を探していました。しかし、天国では見つけることができず、インドラはカトマンズ盆地でパリジャット(parijat)という花を見つけて、母親のために盗もうとするのですが、運悪く土地の人に捕まってしまうのです。インドラの母親が息子を捜しに来たことを知ったカトマンズの人たちは、自分たちが捕まえたインドラのことを知り、びっくりしてすぐに釈放したのでした。そして、インドラの怒りを静めるために、ネパールで一番楽しい祭りをインドラのためにささげることにしたのでした。この祭りでは、ヴィシュヌ、バイラブ、シヴァなどの面や像が人々に公開されます。また、生き神クマリも山車に乗ってこの祭りに参加しま す。この祭りのたびに、人々はインドラが雨を降らせてくれたことに感謝し、カトマンズ盆地ではインドラが尊敬されていることを改めて表現するのです。
Dasain 十月。ダサインはネパールの祭りの中で一番重要でまた期間も長いものです。この祭りの間、会社や学校は休みになり、ラジオやテレビからはダサインの音楽が流れてきます。カトマンズでは子どもたちが凧上げに興じ、市場は農家の人たちが連れてきた水牛やヤギ、ニワトリなどで一杯になります。これらの家畜は各家庭で悪を制覇した女神ドゥルガに犠牲としてささげられるのです。祭りのメインの日であるダサミの日には、人々は真新しい洋服を着て一族の長老の家に挨拶に出向き、ティカと呼ばれる真紅の印を額に付けてもらうのです。それが終わるとダサインは家族や旧友たちが再会し楽しむときになります。おいしいごちそうを食べたり、プレゼントをもらったりします。このネパール最大の祭りは満月の日まで続くのです。
Mani Rimduはエヴェレスト地方にあるテンボチェの僧院で毎年秋に祝われるシェルパの祭りです。チベットとシェルパ族の人たちが五日間にわたって集い「良い世界」が来るように願います。出し物があり、仮面の踊りがあり、読経、そして食べ物が振る舞われるのです。悪い勢力は征服され、敬虔なものが報われる世の中のためにこのお祭りがささげられます。この時期にエヴェレスト方面に旅行されるのはとても幸運なことでしょう。
Tihar 十一月。「光の祭り」として知られているティハールの祭りは、ローソクの明かりときらびやかな飾りとそして祭りのために用意されるキャンデーで彩られます。一週間近くにわたって続くこの祭りでは、日ごとにそれぞれの行事が決まっていて、例えば、からすをまつる日があったり、犬、雌牛、雄牛をそれぞれまつる日があるのです。ラキシミ・プジャの夜には富の女神であるラキシミを自分の家に招くために、花輪が壁にかけられ、灯明がともされます。それに続くネワール族の暦の新年にあたるマハ・プジャの日は、人々が自分自身にお参りする時なのです。新しい年も健康で幸せに暮らせるように、自分で自分に祝福を与えるのです。バイ・ティカの日は、ティハールの祭りの最後の日ですが、それぞれの家庭の女性が男性に敬意を表してお参りします。クルミを割る儀式、マカマリの花で作った花輪を首にかける儀式、そして地獄の神ヤマから守るために男性の周りに菜種油で円を描いて囲む儀式が行われるのです。
Baia Chaturdarsi 十二月。このある意味ではシンプルな祭りはパシュパティナート周囲の古くからある森で行われます。これは、カトマンズ盆地でも一番古い祭りといわれています。その年に身内を亡くした家族の人たちが、森に集まり、夜を徹して灯明に明かりを点し、歌を歌いながら夜を過ごすのです。夜が明けると、聖なる川で沐浴して身を清め、森の中を七種類の穀物をまきながら歩きまわるのです。最後にシヴァ神のリンガに供えて、亡くなった親族が天国に行けるように、罪が清められるように、祈るのです。
Bibah Panchami 十二月。ヒンズー教徒なら誰でもラーマーヤナ神話に書かれている、ラムとシタの結婚のいわれを知っているはずです。シタの父親ジャナク王は、娘の結婚相手を見つけるために一つのテストを課しました。それは、大きな弓をひけるかどうか、というものでした。遠くから、近くから、たくさんの王子や戦士や勇者がきてその弓を持ち上げてひこうとするのですが、誰も持ち上げることさえできません。そこへラムがやってきて、その弓を軽々と持ち上げ、力いっぱいひいたところその弓が折れてしまったのです。で、ラムとシタは今のネパール南部にあるジャナカプールでめでたく結婚したのでした。以来、二人の結婚を毎年祝っています。一週間にわたってラムとシタの像を山車で練り歩き、ヒンズー教の伝統にのっとって結婚の儀式が執り行われます。この祭りは、ヒンズー教を信じる人たちのヴィシュヌの化身の中では一番愛されているラムへの深い愛着と、ヒンズー教での理想的女性像のシタへの憧れをあらわす祭りなのです。
Yomari Punhi 十二月。その年の新米が食べられるようになる頃、カトマンズ盆地の農民たちはヨマリ(yomari)というお菓子を作ります。これは、豊かな収穫をもたらしてくれた神々に感謝の印として供えられるものです。米の粉で作られたおまんじゅうの中に糖蜜を入れて蒸したものがヨマリです。それを神様に供えて、その後、みんなで食べるのです。今年も十分な収穫があって、一年の苦労が報われたことを、神々の慈悲と寛大さに感謝する祭りが、このヨマリ・プンヒなのです。